夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

冬のボーナス、私の現役のサラリーマン時代に頂いた後、休日の頃を思い馳せれば・・。

2011-12-09 14:06:47 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
先ほど、ぼんやりと雨上がりのベランダに下り立つと、
昨今は曜日の感覚も定まらいが、確か9日の金曜日だったと思ったりした。

そして毎年10日には官公庁の冬季のボーナス支給日だった、と思いながら、
たまたま10日は土曜日なので、今年は本日の9日が支給日かしら、と思い重ねたりした。

昨今、新聞の折込みチラシなどで、お歳暮の商品、クリスマスの贈り物、御節料理など、
掲載されているので、早くも歳末に向っていると教示されたりしている。

この時節、現役の諸兄諸姉たちの多くは、冬季のボーナスの頂いたり、
そして忘年会、お歳暮の挨拶など、
その上、何かと業務も年度末を迎えているので、何かとお忙しく、心身お疲れとなっているが、
頑張られているのではないかしら、と思ったりしたのである。


私は民間の中小業ある音楽業界のあるレコード会社に
35年近く勤めて2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身であるが、
現役時代は数多くのサラリーマンの人たちと同様に、
特にこの時節は、睡眠時間を削り、奮闘していたひとりである。

そして、ボーナスが支給された週末の休日には、
お歳暮の挨拶廻り、母の住んでる処に寄ったりしていたので、
この師走のなかば頃の思いも重ねながら、ぼんやりと思い馳せたりした・・。

たまたま、このサイトで綴ってきたので、先ほど読み返し、
独り苦笑しながら、あのようなこともあったなぁ、と懐かしげに読み返したりした・・。


【 お歳暮の頃の想いで・・♪ 】
と題して、2006年12月2日に投稿している。

【・・
私の現役時代は、お歳暮などの社交辞令は何かと苦手であったので、なるべく避けていた。

しかし不得意な私でも、人生の岐路にたたされた時、
或いは救いの手を差しのべて下さった方には感謝して、
もとより年賀状は送信し、お中元、お歳暮の時は、ご自宅に訪問させて頂いた。

私の就職、結婚の時は、特にご尽力を頂いて、感謝している方である。

私が大学を中退し、映画・文学青年の真似事をして、
やがて敗退し、やむなくサラリーマンに転身する為にコンピュータの専門学校で一年修身した。
そして私が25歳の1970〈昭和45〉年の春、
この当時は大手の音響・映像メーカーのある会社に中途入社できたことは、
この会社の首脳陣のひとりに、ご尽力して頂だいたことも要因のひとつである。

そして私たち夫婦が結婚する時に、何かとお世話になり、
ご自宅に訪問した折、温かなまなざしで私に応対してくれた。
そして奥様もさりげなく優しく言葉、しぐさなど包みこんで下さり、
私たち夫婦は、このご夫婦から高潔さを教示された。

このような形を25年過ぎれば、私も齢を重ねたが、
このご夫妻からは、素養が格段違う、と私たち達夫婦は共は実感させられたりした。

私の定年退職の時、私たち夫婦の年金生活では、とても口に出来ない高価な美酒を頂戴した後、
まもなくご高齢であったご主人は亡くなわれた。

そして告別式に私たち夫婦は参列させて頂き、改めて高潔なお人であった、
と思い馳(はせた)りした。
・・】


【 私なりのボーナスの想いで・・♪】
と題して、このサイトに2007年12月11日に投稿している。

【・・
昨日のニュースで官公庁の冬季のボーナスが支給され、
民間会社の多くも既に支給された会社もある、と報じられ、私は微苦笑したりしていた。

私は中小業の民間会社を卒業した年金生活の4年生の身であるので、
あの頃は、ボーナスを頂いた時が想いだされた・・。

20代の頃の独身時代は、スーツ、ワイシャツ、ネクタイ、通勤靴、通勤バックなどを買い揃えて、
母に幾ばくかを手渡し、そして呑み屋さんに通っても、程々の貯金が出来た。

