夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京郊外の片隅に住む我が家、今年初めての雪化粧の情景に、私は微笑んで・・。

2012-01-24 10:33:30 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、結婚前後の5年を除き60年を超えている。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。

昨日の昼下がり、どんよりとした曇り空を見たりした後、
少し風邪気味の私は、二階の寝室で暖かな電気敷き毛布の布団にもぐりこんで、
東野圭吾(ひがしの・けいご)氏の『歪笑小説』〈集英社文庫〉を読みはじめたりした。

そして夜の6時過ぎに起きだして、、私は、玄関の軒下にたたずんで、
ぼんやりと暗い玄関庭の樹木をながめたりしていると、霧雨が降っていた。

その後、家内と夕食をした後、28日から6泊7日で札幌の郊外にに訪れる旅行に関して、
お互いに下調べをしたりした。

そして9時過ぎに、私は玄関の軒下で煙草を喫おうと思い、玄関の戸を開けたら、
玄関庭の地表は純白のベェールのような積雪が観られ、そして樹木の枝葉は雪化粧となり、
夜空を見上げると、たえまなく雪が舞い降りている・・。

私は、今年初めての積雪た、と心の中で呟〈つぶや〉いたりした。

過ぎし19日は、確かに初雪が降ったりしたが、その後は霙(みぞれ)、
ときおり粉雪が舞ふ情景だったので、積雪もなく雪化粧には程遠かったのである。
こうした思いもあったので、私は少し舞て降る雪を眺めた後、
『XXちゃん・・雪が降っているよ・・我が家も雪景色になっているょ』
と私は玄関の中に入り、居間にいる家内に大声で言ったりした。

そして私たちは、玄関の軒下で雪化粧の玄関庭を眺めたり、
舞て降る雪を眺めたりしていると、
『積もるかしら?・・』
と家内は私に訊〈たず〉ねるように言ったりした。

『天気情報は都心でも5センチぐらいと予報していたので・・
この辺でも・・ほぼ同じと思うよ』
と私は家内に言ったりした。


今朝、5時過ぎに目覚めると、こっそりと玄関の片隅みの窓辺から、主庭を眺めると、
薄暗い中、小庭には数センチぐらいの積雪は観えたが、雪は止んでいた。

その後、寝室の暖かな布団にもぐり、目覚めた時は7時過ぎで、
陽射しは燦々〈さんさん〉と主庭を照らす中、雪化粧に私たち夫婦は見惚〈みと〉れていた・・。

こうした中で、モミジ、モクレン、白梅、紅梅などの枝は雪をたたえ、
中には氷柱〈つらら〉のように小枝から垂れ下がり、陽射しを受けて、光帯びていた。
そして常緑樹の枝葉、そして地表は数センチばかりのうっすらとした雪化粧となりっていた。

このような情景を私は見ていると、何故かしら遥か遠い60年前頃のこの近くにある
私の実家の情景に思いを重ねたりした・・。


私は1944〈昭和19〉年に農家の三男坊と生を受け、
祖父と父が中心となって、程々広い田畑を小作人だった人たちの手助けもあって
農業を営(いとな)んでいた。

この当時は、京王線の最寄駅までは
殆ど田畑が広がり、雑木林、竹林なども観られた田園風景であった。

私の幼年期は、毎年、冬の時節になると、雪が30センチ前後が数回降った。

1951〈昭和26〉年の春に私は地元の小学校に入学したが、
初めての冬に雪が降り、登校した時が想いだされる・・。

ゴムの長靴の中に、母か叔母の手助けで藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、
番傘を差して、家を出た。

家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪がたえまなく舞い降り、
長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。

駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、この時は無視し、
祖父や父の知人たちの畑は雪一面の状況となっていたので、この中を吹雪いていたが一直線で登校した。

小学校は木造の二階建てであり、教室の片隅に木造の正方形の1間幅の暖炉があった。
コークスはむろん、石炭も使用される前の時代であったので、
簡易に造ったブリキの中で、薪(まき)が燃やされていたのである。

私たち学童は、衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、子供心にお互いに健闘し合ったりした。
そして、学級で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と悪口を言い合っていたりした。

下校のひととき、番傘でチャンバラの真似事をし、
番傘の数箇所が破れ、帰宅後に母に怒られたりした。

このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もった。


その後、1955〈昭和30〉年の頃から、都会の人たち達が実家の周辺に家を建てられ、
やがて私が小学校を卒業した1957〈昭和32〉年になると、
ベットタウンの住宅街に大きく変貌した。

1964〈昭和39〉年に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に一回程度、15センチぐらいが降るが、
この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。

こうした幼年期に体験した私は、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると北の地域に旅行し、
雪の情景を享受している。

そして、東北、北海道の地方で雪が30センチ降った、とテレビのニュースを視聴したりすると、
なぜかしら私は心の片隅みで微笑んでしまうのである。

このように私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味のひとつであるが、
なぜかしら東京郊外の田舎者の私は、冬の時節になると北に旅をしてしまうのである。

尚、豪雪地域にお住いの人は、日常の生活に於いては多事苦難は少し解っているつもりであり、
江戸後期の商人、随筆家として、鈴木牧之が遺(のこ)された『北越雪譜』、
磯部定治・著の『鈴木牧之の生涯』(野島出版)を読んだりしてきたが、
あくまで旅人として、みゆき舞い降る圧倒的な情景、積雪の山里、街並みに魅了されているひとりの
思いからである。


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コメント (1)
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