東京郊外は、一昨日より『入梅入り』となり、
今朝も朝から小雨が降って、小庭の樹木の枝葉はしっとり濡れ、
先ほど、庭のテラスのはずれで、ぼんやりと空を見上げたりしていた・・。
こうした時、突然に脳裏からひとつの歌が流れて、
私は心の中で唄いだした・・。
♪傷つくだけ 傷ついて 解ったはずの答えを
どうしてまだ 問いかける
【『The Last Song』 作詞、作曲・YOSHIKI、編曲・X JAPAN 】
私はどうしてこの歌が思いだされたのか、
我ながら、どうしてなの、と少しばかり驚いたりしていた。
この歌は、ロック・グループのX JAPANの最後の頃の名曲であるが、
改めてどうしてなの・・、と私は思い返したりしていた。
私は昼前に、【『究極の節電 昭和の「非電化」製品に人気』のニュース、私は懐かしげに微笑んで・・。】
と題した投稿文を綴ったりしたので、
こうした昭和のことを思いだし、過ぎ去った私の軌跡を思い浮かべたのかしら、と思ったりした。
私は昭和19(1944)年に東京郊外で農家の児として生を受け、
小学2年の時、父に病死され、
東京オリンピックが開催された昭和39(1964)年に大学を中退し、
アルバイト、契約社員をしながら、映画・文学青年の真似事をしたりした。
その後、あえなく挫折し、25歳の時に企業に何とか中途入社し、
35年ばかり音楽業界のある会社に勤め、定年退職した。
私は中学時代の頃からは、表面は明るく振舞っていたが、
心の中で血みどれに自己格闘し、
ときおり確固たる根拠なく自信をもたげて独断・偏見の言動もあり、
ときには卑屈になったりして、屈折した半生でもあった。
このような心の軌跡があるので、
サラリーマンの家で生を受け、それなりの文化に育(はぐく)まれて、
大学を卒業し、大企業で勤めたエリートの人々とは、
最も遠い存在と思ったりしているのである。
このような心情を思い返してか、
♪終らない雨 抱きしめた 夜が朝を向かえる
心はまだ濡れたまま
傷つくだけ 傷ついて 解かったはずの答えを
どうしてまだ 問いかけている
【『The Last Song』 作詞、作曲・YOSHIKI、編曲・X JAPAN 】
このような心の中で唄っているのである。
この心の根底には、つたない私でも命の果てるまで、
確固たる散文のひとつだけを書き遺(のこ)したく、もとより文章修行が必要であるが、
ときには自信が揺らぐ時もある。
多くの作家は、一流の大学の文学部の国文科を卒業しながら、
文学修行して、この中のごく一部が作家として、何とか筆一本の生計が成り立つのが、
ここ50年に多いと思われる。
私は場合は、独りよがりで独学であり、
かって若き日は、30代を迎えた時、とても妻子を養う自信がなく、
早々と敗退宣言をした苦い体験があるが、
現在は年金生活をしているので、生計だけは心配がないだけであり、
かっての感性と感覚の衰えは隠せないのである。
私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨長明(かもの・ちょうめい)が、
遺(のこ)され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、と念願している。
私にとっては、多少の人生経験を頼りに、
果たして確固たる散文のひとつを遺せるか、自信が揺らぎ、
独りよがりの思い込みをやめて、安楽な年金生活を過ごすことゆだねれば、
ともうひとりの私が誘惑するのである。
こうした迷いで弱気になった時、心の片隅みに揺れ動き、
このような歌が浮かび上がった、と私は苦笑している。
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今朝も朝から小雨が降って、小庭の樹木の枝葉はしっとり濡れ、
先ほど、庭のテラスのはずれで、ぼんやりと空を見上げたりしていた・・。
こうした時、突然に脳裏からひとつの歌が流れて、
私は心の中で唄いだした・・。
♪傷つくだけ 傷ついて 解ったはずの答えを
どうしてまだ 問いかける
【『The Last Song』 作詞、作曲・YOSHIKI、編曲・X JAPAN 】
私はどうしてこの歌が思いだされたのか、
我ながら、どうしてなの、と少しばかり驚いたりしていた。
この歌は、ロック・グループのX JAPANの最後の頃の名曲であるが、
改めてどうしてなの・・、と私は思い返したりしていた。
私は昼前に、【『究極の節電 昭和の「非電化」製品に人気』のニュース、私は懐かしげに微笑んで・・。】
と題した投稿文を綴ったりしたので、
こうした昭和のことを思いだし、過ぎ去った私の軌跡を思い浮かべたのかしら、と思ったりした。
私は昭和19(1944)年に東京郊外で農家の児として生を受け、
小学2年の時、父に病死され、
東京オリンピックが開催された昭和39(1964)年に大学を中退し、
アルバイト、契約社員をしながら、映画・文学青年の真似事をしたりした。
その後、あえなく挫折し、25歳の時に企業に何とか中途入社し、
35年ばかり音楽業界のある会社に勤め、定年退職した。
私は中学時代の頃からは、表面は明るく振舞っていたが、
心の中で血みどれに自己格闘し、
ときおり確固たる根拠なく自信をもたげて独断・偏見の言動もあり、
ときには卑屈になったりして、屈折した半生でもあった。
このような心の軌跡があるので、
サラリーマンの家で生を受け、それなりの文化に育(はぐく)まれて、
大学を卒業し、大企業で勤めたエリートの人々とは、
最も遠い存在と思ったりしているのである。
このような心情を思い返してか、
♪終らない雨 抱きしめた 夜が朝を向かえる
心はまだ濡れたまま
傷つくだけ 傷ついて 解かったはずの答えを
どうしてまだ 問いかけている
【『The Last Song』 作詞、作曲・YOSHIKI、編曲・X JAPAN 】
このような心の中で唄っているのである。
この心の根底には、つたない私でも命の果てるまで、
確固たる散文のひとつだけを書き遺(のこ)したく、もとより文章修行が必要であるが、
ときには自信が揺らぐ時もある。
多くの作家は、一流の大学の文学部の国文科を卒業しながら、
文学修行して、この中のごく一部が作家として、何とか筆一本の生計が成り立つのが、
ここ50年に多いと思われる。
私は場合は、独りよがりで独学であり、
かって若き日は、30代を迎えた時、とても妻子を養う自信がなく、
早々と敗退宣言をした苦い体験があるが、
現在は年金生活をしているので、生計だけは心配がないだけであり、
かっての感性と感覚の衰えは隠せないのである。
私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨長明(かもの・ちょうめい)が、
遺(のこ)され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、と念願している。
私にとっては、多少の人生経験を頼りに、
果たして確固たる散文のひとつを遺せるか、自信が揺らぎ、
独りよがりの思い込みをやめて、安楽な年金生活を過ごすことゆだねれば、
ともうひとりの私が誘惑するのである。
こうした迷いで弱気になった時、心の片隅みに揺れ動き、
このような歌が浮かび上がった、と私は苦笑している。
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