夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

流行語大賞に『なでしこジャパン』、日本の重苦しい閉塞感の中、確かな希望をもたらし、と私は・・。

2011-12-01 23:10:43 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の高齢者の身であるが、
夕食前に、ぼんやりとネットでニュースを見ようと
時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開いたのであるが、
ひとつのニュースに大いに賛意し、微笑んだりしたのである。

《 流行語大賞に「なでしこジャパン」=震災絡み、多数入選 》

と見出しされた記事である。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011120100727
☆【時事ドットコム】<==《 流行語大賞に「なでしこジャパン」=震災絡み、多数入選 》☆


私は「2011ユーキャン新語・流行語大賞」(「現代用語の基礎知識」選)に関し、
特に定年後から、本年度はどのような事項が選定されるか、と関心しているひとりである。

現役時代は少なからず世情に敏感であるが、
定年後に年金生活を始めると、ときおり世の中の動きに遅れたり、
或いは遠のいて、遥か遠い世界の出来事と感じる時もあるので、
私としては、《今年の流行や世相を反映した言葉を選ぶ流行語大賞》は、
現世の社会と結ぶ確かな糸と思っているのである。

今年の流行語の入賞した10語のうち、「絆」「3.11」「帰宅難民」「風評被害」は、
東日本大震災に関係する言葉だった、と私は学んだりした・・。

もとより3月11日に東日本大震災が発生し、
数多くの日本人が、戸惑いながら重苦しい閉塞感につつまれていた・・。

そして6月末よりドイツで開催された2011 FIFA女子ワールドカップでは、
「なでしこジャパン」は予想以上に健闘し、その後は優勝という栄冠をもたらした。

私も圧倒的に感動したひとりなので、過ぎし時に投稿文を認(したた)めたひとりである。

7月25日に於いて、【 なでしこジャパンに国民栄誉賞の授与検討、民主党政権に於いて、初めて国民の心情を理解し・・。】
と題して、このサイトに投稿しているが、あえて再掲載をする。

【・・
私はいつものように読売新聞の夕刊を読んでいたら、一面の中央の上段に、

《 なでしこ 国民栄誉賞
             官房長官 表明 》

と見出しされた記事を読み、
枝野官房長官は本日の25日、『なでしこジャパン』に国民栄誉賞の授与する意向を表明した、
と私は知った。

私は民主党政権が一昨年の初秋に発足以来、初めて国民の心情の期待に応えた決断、
と思いながら、微苦笑させられ、何よりも良かった、と安堵したりした。


私は平素からサッカーにも関心がなく、
初めて『なでしこジャパン』の存在を知ったのは、
何かしら「FIFA女子ワールドカップ ドイツ 2011」がドイツで行われ、
大会3連覇を狙う開催国ドイツに、延長戦の末1-0で勝利した、
とNHKのテレビ・ニュースで知ってからである。

そして準決勝は背の高い選手が揃っているスウェーデンと対戦することになり、
できたら日本は奮戦して勝って欲しいけれど、無理だろうと、
と私は思っていた。
しかし、NHKのテレビ・ニュースで、
何か得意のパスサッカーで3-1で快勝して、決勝進出を果たす、
と知り、驚いたりした。

その後、決勝は世界ランキング1位のアメリカで、日本はこれまで1度も勝利できなかったことを知り、
これまで『なでしこジャパン』は、良く奮戦してくれた、
とサッカーに無知な私でも、秘かに感謝をした。

そして『なでしこジャパン』は、終始アメリカの猛攻にさらされながらも、
延長戦に持ち込み、先行された延長も残り4分、澤選手の同点弾で2-2となり、
PK戦の末、無敵のアメリカに対し初勝利の偉業を達成した、
とNHKのテレビ・ニュースのダイジェトで私は知った・・。

何かしら日本のサッカーの世界で、男子チームを含めて、
日本代表としては初のFIFA主催の世界大会優勝という快挙を成し遂げた、
とニュースは伝えていた。

私はサッカーに無知であったが、こうした熱戦の末、『なでしこジャパン』の各選手の奮闘に、
圧倒的な感銘を受けた・・。

このように今回の女子のサッカーの世界大会を感じたりし、
そして一昨年の初秋に民主党の政権発足して、益々政治は混迷を深める中、
今年の3月11日に発生した東日本大震災、そして福島原発・・
息苦しい閉塞感を私は感じながら過ぎしてきたが、
今回の『なでしこジャパン』の偉業に、圧倒的に感動を頂き、
何よりも日本の数多くの人々に、日本の復興への道に希望をもたらした、
と私は感じたりした。

過日、『なでしこジャパン』のメンバーが帰国し、
菅首相が首相官邸に招待された時、この時に何らかの形で多大な貢献をもたらしたメンバー全員に、
国家議員から感謝の賛同金を徴収した上で、
それぞれの方に特別勲章、そして1000万円ぐらいの賞与を与えて欲しい、
と私は願っていたが、やはり菅総理の感性では無理であった、と私は苦笑した。

今回、遅ればせながら、国民栄誉賞を政府が授与検討したのは、当然なことながら、
大いに賛意である。
・・】

このようにサッカーに無知な私でも、感銘を受けた後、
国民栄誉賞を政府が授与検討したニュースを知った後、投稿文を綴り、投稿したのである。

改めて、《流行語大賞に「なでしこジャパン」》は、国民のひとりとして素直に理解できます、
と私は心の中で呟(つぶや)いている。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石堂 淑朗(いしどう ・としろう)氏の死去を知り、しなやかに自身の信条を貫(つらぬ)いた人・・。

