夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

総合月刊雑誌の『文藝春秋』を読まなければ、社会人として失格と思い、早や40数年が過ぎ・・。

2012-01-11 17:45:40 | 読書、小説・随筆

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
毎月10日になると、総合月刊誌のひとつである『文藝春秋』を買い求めて精読している。

私が『文藝春秋』を定期に購読を始めたのが、遅ればせながら、
確か1970(昭和45)年の春の頃からで、25歳の時であった・・。

私の雑誌に関しては、恥ずかしながらこれまでの簡略歴を綴る。

私は1944(昭和19)年に東京の郊外の農家の三男坊として生を受けた。
祖父、叔母、両親、兄2人などの7人の家族であり、
敗戦後も祖父、父が中心となり、小作人だった人たちの協力を受けて、程ほど広い田畑を耕していた。
そして多忙期の時などは、農業大学の研修を目的とした実習生なども受け入れていた。
このような家庭環境であったが、
本にしても雑誌に関しても、私は思い馳せても農協の発刊する月刊誌『家の光』しか記憶がなかった。

私が小学4年生を過ぎた頃、
都会から引越しされた同級生のサラリーマンの家に遊びに行った時、
居間にある書物を見て、余り多くあるので驚いて、
子供心に衝撃を受けたのである。

この頃の私は、月刊の漫画雑誌のひとつの『少年画報』などを下校の時、
本屋で買い求め、読みながらとぼとぼ帰宅したりした。


私が読書に目覚めたのは、遅ればせながら高校生になってからである。
創作者の綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
この時からとりつかれた。

人並みに文学の文庫本、単行本を買い求めたりしていたが、
授業の時事に魅了されたので、週刊誌の『朝日ジャーナル』を購入し、
海の彼方のケネディなどの政治家に心酔していた。

大学に入学する少し前から、映画専門雑誌の『キネマ旬報』に熱中し、
小学4年生の頃から独りでたびたび映画館に通ったりしてきた映画少年の体験も加わり、
これが原因で大学2年の時に中退し、映画青年の真似事の期間を過ごしたりしていた。

その後、文学に移り、純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読したり、
総合雑誌の『文藝春秋』を不定期に購読していた。


1970(昭和45)年の25歳の時、映画・文学青年の真似事も挫折し、
やむなく企業に中途入社をして、社会人のひとりとなった。
この時、私は余りにも社会人として、
一般的な常識の政治、外交、軍事、経済、社会などに欠けていたことに気付かされ、
劣等感も抱きながら、総合月刊雑誌の『世界』、『中央公論』、『文藝春秋』を毎月読むようになった。

この頃は、血気盛んな私は独身青年であったので、娯楽週刊誌の『平凡パンチ』まで読んでいたので、
私は秘かに『世界』から『平凡パンチ』まで雑誌を読んでいるのは、
日本広しといえども私ぐらい、と自惚(うぬぼ)れしてもいた時期であった。

しかしながら、たまたま音楽業界のレコード会社に勤めて情報畑で奮闘していると、
数多くのサラリーマンと同様に多忙となり、
やがて結婚をしたり、住宅ローンの返済に苦労したりすると、
次第に格調高い『世界』の知識についていけず、
ときおり『中央公論』だけは特集に関心させられた時だけ購読するようになった。

そして結果的には、毎月に愛読している総合月刊雑誌としては『文藝春秋』だけとなり、
定年退職後の今でも、このようになっている。
高齢者3年生の67歳の私にとっては、毎月秘かに逢える友のひとりとなっている。


私はそれぞれの寄稿文を読みながら、私と同じような思いに安堵し微笑んだり、
記載されていることの内容が程度の低いことと感じられ、綴られた著者に失望したり、
或いは私が無知だったことを知り、謙虚にご教示頂いたりしている。

ここ数年の楽しみのひとつとしては、毎月10日に発売されているが、
その日の朝、読売新聞に広告として掲載されている・・。
この時に特集記事が明記されているので、私は読みながら、やはりこの記事だった、
と私なりに予測していたことと同一の場合は、独り微笑んでしまうのである。

尚、私は『文藝春秋』の数多くの寄稿文で、読みながら理解出来なくなった時は、
ボケた時と確信し、やむなく、この世とおさらばし、自裁する時と思ったりしている。


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齢ばかり重ねた私、ときには二度寝をして、年金生活の何よりの特権、と照れながら・・。

2012-01-11 09:20:40 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
昨夜、総合月刊雑誌の『文藝春秋』(2月号)を深夜まで読み、
1時過ぎに暖かな電気敷き毛布のセットしてある布団にもぐり、寝付いた。
今朝、5時に目覚め、トイレでオシッコを終えて、洗面台の横の窓を開けて外を眺めると薄暗く、
まだ日の出前には早いょ、と思いながら再び寝室に戻り、布団にもぐったのである。

その後、布団の中のぬくもりを感じながら、過ぎ去った日々のことを思いだしたり、
これからの国内旅行のことをぼんやりと思いながら、寝付いてしまい、目覚めたのは7時半であった。

家内も珍しく寝ていて、私は起きだして、洗面した後、雨戸を開けたりし、
まばゆい陽射しが射し込む庭を眺めたりした。

そしてガスファンヒーターで居間を暖房にセットした後、
今日は資源ゴミの日だった、と思いだしながら、
新聞・雑誌などの古紙を市の指定の道路際の門扉に置いたりした。

この後、NHKのニュースをぼんやりと視聴していると、
家内は起きだしてきて、洗濯物を洗濯機に入れたりした後、
『私も・・珍しく寝坊してしまったわ・・』
と家内は照れながら私に言ったりした。

『僕だって・・定年後は日の出前に起床して・・と公言してきたし・・。。
ときには寝坊しても良いじゃない・・時間で競争する時代は我が家は終わったょ』
と私も寝坊してので、照れ笑いしながら言ったりした。


定年後の私は、年金生活を始めて、だらけた日常生活を過ごしたくないので、
日の出前に起床することを殆ど実践してきたし、家内も5分遅れぐらいで起きだして、
洗濯などを始め、そして台所を清めたりし、
この付近で我が家はゴミ出し一番が圧倒的に多い。

私の定年前の5年間は、リストラの烈風の中、私は出向となり、遠方の勤務地の為、
起床が4時45分とし、そして始発のバスに乗り、小田急線の電車の通勤途上で、
この冬の時節は日の出を迎えたりしていた。
帰宅も夜の9時過ぎが多く、もとより睡眠不足となり、
休日の時の昼下がりに昼寝をして補(おぎな)ってきた体験がある。

50代の後半で体力テストは勘弁してほしい、と思いながらも、
自分の敵は自分であり、努力しなければ何事も手に入らない、と奮闘してきた・・。


こうした私であるので、年金生活をしている今、
ときには二度寝をして寝坊できることは、
年金生活の何よりの特権かしら、と微苦笑したりしている。


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