私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
先ほど、ぼんやりと雨上がりのベランダに下り立つと、
昨今は曜日の感覚も定まらいが、確か9日の金曜日だったと思ったりした。
そして毎年10日には官公庁の冬季のボーナス支給日だった、と思いながら、
たまたま10日は土曜日なので、今年は本日の9日が支給日かしら、と思い重ねたりした。
昨今、新聞の折込みチラシなどで、お歳暮の商品、クリスマスの贈り物、御節料理など、
掲載されているので、早くも歳末に向っていると教示されたりしている。
この時節、現役の諸兄諸姉たちの多くは、冬季のボーナスの頂いたり、
そして忘年会、お歳暮の挨拶など、
その上、何かと業務も年度末を迎えているので、何かとお忙しく、心身お疲れとなっているが、
頑張られているのではないかしら、と思ったりしたのである。
私は民間の中小業ある音楽業界のあるレコード会社に
35年近く勤めて2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身であるが、
現役時代は数多くのサラリーマンの人たちと同様に、
特にこの時節は、睡眠時間を削り、奮闘していたひとりである。
そして、ボーナスが支給された週末の休日には、
お歳暮の挨拶廻り、母の住んでる処に寄ったりしていたので、
この師走のなかば頃の思いも重ねながら、ぼんやりと思い馳せたりした・・。
たまたま、このサイトで綴ってきたので、先ほど読み返し、
独り苦笑しながら、あのようなこともあったなぁ、と懐かしげに読み返したりした・・。
【 お歳暮の頃の想いで・・♪ 】
と題して、2006年12月2日に投稿している。
【・・
私の現役時代は、お歳暮などの社交辞令は何かと苦手であったので、なるべく避けていた。
しかし不得意な私でも、人生の岐路にたたされた時、
或いは救いの手を差しのべて下さった方には感謝して、
もとより年賀状は送信し、お中元、お歳暮の時は、ご自宅に訪問させて頂いた。
私の就職、結婚の時は、特にご尽力を頂いて、感謝している方である。
私が大学を中退し、映画・文学青年の真似事をして、
やがて敗退し、やむなくサラリーマンに転身する為にコンピュータの専門学校で一年修身した。
そして私が25歳の1970〈昭和45〉年の春、
この当時は大手の音響・映像メーカーのある会社に中途入社できたことは、
この会社の首脳陣のひとりに、ご尽力して頂だいたことも要因のひとつである。
そして私たち夫婦が結婚する時に、何かとお世話になり、
ご自宅に訪問した折、温かなまなざしで私に応対してくれた。
そして奥様もさりげなく優しく言葉、しぐさなど包みこんで下さり、
私たち夫婦は、このご夫婦から高潔さを教示された。
このような形を25年過ぎれば、私も齢を重ねたが、
このご夫妻からは、素養が格段違う、と私たち達夫婦は共は実感させられたりした。
私の定年退職の時、私たち夫婦の年金生活では、とても口に出来ない高価な美酒を頂戴した後、
まもなくご高齢であったご主人は亡くなわれた。
そして告別式に私たち夫婦は参列させて頂き、改めて高潔なお人であった、
と思い馳(はせた)りした。
・・】
【 私なりのボーナスの想いで・・♪】
と題して、このサイトに2007年12月11日に投稿している。
【・・
昨日のニュースで官公庁の冬季のボーナスが支給され、
民間会社の多くも既に支給された会社もある、と報じられ、私は微苦笑したりしていた。
私は中小業の民間会社を卒業した年金生活の4年生の身であるので、
あの頃は、ボーナスを頂いた時が想いだされた・・。
20代の頃の独身時代は、スーツ、ワイシャツ、ネクタイ、通勤靴、通勤バックなどを買い揃えて、
母に幾ばくかを手渡し、そして呑み屋さんに通っても、程々の貯金が出来た。
30代の初め、結婚し、賃貸マンションに入居するまで、
無知な私でも結構お金を要すると解り、実家の長兄から、ある程度の額を借用したので、
ボーナスを頂くたびに返済した。
この2年間の期間は、返済していても、私たち夫婦の新婚時代は多少の貯蓄は出来た。
この後、私は実家の近くに一戸建てをするのであるが、
土地、住宅建築まで多大な経費となり、 その上に若さの勢いで家屋の中に茶室を設けたりし、
住宅金融公庫を根底とし、幾つかの金融機関からローンを設定した。
こうした関係もあり、このローンが50代の初めの頃まで、
ボーナスを頂く度に若い時は30%前後、その後の40代は25%前後を返済していた。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったけれど、
住宅に関する購入は、普通のサラリーマンの身としては、人生で一番高い買物かしら、
と心身実感させられた時代であった。
50代の初め、ローンの一括返済をした後、
老後の人生設計の基礎となす資金の為、貯蓄を大半し、定年退職を迎えた。
このようなボーナスを頂くたびの軌跡であったが、
どなたも同じと思われるが、サラリーマンの現役時代には大波、小波に遭遇し、
家内と何とか乗り切り、今日を迎えているのである。
私は築後30年の古惚けた家に住み、
程々の広さの庭で、樹木を眺めながら、あんな時代もあった、
と思いを馳(は)せたりしている。
尚、私は家内を戦友と思っている。
人生の過ごす時に、公私共々何かと確執があったりするので、
私達夫婦は互いの欠点を補(おぎな)いながら寝食を共にし、
無条件に寄り掛かれる随一の人、と実感しているからである。
・・】
【 『サイレント・イヴ』の想いで・・♪ 】
と題して、2007年12月24日にこのサイトに投稿している。
【・・
私は、定年退職後の4年生の身であるが、
この時節、ときおり辛島美登里の『サイレント・イヴ』がテレビ、ラジオで聴いたりすると、
苦く懐かしい想いでが甦(よみが)ってくる・・。
私の現役時代、あるレコード会社の20年ばかり情報管理畑に勤務していたが、
リストラの影響で不馴れな経理畑に人事異動させられ、
その上、レコード会社の統廃合が行われ時期であり、
私は当然ながら睡眠時間を削り、奮闘していた時代であった。
そして、統廃合で社員の交流をお互いに深め、目先の不馴れな業務に励んでいたので、
心身疲れきっていたのである・・。
こうした折、12月の初め、統廃合で知り合った後輩の人から、
私の机上に一枚のCDアルバムを置いていった。
『昨年に発売したのですが、よかったら聴いて下さい』
とメモが綴られていた。
『Keep Christmas With You』というアルバムのタイトルで、
CDのジャケットが洒落ていた。
初回限定 特製スノープレート付きと明示され、ジャケットを少し振ると、
森の中に拓かれ大きな樅(モミ)の樹の周辺に雪が降るのであった。
そして辛島美登里の『サイレント・イヴ』、稲垣潤一の『メリー・クリスマスが言えない』、
永井真理子の『ZUTTO~Xmaz Version~』等が収録されていた。
その後、まもなくお歳暮の挨拶を家内と数軒廻っている時、
疲れたので駅前の喫茶店で休息をしていた時、
♪真白な粉雪 人は立ち止まり
心が求める場所を 思い出すの
【『サイレント・イヴ』 作詞・作曲 辛島美登里、編曲・若草 恵、唄・辛島美登里】
店内から流れてきた。
私は、もう少ししたらクリスマスかょ、と心の中で呟(つぶや)いて、
歳末の仕事納めの日まで、数多くの業務を思案したりすると、
尚更ぐったりと心身の疲れが増してきた・・。
私にとっては、今でもこの曲を聴くたびに、
現役時代で一番労苦の多い時だった、と想いだしたりしている。
・・】
このように私は綴っていたのを読み返し、現役の諸兄諸姉は、
何かと短期に成果を問われる大変な時代と思ったりしている。
しかしながら業務に精勤する余りお身体だけは、程々に大切にして欲しい、と感じている。
こうした中で、休日のひとときは、愛する人と過ごしたり、
或いはご家族のある方は、最愛の連れ合い、そしてお子様と安らぎの時を過ごして下さい、
と無力な私であるが、何よりも念願したりしている。
