夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

中島みゆきさんの『荒野より』の歌を心の中で唄いながら、この冬一番の寒さを迎えて・・。

2011-12-17 12:02:27 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨日の日中は、家内のボディ・カード兼お供で、5時間ばかり買い物に行ったりしたが、
風もなく穏やかな冬晴れの12度前後の中、スーパー、専門店に歩き廻ったりした。

帰宅した後、まもなく北風が吹き、庭の朱紅色に染められたモミジは、
枝葉を震〈ふる〉わせて、やがて幾重の葉は空中に彷徨〈さまよ〉った後は、ゆるやかに地上に落下した。
我が家の住む地域は、晩秋も暖かな陽差しに恵まれて、平年よりも3週間ぐらい遅く、
今年初めてモミジの葉が地上に散乱したのであった。

深夜まで読書をした為、今朝は7時過ぎに起床し、
まばゆい陽射しを受けたテラスに下り立つと、モミジの葉は半分ぐらい散り、
樹木の周囲に落ち葉となり、朱紅色の落ち葉となって彩〈いろど〉っていた。
そして家屋の片隅に吹き寄せのように落ち葉が重なっていた。

庭の黒土は白いベェールのような霜〈しも〉となり、モミジの枝葉は陽射しを受け、
美麗な情景に見惚〈みと〉れていたが、寒いじゃないの、と感じた。

そして私は、昨今流行〈はや〉っている中島みゆきさんの『荒野より』の歌を、
心の中で唄っていたことに気付いた・・。


私は25年近く中島みゆきさんを女神のように信愛し、
このお方の幾つかの歌に支えられて、この人生の難局を乗り切ってきたひとりである。

確か10月中旬の頃から、家内はテレビのドラマで『南極大陸』を居間で視聴しているが、
私は犬も猫も苦手なので、このドラマのテーマ音楽の『荒野より』が聴こえると、
思わずテレビの画面に目が移るぐらいである。

もとより私は中島みゆきさんに関しては、かっては物狂いのような心酔した熱愛者となり、
40代の前半は、出勤や退社後もCDウォークマンで聴いたり、
帰宅後も毎晩アルバムの数々を聴いていた時期もあった。

その後は幾分平熱になってきたが、敬愛するひとりであり、、
この話題の概要も知っていたし、テーマ曲も馴染んできた・・。


私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味のひとつであり、特に雪の舞い降る情景に魅せられて、
この時節になると、雪恋し、心情となり、
今年の12月は、20日より北海道の帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊し、
そして未知の糠平〈ぬかひら〉温泉に2泊し訪れる。

私たち夫婦は何故かしら北海道の風土に魅せられて、幾たびか訪れてきたが、
無念ながら帯広の地域は、二度ばかりしかない。
最初は周遊観光で晩秋の時に、道東めぐりの2泊3日の最終で十勝地方を観たりし、
その後は、5月の知床半島のクルーズに魅了された後、旅の終わりとして十勝川温泉に宿泊したが、
いずれも雪のない時節であった。

私の心の奥底には、この十勝地方の帯広の冬のイメージは、
郊外の果てしなく拡がる大雪原の中、蒼穹(そうきゅう)の情景である。
厳冬の晴れ間の中、大地は凛とし、果てしなく青空が観えるのが、蒼穹(そうきゅう)の言葉に何よりも相応しい、
と思ったりしている。

こうした光景の中、中島みゆきさんが、小学時代の後半の頃から、帯広市の学校に学び、高校まで過ごされ、
やがて札幌市の女子大学の文学部国文学科に入学するまで、この帯広市で生活された時期もあり、
私なりにの情景を少しでも学びたい心情もあった。

もとより中島みゆきさんのご自身の随筆、そして中島みゆきさんに関しての書物は、
数多く読んできたし、祖父・中島武市で帯広市の議会議長なども歴任されたことも学んできた。


今回の旅は、このような思いで帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊した後、
いつに日か訪れることを夢にみていた山奥の糠平〈ぬかぴら〉温泉の厳冬地に行く。

いずれにしても地域でも、マイナス10度前後、烈風か寒気団が襲来すればマイナス20度前後と予測して、
防寒着で身を固めて散策する予定であるが、
旅の間に寒いと感じたら、昨今流行〈はや〉っている中島みゆきさんの『荒野より』の歌を、
心の中で唄えば、私は励〈はげ〉まされて身も心も暖かくなる、と思ったりしている。


このような心情を重ねてきた私は、昨今は何気なしに中島みゆきさんの『荒野より』の歌を、
心の中で唄うことが多いのである。

そして、先ほど私の住む地元の天気情報を見たら、
朝の6時はマイナス2度、昼下がりは8度前後、夜の6時は4度前後で冬晴れの一日、
帯広市の郊外の音更町の十勝川温泉観光協会のホームページを見ると、
朝の6時はマイナス15度、昼下がりは4度前後、夜の6時はマイナス6度前後で冬晴れの一日、
と表示されていた。

私は、やはり凛とした蒼穹(そうきゅう)の情景である、と微笑んだりしている。

尚、私は蒼穹(そうきゅう)という言葉を遅ればせながら知ったのは、
昭和55年(1980年)10月の初旬で、私が30代のなかばであった。

敬愛していた作家・立原正秋〈たちはら・まさあき〉氏が亡くなり、
遺稿エッセイ集として立原正秋・著の『冬の花』(新潮社)から発刊されて、
私は発刊日を待ち焦がれて、買い求めた一冊である。
この中のひとつに知人が古美術店を開き、命名を頼まれ『蒼穹』と氏は名付けられ、
その後に私は喚起させられた情景が上記に認〈したた〉めた心象である。

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コメント (2)
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