私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨日、1970(昭和45)年の4月以来より、
定期購読している総合月刊雑誌の『文藝春秋』を買い求めたのであるが、
今月の六月特別号には、何かしら別冊の付録のようなのが、本誌の中に入っていた。
帰宅後、私は何かしらと思いながら、見ると、
《 もしもの時に
役立つノート》
と題されたコクヨとの共同制作の16ページの特別編集版であった。
そして私はページを捲(めく)ると、
《 「もしもの時に役立つノート」とは? 》
と命題の内容が明記されていたのを読んだ後、
《 もしもの時の5か条 その① 親族表 》
図表で自分を中心とした家族・親族の氏名が記入できるようになっていた。
《 もしもの時の5か条 その② 家族・親族・友人一覧 》
《 もしもの時の5か条 その③ 葬儀について 》
あなたの考えや希望を記入・・と葬儀に関して、重要な要素の項目が記載されていた。
・・
この後には、『お墓について』、『ペットについて』の個条が続いた後、
そして『その他』として、
「基本情報」、「気になること」、「資産」、「医療・介護」、「相続・遺言」が整理して書いておくと
便利です、と明記されていた。
私は読みながら、特に精読させられたのは、
《 葬儀について 》、《 お墓について 》の2つの個条の詳細項目であった。
これらに関しては、私なりに希望があるので、ときおり家内と話し合ったりしている・・。
このことに関しては、恥ずかしながら私の心の片隅みにある思いを発露し、
投稿文としては、たまたま2月2日に於いて、
【 いつの日にか私が命を果てた時、ささやかな私の葬儀、そして戒名などを託せば・・。】
と題して投稿していたので、
日中のひととき読み返したりしたのである・・。
この2月2日に投稿した後は、3月下旬に、
島田裕巳(しまだ・ひろみ)・著の『葬儀は、要らない』(幻冬舎新書)を読んだりし、
多々教示され、特に『戒名』については、私の不勉強だったので、
【 いつの日にか私が命を果てた時、ささやかな私の葬儀、そして戒名などを託せば・・。】
の投稿文の『戒名』の記載している部分だけを訂正した。
結果として、下記の投稿文となり、今の心情として、微苦笑している。
【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
夕暮れに玄関庭にある白梅の純白な花を眺めたりしていた・・。
そして風邪気味のせいか、少し気弱になっている私は、いつの日にか命を果てた時のことを
ぼんやりと思ったりした。
私はこのサイトに葬儀に関しては、以前に数回綴ったりしているが、
私の戒名のことを思ったりしたりしたのである。
私は民間会社に35年ばかり勤め定年退職後は、年金生活をしているが、
確か55歳の頃から、70歳まで五体満足で生かしてくれれば、後は余生と強く念願してきた。
しかし、こればかりは天上の神々の采配で決まるのであり、
果たして何歳まで生かしてくれるかは解からないが、
延命処置などはするな、と固く家内に云ったりしてきている。
私達は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭であるので、
葬儀に関しては、身内だけの家族葬として、
家内は自宅で居間と和室を使えば何とかなるわ、と私に云ったりしているが、
後先のことを配慮すれば、葬儀場の小さなホールを借りようと思っている。
私の実家は仏教徒の曹洞宗であるが、僧侶はご遠慮を願い、
お通夜、葬儀は、野花に近い花につつまれて、好きな音楽をながしてくれれば良いと思っている。
こうした中で、会席料理を食べながら、好きなアルコールを呑んで頂き、
私の独断と偏見の屈折した思いで話(ばな)しをして下さればよい、と家内に云ったりしている。
火葬場からの遺骨は、東北地方にある樹木葬のある処で、
私の好きな落葉樹の下に納骨して貰い、土に還りたいと願っている。
こうした事は、子供のいないせいか私達は、ここ10数年、ときおり話し合っている。
私が先に亡くなった時は、
家内が温泉滞在などで東北地方の埋葬されている近くに来た折、
そして心が向いた時、お線香の1本と純米酒壱合をささげてくれれば良い、
と厳命している。
そして、1周忌、3回忌などは、生者の慰めに過ぎないので、無用と兼ね備えている。
さて、葬儀に於いての音楽に関しては、
モーツァルトのピアノ協奏曲第20番、アルビノーニのアダージョ、そして日本の叙情歌が、
秘かな私の好みであるので、この曲を流して下されば、最上かしらと思ったりしている。
何よりの課題は、戒名については、
私は無念ながら親しい心友となる僧侶はいないので、
やむなく故人の遺志として、考えたりしている。
曹洞宗の家で私は生を受けたので、これに準拠して、
戒名は『風光院文愛道X居士』として、
日本の古来の四季折々の風土の土に還る、と託して、
つたない言動の一生であったが、読書と文章の底知れぬ力だけを何よりも心愛していた。
そして、法名は『文愛道X居士』となる・・。
しかし、余りにも格調高く、つたない私の生涯にふさわしくないので、
雑木林の四季の移ろいに60数年に魅せられ、幼年期に農家の児として育ったこともあるので、
戒名は『雑木院文愛道X居士』が最適かしら、と思ったりしたのである。
このような意味を込められていれば、
と考えたりしているが、果たして・・と思ったりしている。
尚、『X』は曹洞宗の定義のひとつとして、私の名前である。
・・】
このように現時点としては、このような心情であり、
今回の『文藝春秋』の別冊付録の《 もしもの時に役立つノート 》は、
故人となる本人はもとより、遺(のこ)された家族にとっても確かに役立つノートの内容である、
と私は微苦笑しながら、各項目の余白の欄を記入したりしている。