30代の初め、結婚し、賃貸マンションに入居するまで、
無知な私でも結構お金を要すると解り、実家の長兄から、ある程度の額を借用したので、
ボーナスを頂くたびに返済した。
この2年間の期間は、返済していても、私たち夫婦の新婚時代は多少の貯蓄は出来た。

この後、私は実家の近くに一戸建てをするのであるが、
土地、住宅建築まで多大な経費となり、 その上に若さの勢いで家屋の中に茶室を設けたりし、
住宅金融公庫を根底とし、幾つかの金融機関からローンを設定した。

こうした関係もあり、このローンが50代の初めの頃まで、
ボーナスを頂く度に若い時は30%前後、その後の40代は25%前後を返済していた。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったけれど、
住宅に関する購入は、普通のサラリーマンの身としては、人生で一番高い買物かしら、
と心身実感させられた時代であった。

50代の初め、ローンの一括返済をした後、
老後の人生設計の基礎となす資金の為、貯蓄を大半し、定年退職を迎えた。

このようなボーナスを頂くたびの軌跡であったが、
どなたも同じと思われるが、サラリーマンの現役時代には大波、小波に遭遇し、
家内と何とか乗り切り、今日を迎えているのである。

私は築後30年の古惚けた家に住み、
程々の広さの庭で、樹木を眺めながら、あんな時代もあった、
と思いを馳(は)せたりしている。

尚、私は家内を戦友と思っている。
人生の過ごす時に、公私共々何かと確執があったりするので、
私達夫婦は互いの欠点を補(おぎな)いながら寝食を共にし、
無条件に寄り掛かれる随一の人、と実感しているからである。
・・】


【 『サイレント・イヴ』の想いで・・♪ 】
と題して、2007年12月24日にこのサイトに投稿している。

【・・
私は、定年退職後の4年生の身であるが、
この時節、ときおり辛島美登里の『サイレント・イヴ』がテレビ、ラジオで聴いたりすると、
苦く懐かしい想いでが甦(よみが)ってくる・・。

私の現役時代、あるレコード会社の20年ばかり情報管理畑に勤務していたが、
リストラの影響で不馴れな経理畑に人事異動させられ、
その上、レコード会社の統廃合が行われ時期であり、
私は当然ながら睡眠時間を削り、奮闘していた時代であった。

そして、統廃合で社員の交流をお互いに深め、目先の不馴れな業務に励んでいたので、
心身疲れきっていたのである・・。

こうした折、12月の初め、統廃合で知り合った後輩の人から、
私の机上に一枚のCDアルバムを置いていった。

『昨年に発売したのですが、よかったら聴いて下さい』
とメモが綴られていた。

『Keep Christmas With You』というアルバムのタイトルで、
CDのジャケットが洒落ていた。
初回限定 特製スノープレート付きと明示され、ジャケットを少し振ると、
森の中に拓かれ大きな樅(モミ)の樹の周辺に雪が降るのであった。

そして辛島美登里の『サイレント・イヴ』、稲垣潤一の『メリー・クリスマスが言えない』、
永井真理子の『ZUTTO~Xmaz Version~』等が収録されていた。

その後、まもなくお歳暮の挨拶を家内と数軒廻っている時、
疲れたので駅前の喫茶店で休息をしていた時、


♪真白な粉雪 人は立ち止まり
 心が求める場所を 思い出すの

【『サイレント・イヴ』 作詞・作曲 辛島美登里、編曲・若草 恵、唄・辛島美登里】

店内から流れてきた。

私は、もう少ししたらクリスマスかょ、と心の中で呟(つぶや)いて、
歳末の仕事納めの日まで、数多くの業務を思案したりすると、
尚更ぐったりと心身の疲れが増してきた・・。


私にとっては、今でもこの曲を聴くたびに、
現役時代で一番労苦の多い時だった、と想いだしたりしている。
・・】


このように私は綴っていたのを読み返し、現役の諸兄諸姉は、
何かと短期に成果を問われる大変な時代と思ったりしている。
しかしながら業務に精勤する余りお身体だけは、程々に大切にして欲しい、と感じている。