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先ほど、ぼんやりと雨上がりのベランダに下り立つと、
昨今は曜日の感覚も定まらいが、確か9日の金曜日だったと思ったりした。
そして毎年10日には官公庁の冬季のボーナス支給日だった、と思いながら、
たまたま10日は土曜日なので、今年は本日の9日が支給日かしら、と思い重ねたりした。
昨今、新聞の折込みチラシなどで、お歳暮の商品、クリスマスの贈り物、御節料理など、
掲載されているので、早くも歳末に向っていると教示されたりしている。
この時節、現役の諸兄諸姉たちの多くは、冬季のボーナスの頂いたり、
そして忘年会、お歳暮の挨拶など、
その上、何かと業務も年度末を迎えているので、何かとお忙しく、心身お疲れとなっているが、
頑張られているのではないかしら、と思ったりしたのである。
私は民間の中小業ある音楽業界のあるレコード会社に
35年近く勤めて2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身であるが、
現役時代は数多くのサラリーマンの人たちと同様に、
特にこの時節は、睡眠時間を削り、奮闘していたひとりである。
そして、ボーナスが支給された週末の休日には、
お歳暮の挨拶廻り、母の住んでる処に寄ったりしていたので、
この師走のなかば頃の思いも重ねながら、ぼんやりと思い馳せたりした・・。
たまたま、このサイトで綴ってきたので、先ほど読み返し、
独り苦笑しながら、あのようなこともあったなぁ、と懐かしげに読み返したりした・・。
【 お歳暮の頃の想いで・・♪ 】
と題して、2006年12月2日に投稿している。
【・・
私の現役時代は、お歳暮などの社交辞令は何かと苦手であったので、なるべく避けていた。
しかし不得意な私でも、人生の岐路にたたされた時、
或いは救いの手を差しのべて下さった方には感謝して、
もとより年賀状は送信し、お中元、お歳暮の時は、ご自宅に訪問させて頂いた。
私の就職、結婚の時は、特にご尽力を頂いて、感謝している方である。
私が大学を中退し、映画・文学青年の真似事をして、
やがて敗退し、やむなくサラリーマンに転身する為にコンピュータの専門学校で一年修身した。
そして私が25歳の1970〈昭和45〉年の春、
この当時は大手の音響・映像メーカーのある会社に中途入社できたことは、
この会社の首脳陣のひとりに、ご尽力して頂だいたことも要因のひとつである。
そして私たち夫婦が結婚する時に、何かとお世話になり、
ご自宅に訪問した折、温かなまなざしで私に応対してくれた。
そして奥様もさりげなく優しく言葉、しぐさなど包みこんで下さり、
私たち夫婦は、このご夫婦から高潔さを教示された。
このような形を25年過ぎれば、私も齢を重ねたが、
このご夫妻からは、素養が格段違う、と私たち達夫婦は共は実感させられたりした。
私の定年退職の時、私たち夫婦の年金生活では、とても口に出来ない高価な美酒を頂戴した後、
まもなくご高齢であったご主人は亡くなわれた。
そして告別式に私たち夫婦は参列させて頂き、改めて高潔なお人であった、
と思い馳(はせた)りした。
・・】
【 私なりのボーナスの想いで・・♪】
と題して、このサイトに2007年12月11日に投稿している。
【・・
昨日のニュースで官公庁の冬季のボーナスが支給され、
民間会社の多くも既に支給された会社もある、と報じられ、私は微苦笑したりしていた。
私は中小業の民間会社を卒業した年金生活の4年生の身であるので、
あの頃は、ボーナスを頂いた時が想いだされた・・。
20代の頃の独身時代は、スーツ、ワイシャツ、ネクタイ、通勤靴、通勤バックなどを買い揃えて、
母に幾ばくかを手渡し、そして呑み屋さんに通っても、程々の貯金が出来た。
30代の初め、結婚し、賃貸マンションに入居するまで、
無知な私でも結構お金を要すると解り、実家の長兄から、ある程度の額を借用したので、
ボーナスを頂くたびに返済した。
この2年間の期間は、返済していても、私たち夫婦の新婚時代は多少の貯蓄は出来た。
この後、私は実家の近くに一戸建てをするのであるが、
土地、住宅建築まで多大な経費となり、 その上に若さの勢いで家屋の中に茶室を設けたりし、
住宅金融公庫を根底とし、幾つかの金融機関からローンを設定した。
こうした関係もあり、このローンが50代の初めの頃まで、
ボーナスを頂く度に若い時は30%前後、その後の40代は25%前後を返済していた。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったけれど、
住宅に関する購入は、普通のサラリーマンの身としては、人生で一番高い買物かしら、
と心身実感させられた時代であった。
50代の初め、ローンの一括返済をした後、
老後の人生設計の基礎となす資金の為、貯蓄を大半し、定年退職を迎えた。
このようなボーナスを頂くたびの軌跡であったが、
どなたも同じと思われるが、サラリーマンの現役時代には大波、小波に遭遇し、
家内と何とか乗り切り、今日を迎えているのである。
私は築後30年の古惚けた家に住み、
程々の広さの庭で、樹木を眺めながら、あんな時代もあった、
と思いを馳(は)せたりしている。
尚、私は家内を戦友と思っている。
人生の過ごす時に、公私共々何かと確執があったりするので、
私達夫婦は互いの欠点を補(おぎな)いながら寝食を共にし、
無条件に寄り掛かれる随一の人、と実感しているからである。
・・】
【 『サイレント・イヴ』の想いで・・♪ 】
と題して、2007年12月24日にこのサイトに投稿している。
【・・
私は、定年退職後の4年生の身であるが、
この時節、ときおり辛島美登里の『サイレント・イヴ』がテレビ、ラジオで聴いたりすると、
苦く懐かしい想いでが甦(よみが)ってくる・・。
私の現役時代、あるレコード会社の20年ばかり情報管理畑に勤務していたが、
リストラの影響で不馴れな経理畑に人事異動させられ、
その上、レコード会社の統廃合が行われ時期であり、
私は当然ながら睡眠時間を削り、奮闘していた時代であった。
そして、統廃合で社員の交流をお互いに深め、目先の不馴れな業務に励んでいたので、
心身疲れきっていたのである・・。
こうした折、12月の初め、統廃合で知り合った後輩の人から、
私の机上に一枚のCDアルバムを置いていった。
『昨年に発売したのですが、よかったら聴いて下さい』
とメモが綴られていた。
『Keep Christmas With You』というアルバムのタイトルで、
CDのジャケットが洒落ていた。
初回限定 特製スノープレート付きと明示され、ジャケットを少し振ると、
森の中に拓かれ大きな樅(モミ)の樹の周辺に雪が降るのであった。
そして辛島美登里の『サイレント・イヴ』、稲垣潤一の『メリー・クリスマスが言えない』、
永井真理子の『ZUTTO~Xmaz Version~』等が収録されていた。
その後、まもなくお歳暮の挨拶を家内と数軒廻っている時、
疲れたので駅前の喫茶店で休息をしていた時、
♪真白な粉雪 人は立ち止まり
心が求める場所を 思い出すの
【『サイレント・イヴ』 作詞・作曲 辛島美登里、編曲・若草 恵、唄・辛島美登里】
店内から流れてきた。
私は、もう少ししたらクリスマスかょ、と心の中で呟(つぶや)いて、
歳末の仕事納めの日まで、数多くの業務を思案したりすると、
尚更ぐったりと心身の疲れが増してきた・・。
私にとっては、今でもこの曲を聴くたびに、
現役時代で一番労苦の多い時だった、と想いだしたりしている。
・・】
このように私は綴っていたのを読み返し、現役の諸兄諸姉は、
何かと短期に成果を問われる大変な時代と思ったりしている。
しかしながら業務に精勤する余りお身体だけは、程々に大切にして欲しい、と感じている。
こうした中で、休日のひとときは、愛する人と過ごしたり、
或いはご家族のある方は、最愛の連れ合い、そしてお子様と安らぎの時を過ごして下さい、
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