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昨日、1970(昭和45)年の4月以来より、
定期購読している総合月刊雑誌の『文藝春秋』を買い求めたのであるが、
今月の六月特別号には、何かしら別冊の付録のようなのが、本誌の中に入っていた。
帰宅後、私は何かしらと思いながら、見ると、
《 もしもの時に
役立つノート》
と題されたコクヨとの共同制作の16ページの特別編集版であった。
そして私はページを捲(めく)ると、
《 「もしもの時に役立つノート」とは? 》
と命題の内容が明記されていたのを読んだ後、
《 もしもの時の5か条 その① 親族表 》
図表で自分を中心とした家族・親族の氏名が記入できるようになっていた。
《 もしもの時の5か条 その② 家族・親族・友人一覧 》
《 もしもの時の5か条 その③ 葬儀について 》
あなたの考えや希望を記入・・と葬儀に関して、重要な要素の項目が記載されていた。
・・
この後には、『お墓について』、『ペットについて』の個条が続いた後、
そして『その他』として、
「基本情報」、「気になること」、「資産」、「医療・介護」、「相続・遺言」が整理して書いておくと
便利です、と明記されていた。
私は読みながら、特に精読させられたのは、
《 葬儀について 》、《 お墓について 》の2つの個条の詳細項目であった。
これらに関しては、私なりに希望があるので、ときおり家内と話し合ったりしている・・。
このことに関しては、恥ずかしながら私の心の片隅みにある思いを発露し、
投稿文としては、たまたま2月2日に於いて、
【 いつの日にか私が命を果てた時、ささやかな私の葬儀、そして戒名などを託せば・・。】
と題して投稿していたので、
日中のひととき読み返したりしたのである・・。
この2月2日に投稿した後は、3月下旬に、
島田裕巳(しまだ・ひろみ)・著の『葬儀は、要らない』(幻冬舎新書)を読んだりし、
多々教示され、特に『戒名』については、私の不勉強だったので、
【 いつの日にか私が命を果てた時、ささやかな私の葬儀、そして戒名などを託せば・・。】
の投稿文の『戒名』の記載している部分だけを訂正した。
結果として、下記の投稿文となり、今の心情として、微苦笑している。
【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
夕暮れに玄関庭にある白梅の純白な花を眺めたりしていた・・。
そして風邪気味のせいか、少し気弱になっている私は、いつの日にか命を果てた時のことを
ぼんやりと思ったりした。
私はこのサイトに葬儀に関しては、以前に数回綴ったりしているが、
私の戒名のことを思ったりしたりしたのである。
私は民間会社に35年ばかり勤め定年退職後は、年金生活をしているが、
確か55歳の頃から、70歳まで五体満足で生かしてくれれば、後は余生と強く念願してきた。
しかし、こればかりは天上の神々の采配で決まるのであり、
果たして何歳まで生かしてくれるかは解からないが、
延命処置などはするな、と固く家内に云ったりしてきている。
私達は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭であるので、
葬儀に関しては、身内だけの家族葬として、
家内は自宅で居間と和室を使えば何とかなるわ、と私に云ったりしているが、
後先のことを配慮すれば、葬儀場の小さなホールを借りようと思っている。
私の実家は仏教徒の曹洞宗であるが、僧侶はご遠慮を願い、
お通夜、葬儀は、野花に近い花につつまれて、好きな音楽をながしてくれれば良いと思っている。
こうした中で、会席料理を食べながら、好きなアルコールを呑んで頂き、
私の独断と偏見の屈折した思いで話(ばな)しをして下さればよい、と家内に云ったりしている。
火葬場からの遺骨は、東北地方にある樹木葬のある処で、
私の好きな落葉樹の下に納骨して貰い、土に還りたいと願っている。
こうした事は、子供のいないせいか私達は、ここ10数年、ときおり話し合っている。
私が先に亡くなった時は、
家内が温泉滞在などで東北地方の埋葬されている近くに来た折、
そして心が向いた時、お線香の1本と純米酒壱合をささげてくれれば良い、
と厳命している。
そして、1周忌、3回忌などは、生者の慰めに過ぎないので、無用と兼ね備えている。
さて、葬儀に於いての音楽に関しては、
モーツァルトのピアノ協奏曲第20番、アルビノーニのアダージョ、そして日本の叙情歌が、
秘かな私の好みであるので、この曲を流して下されば、最上かしらと思ったりしている。
何よりの課題は、戒名については、
私は無念ながら親しい心友となる僧侶はいないので、
やむなく故人の遺志として、考えたりしている。
曹洞宗の家で私は生を受けたので、これに準拠して、
戒名は『風光院文愛道X居士』として、
日本の古来の四季折々の風土の土に還る、と託して、
つたない言動の一生であったが、読書と文章の底知れぬ力だけを何よりも心愛していた。
そして、法名は『文愛道X居士』となる・・。
しかし、余りにも格調高く、つたない私の生涯にふさわしくないので、
雑木林の四季の移ろいに60数年に魅せられ、幼年期に農家の児として育ったこともあるので、
戒名は『雑木院文愛道X居士』が最適かしら、と思ったりしたのである。
このような意味を込められていれば、
と考えたりしているが、果たして・・と思ったりしている。
尚、『X』は曹洞宗の定義のひとつとして、私の名前である。
・・】
このように現時点としては、このような心情であり、
今回の『文藝春秋』の別冊付録の《 もしもの時に役立つノート 》は、
故人となる本人はもとより、遺(のこ)された家族にとっても確かに役立つノートの内容である、
と私は微苦笑しながら、各項目の余白の欄を記入したりしている。
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