こうした中で、休日のひとときは、愛する人と過ごしたり、
或いはご家族のある方は、最愛の連れ合い、そしてお子様と安らぎの時を過ごして下さい、
と無力な私であるが、何よりも念願したりしている。


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早朝に目覚めれば、今日も雨かょ、と思いながら、早くも冬眠のような時を過ごし・・。

2011-12-09 09:48:35 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨日は今年最後の樹木の剪定(せんてい)作業をしょう、と私は体力も衰えた身であるが、
久々に気合いを入れて張り切っていた・・。
しかし夕方から小雨が降る天気情報が、なぜかしら昼過ぎから雨と報じられ、やむなく延期した。
そして、何かしらは不意にはハシゴを外されたように、心身調子抜けとなったりした。

午後になると小雨が降りだし、私は居間のソファで文庫本を読んでいた。
過日、買い求めた松山善三、高峰秀子ご夫妻の『旅は道づれアロハ・ハワイ』〈中公文庫〉であるが、
中断し、二階の寝室の布団にもぐりこんだ。
そして電気毛布の暖かさに甘えながら、
この文庫本の『旅は道づれアロハ・ハワイ』〈中公文庫〉を読んだりしていた。

私はたった一度だけハワイ旅行の体験を重ねながら、ご夫妻のハワイを生活と思いを多々教示されたりし、
ひととき眠ってしまったが、目覚めれば本の続きを読む、冬眠のような時を過ごした・・。

そして夕食の時に、久々にバーボン・ウィスキーを吞みながら、
家内と今後の冬の旅を3つばかり予約しているので、この話に盛り上がり、
2時間ばかり話し合った。

その後は、9時過ぎに布団にもぐり、この文庫本の『旅は道づれアロハ・ハワイ』〈中公文庫〉を読み、
一時間ぐらい読むうちに、眠り込んでしまった。


目覚めれば、夢を思いだしながら、私は松山善三、高峰秀子ご夫妻とお逢いし、
私は羞恥心をたたえて、まぶしげに敬愛するご夫妻に応対していた・・、
夢であったので、苦笑してしまった。

私は現実には、松山善三、高峰秀子ご夫妻とお逢いしたことがないが、
わずか一度だけ、偶然に高峰秀子さんだけは、若し日の私は紹介されたことがある。

東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の秋、
私は映画の脚本家になりたくて、大学を中退し、映画青年の真似事をしていた時であった。
そして確か冬の日だったと記憶しているが、私は東宝の撮影所で、
宣伝部の方と話し合っていた時、
たまたま高峰秀子さんがこちらに向かって来た時があった。

宣伝部の方が飛び出て、
『この青年・・大学を中退し、この世界に・・』
と話されていた・・。

『こんにちは・・でも・・もったいないわ・・大学をお辞(や)めになるなんて・・
でもねぇ・・大変ょ・・この世界は・・』
と高峰秀子さんは私に云った。

私はこの当時も大女優であった高峰秀子さんとは、
これが出会いであったが、これ以降はお逢いしたことがない。

この後の私は、映画青年、その後の文学青年の真似事もあえなく敗退して、
やむなく中小業のサラリーマンに転身した苦い時期もあった。


私は日頃の強い思いが秘めていると、脳裏に残像となり、なぜかしら夢の世界まで出てくることが、
多いので、微苦笑したりする。

この後、一回のトイレに寄った後、時計を見たら5時だった。
そして洗面所の横窓から、玄関庭を見ると、薄暗い中、雨が降っていた・・。
『今日も雨かょ・・』と私は呟〈つぶや〉きながら、
昨日の午後から、飽〈あ〉きる降る雨に、これだったら庭の樹木も濡れ、黒土も乾くこともないので、
庭の手入れも数日は延期しなけれはならないなぁ、と思ったりした。

そして私は再びぬくもりのある布団にもぐり、やがて眠り込んでしまった。

目覚めたのは7時半過ぎで、主庭に小雨が降る情景を眺めると、
早くも冬眠のように、ぐうだらな時を過ごしてしまった、と微苦笑を重ねたりした。


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