夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『日々ときめきを感じながら生きる』と帯津良一氏が明言され、私は我が人生の最良の時期だ、微笑み・・。

2011-12-04 16:14:37 | 定年後の思い
今朝、私はいつものように読売新聞の朝刊を読み終わった後、
ひとつの記事から、我が人生の最良の時期かしら、と微笑んだりした。

この記事は、13面の【文化】欄で日曜日の定期コーナーに於いて、【本のよみうり堂】があり、
この中のひとつとして、【文庫新書】がある。
昨今に出版された新書本の紹介の記事であり、今回は4冊の新書本の解説が掲載されていた。

この中の一冊の帯津良一(おびつ・りょういち)氏・著作の『〈達者な死に方〉練習帖』(文春新書)が紹介されていた。
無断であるが、この紹介記事を転記させて頂く。

《・・
東西の医学に精通した1936年生まれの老医師は
「養生」とは、安易な健康法ではなく〈生命を正しく養うこと〉たと説く。
だから酒量を心配する患者にもこう答える。
〈酒は養生だから、毎日飲まなきゃだめだよ〉。

養生とはつまり、日々ときめきを感じながら生きる、ということなのだ。
・・》
注〉記事の原文にあえて改行を多くした。


私はこの最後の一行に、天上の神々のような言葉を頂き、
思わず、我が人生の最良の時期だ、と感じながら微笑んだのである。

私は民間の音楽業界のある会社を35年近く勤め、2004(平成16)年の秋に定年退職となり、
その後は年金生活に入り、今日に至っている。

それまでの私の60年間の人生は、敗残者のようなことも幾たびか体験してきた。
このことは、このサイトに数多く綴ってきたのて、省略する。


私は東京郊外の調布市に住む67歳の高齢者3年生の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


こうした中で、何事も好奇心を失くしたら、この人生は終わり、と信条を掲げ、
興味のあることに、ときめきを感じながら過ごしている。

たとえば新聞の記事のひとつであったり、
購読した本を読みながら、行間から感じることに深くうなづき、思考させられたりする。

或いは買い物に行き、中高年の女性の言葉、しぐさに魅了された時、
素敵だよなぁ、と感じてしまうのである。

ある時は、散策とか旅行先で、限りなく美しい感じた情景に、
足を止めて、長らく見惚〈みと〉れてしまう・・。


年金生活8年生になっている今、厚生年金を頂き、ある程度の貯金を崩しながら生活しているが、
働たらくとも程ほどの自在の生活ができるのは、
もとより現役のサラリーマン時代には甘受できなかったことであり、
コーデン・イヤーズと称されている人生の黄金時代の60代は確かに的言、
と感じながら過ごしている。

尚、私が帯津良一(おびつ・りょういち)氏の思考を遅ればせながら学んだのは、
中央公論社が発行する『婦人公論』の2010年9月22日号(9月7日発売)に於いて、
特集記事のひとつ《 〈理想の最期を考える〉 誰にも迷惑をかけずに死ぬために 》を精読し、
教示させられてからである。


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高齢者の私でも、たった二人だけで、忘年会の真似事を重ねて、私は思わず微苦笑し・・。

2011-12-04 10:33:24 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭である。

民間の音楽業界のある会社を35年近く勤めて定年退職になったのは、
2004(平成16)年の秋で、そして年金生活に入り、今日に至っている。

この時節、現役の諸兄諸姉はまもなくボーナスシーズンを迎え、
そして忘年会を会社の同じ部署の人たち、或いは同僚たち、そして友人たち、
それぞれ懇親を深め12月中旬になると思われるが、何かしら遠い世界の出来事のように感じたりしている。


私の50代の前半の頃は、サラリーマンで私なりに奮闘し、
この12月は部内はもとより、同世代、悪友たちと、何かと忘年会と称して懇親会を重ねてきた。

そして50代の半ばに、リストラが盛んとなり、
早期退職優遇制度の名目で先輩、同僚、後輩たちが退職されたり、組織の統廃合により人事異動、
そして私のように出向となったりし、烈風の社内状況となった。

定年退職するまで、年に数回は互いに連絡して、東京に残った人たちと懇親会を重ねてきた。


その後、私の定年後になる頃は、病気で通院しているの・・、親の介護で・・、親が亡くなったので・・、
メンバーが欠落したのである。
そして、この時節になると、忘年会は2月頃に有志で集まってすれば、
と敬愛してきている先輩だった人から云われたりすると、
そうですよねぇ、と私は応(こた)えたりしてきたのである。

このように私は、この時節の忘年会と称した懇親会は、無念ながら消滅したのである。

昨今は、多くの退職された方たちも同様と思われるが、かっての会社時代の先輩、同僚、後輩たちの集いより、
家族の団欒はもとより、親族、親戚関係の冠婚葬祭が優先となっている。

そして私は近くに住む地元の小、中学の同級生と、最寄駅の居酒屋、食事処で逢い、
懇親を深めたりしている。
こうした時は、同級生の女性から、XXクン、と私は呼ばれたり、
悪友たちとは、お互いに苗字を呼び捨てにし、この世の一番気楽なグループ、と微苦笑したりしている。


このような心情で昨今は過ごしている私は、
たまたま過ぎし11月26日の土曜日に高校時代のひとり悪友と逢った。
私の高校3年生の時に、私は彼の実家に50回ぐらいは泊まったり、
彼も私の実家に少なく20回は泊まったりし、もとよりお互いの家族も懇親していた。

こうした間柄でも私が20歳を過ぎた頃から、私は映画・文学青年の真似事に邁進し、疎遠になったりし、
その後は彼の結婚式の披露宴に列席したぐらいとなった。
私が定年退職後になるまでは、お互いに年賀状を交わす程度で、
数年毎に電話をする程度となった。

そして私が定年後に毎年一回ぐらいは、お互いの住まいの中間点の『吉祥寺』の居酒屋で、
懇親を復活してきた。
親友か悪友、友人か解らないが、お互いに包み隠せず話し合える貴重な友である。

過日の26日は午後の5時に逢い、お互いの好きな単品を数多く注文し、
彼はビール、私は地酒を吞みながら、話し合った。
家族のこと、そして昨今の世情を憂いた後、
昭和妻の専業主婦、或いは居候のようなことが許された良き時代だったことなどが、
たまたま話題となり、話が尽きないのである。
結果として、終電のこともあり11時過ぎに散会とした。


昨日の3日の土曜日は、家内と『調布』駅の近くのスーパー、専門店に買い物に行った。
買い物を終えたのが午後4時過ぎで、
夕食を食事処で思案し、ワインを吞みながらイタリア料理、と思ったりしたが、
何かしら居酒屋チェーンのネオンが数多く観えたのである。

そして私は家内を誘い、あるチェーンに入店し、
お互いにビールを吞みながら、お互いの好きな食べ物を注文したりした。
居酒屋に関しては、私はサラリーマン時代を含めて長年に愛用してきたので、
こうした居酒屋の変貌を明るく話したり、或いはリストラ烈風で私の出向時代の心情、
同僚たちの動向を話題となってしまった。
そして苦節の時代があったが、今こうして過ごせるのは何よりだ、
と私は微苦笑を重ねて、家内に言ったりした。


このように偶然に土曜日の二週連続に、居酒屋で忘年会のような真似事をした私は、
我が人生に於いて初めてのことであり、このようなこともあるの、
と私は人生の采配の出来事に、苦笑しながら微笑んだりしている。


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