2011-12-01 16:48:33 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
先ほど、ネットのニュースで映画、テレビの脚本家、そして評論家であった石堂淑朗(いしどう・ としろう)氏の死去を知った。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/111201/ent11120112230008-n1.htm
☆【MSN産経ニュース】<==《 脚本家の石堂淑朗氏が死去 「日本の夜と霧」「黒い雨」》☆

私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年に、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退して、映画青年の真似事をしたりした。

こうした時期に、日本の映画も映画館に通い、多々の名画を鑑賞した。

大島渚作品の『太陽の墓場』(1960年)、『日本の夜と霧』(1960年)、浦山桐郎作品の『非行少女』(1963年)、
吉田喜重作品の『水で書かれた物語』(1965年)などを鑑賞して、
脚本が石堂淑朗氏と知り、私がめざした分野と違うが、脚本の構成の大切さなどを学んだ。

その後の私は、文学青年の真似事をした後、はかなくも挫折して、
やむなく民間会社に中途入社した後も、ときおり映画を観たりした。
氏の脚本としては、実相寺昭雄作品の『無常』(1970年)、蔵原惟繕作品の『南極物語』(1983年)、
今村昌平監督『黒い雨』(1989年)などが記憶として残っている。

或いはテレビのシナリオとして、
氏の『三匹の侍』(1963年、フジテレビ)、『子連れ狼』(1973年、日本テレビ)も私は視聴した記憶がある。

そして後年に、月刊雑誌の『新潮45』に、氏の寄稿された随筆を精読したり、
単行本として『石堂淑朗の百面相破れかぶれ』(朝日新聞社、1991年)を購読したり、
私は大人の世間の視方を多々教示されたりした。

こうした間に、何かの本で、
《・・かつて左翼色の濃厚な作品を多く手がけてきたが、近年は政治的に保守派の論客となり、
多くの評論を書いている。・・》
と私は読んだ記憶もある。


もとより氏の映画、テレビの作品で数多くの脚本も担当され、
随筆などを多々寄稿されてきたが、私が触れたのはわずか一部であるが、
氏は時代が大きく変貌してきた中で、筆一本で、
この過ぎてきた時代をしなやかに自身の信条を貫(つらぬ)いてきた稀(まれ)な人、
と改めて私は感じ、敬服させられる。

そして私は、まぎれない気骨ある大人の視線のある人が死去された、と思い馳せながら、
私の心を揺さぶったひとりの怖い人が亡くなってしまった、と寂しい心情がある。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月の『錦繍月』に別れを告げ、12月の『師走』に高齢者の私でも、元気よく迎え・・。

2011-12-01 11:04:07 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨夜、私は朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)に彩(いろど)った11月に別れを告げて、
今年も確かな秋が受容できました、と感謝しながらカレンダーを破いたのである。
そして、『師走(しわす)』の12月に、こんにち~は、と心の中で呟(つぶや)いたのであるが、
月日の流れは余りにも早く過ぎ去った、というのが実感である。

今朝の7時過ぎに、地元の天気情報を見たら、
朝の6時過ぎは7度、昼下がりの最高気温は6度前後、夜の6時は5度前後で、
冷たい雨が降る小庭をぼんやりと眺め、微苦笑したのである。

昨日は朝の6時は8度、昼下がりは16度、そして夕暮れの6時は13度となり、
秋日和の余情のような快晴の中、たまたま家内から誘われて、都心のデパートに買い物に行ったりし、
自宅から最寄駅まで10分ばかりの旧街道を私たち夫婦は歩き、
のどかな陽射しの中、朱紅色、黄色に染められた錦繍に彩った情景を享受したりした。

昨日の11月の暦(こよみ)にさよならし、新たな12月を迎えたが、
たった一日で11月の初めのような陽気から、冬のような寒さとなり、
天上の気候の神々の采配に私は戸惑って、どうしてなの、と空を見上げながら呟(つぶや)いたりした。

12月は、古来より『師走』とか『年満月』と称されているが、
幼年期の頃に農家の児として育てられた田舎者の私は、
何かの本で中世の頃は、『為果(しは)月』とも命名されているのを学んだりしてきた。
たとえ身体は衰えてきたが、少なくとも気力と感性だけは12歳ぐらい若い、と私だけが思っているので、
今年最後の12月ぐらいは、何とか目標をたてて成果ある月に、しなければならない、
自身にすまない、と思ったりしているのである。


定年後の12月の毎年の私の習(なら)わしは、
年賀状を差し出す方の選定、文案の創作、投函することだし、
そして年末年始に向けて庭の手入れをして、
或いは御節料理に準じたの材料で、家内からの緊急要請で私の買物に行く回数が増えるぐらいとなっている。

あとは独り住まいの家内の母に年末の28日にに来宅して頂き、
私たち夫婦と共に三人で年始の1月4日まで共に過ごすぐらいが、恒例となったりしている。

しかし、家内の足手まといならないように、本年こそは大掃除を少しばかり手伝い、
秘かに決意しているのである。


振り返れば、今年は私が9月下旬に高齢者の3年生に進級して67歳になり、
家内も12月下旬に62歳となり、
名実共に年金受給の夫婦となり、ときおり2人で一人前と感じることもある。


この間、私たち夫婦の共通の趣味は、国内旅行であり、特に冬の季節の旅に魅了されるので、
この12月20日過ぎに4泊5日で、
北海道のある厳冬地で雪が舞い降り情景を観る小旅行を予約をしている。


このように本年の12月を過ごす予定であるが、
果たしてどのようになるか、と小庭にある朱紅色に染められたモミジを眺めたりし、
微苦笑したりしている。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする