私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
ときおり家内は、独り住まいの家内の母宅に泊りがけで行っている。
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職日の直前に主人に死去され、
一戸建ての独り住まいの生活をされて、7年近くなっている・・。
家内の母は身の廻り程度はある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて季節が変わるたびに、行ったりしている。
今回はたまたま15日(日)~22日(日)となり、7泊8日となり、
家内は孤軍奮闘しているのである。
私はこの間は、のんびりとした独り住まいとなるが、
家内が作ってくれた料理、スーパーのお惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、
食べたりしている。
そして、『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、資源として再生される『ペットボトル』、『古紙』、『ビン』の日と、
日付別のメモ用紙に書いたりして、少しボケた私は自戒させたりしている。
私は年金生活になってからは、程々に気ままな生活を過ごしているが、
更に家内が留守のを幸いに、自在な時間を送ったりしている。
私は幼年期は農家の三男坊の田舎者であったが、
齢ばかり重ねた私は少し都会風にお洒落(しゃれ)をした洋装で、駅前の本屋に行ったり、
スーパーに寄ったりし、中年以上の女性のしぐさに見惚(みと)れることもある。
居間にいると、映画のビデオ・テープ、DVDの作品を映画棚から取り出して、
テレビ画面を通して視聴したり、好きな音楽も大音量で聴いたりしている。
いずれも家内は、大音量が苦手な身であるから、平素は抑制しているが、
この時とばかり、映画の作品はある程度の音量でないと、
音楽もそれ相当の音量がないと、魅感が薄れると固く信じているので、自在にしている。
そして、洗濯に関しては、たまたま昨年に乾燥の機能がある洗濯機に買い改めたので、
オール自動セットとし、
日中のひととき、きまぐれに手抜きの部屋の掃除をしたり、台所で皿洗いをしたり、
夜の入浴の時間も、平素より遅かったりしている。
このような生活をしているが、万一、家内が先に死去された場合は、
本当に『おひとりさま』の生活になるのだろう、と昨夜ぼんやりと思ったりした。
やはり、家内と長年寝食を共にし、苦楽の人生を共に35年を歩んできた私にとっては、
会話がないと、寂しい、と改めて感じたりした。
私の近所にお住まいの10年ぐらい齢上の男性の方がいて、
奥様を亡くされて2年ぐらいになるが、
過日の2ヶ月前の頃、私は遊歩道を散策している時、
偶然に道路の脇のベンチに座られて休息したいたのを見かけ、私は近づき、会話を重ねた・・。
この時の会話の中で、この齢上の男性の方が、
『空気のように連れ合いを思っていたが・・亡くなって初めて・・大変な存在の人だった・・』
と私に発露された言葉が、
昨夜、蘇(よみが)ったのである。
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私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
ときおり家内は、独り住まいの家内の母宅に泊りがけで行っている。
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職日の直前に主人に死去され、
一戸建ての独り住まいの生活をされて、7年近くなっている・・。
家内の母は身の廻り程度はある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて季節が変わるたびに、行ったりしている。
今回はたまたま15日(日)~22日(日)となり、7泊8日となり、
家内は孤軍奮闘しているのである。
私はこの間は、のんびりとした独り住まいとなるが、
家内が作ってくれた料理、スーパーのお惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、
食べたりしている。
そして、『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、資源として再生される『ペットボトル』、『古紙』、『ビン』の日と、
日付別のメモ用紙に書いたりして、少しボケた私は自戒させたりしている。
私は年金生活になってからは、程々に気ままな生活を過ごしているが、
更に家内が留守のを幸いに、自在な時間を送ったりしている。
私は幼年期は農家の三男坊の田舎者であったが、
齢ばかり重ねた私は少し都会風にお洒落(しゃれ)をした洋装で、駅前の本屋に行ったり、
スーパーに寄ったりし、中年以上の女性のしぐさに見惚(みと)れることもある。
居間にいると、映画のビデオ・テープ、DVDの作品を映画棚から取り出して、
テレビ画面を通して視聴したり、好きな音楽も大音量で聴いたりしている。
いずれも家内は、大音量が苦手な身であるから、平素は抑制しているが、
この時とばかり、映画の作品はある程度の音量でないと、
音楽もそれ相当の音量がないと、魅感が薄れると固く信じているので、自在にしている。
そして、洗濯に関しては、たまたま昨年に乾燥の機能がある洗濯機に買い改めたので、
オール自動セットとし、
日中のひととき、きまぐれに手抜きの部屋の掃除をしたり、台所で皿洗いをしたり、
夜の入浴の時間も、平素より遅かったりしている。
このような生活をしているが、万一、家内が先に死去された場合は、
本当に『おひとりさま』の生活になるのだろう、と昨夜ぼんやりと思ったりした。
やはり、家内と長年寝食を共にし、苦楽の人生を共に35年を歩んできた私にとっては、
会話がないと、寂しい、と改めて感じたりした。
私の近所にお住まいの10年ぐらい齢上の男性の方がいて、
奥様を亡くされて2年ぐらいになるが、
過日の2ヶ月前の頃、私は遊歩道を散策している時、
偶然に道路の脇のベンチに座られて休息したいたのを見かけ、私は近づき、会話を重ねた・・。
この時の会話の中で、この齢上の男性の方が、
『空気のように連れ合いを思っていたが・・亡くなって初めて・・大変な存在の人だった・・』
と私に発露された言葉が、
昨夜、蘇(よみが)ったのである。
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