夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『寒の入り』を迎え、東京郊外に住む私たち夫婦は、とりとめなく思いを馳せ・・。

2012-01-06 13:50:06 | 定年後の思い
東京郊外の調布市は、早朝の6時はマイナス3度ぐらいの日の出前の薄暗い朝を迎えたが、
7時前に日の出となり、30分過ぎると我家の主庭、居間はまばゆい朝の陽射しを受けている。
昼下りは9度前後の冬晴れに恵まれ、夜の6時過ぎは5度前後が予測され、
平年より暖かい日かしら、と感じたりしている。

そして私は居間の片隅に掲げているカレンダーを見つめると、
『小寒(しょうかん)』と明示され、思わず微苦笑をしたりした。

私は年金生活の8年生の67歳の身であるが、
私の住む東京郊外の調布市の片隅みで、世田谷区と狛江市に隣接した地域に於いては、
昨年の晩秋も平年より暖かく、年末年始になっても冬晴れの日々に恵まれている。

今朝の9時前に、私は近くに流れる野川の川沿いにある遊歩道を、
少しばかり散策したが、5度くらいかしらと感じながら歩いたりしたが、
寒さを感じることなく、澄み切った空気の中を微笑んだりした。


一昨日の4日の11時過ぎ、遅ればせながら初詣をしょうと思い、
神社、寺院を参拝した後、いつものように野川の川沿いにある遊歩道を歩いたりした。

川の水辺の近くには、コサギ、ダイサギ、カルガモ、カワセミなどが数多く観られ、
愛好者の方たちは写真を撮る方も見かけることがあるが、
私は興味がなく、陽射しを受けた川面、清冽な水の流れを見つめたり、
川辺の薄(すすき)などの冬枯れの情景に魅せられている。

この野川の遊歩道の片側は、帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろど)っている場所がある。

この時節は、桜(サクラ)、クヌギ、コナラ、白梅、公孫樹(イチョウ)などの冬木立となり、
昼過ぎの10度ぐらいの暖かな陽差しを枝越しに眺めたりすると、
時が止まったように静寂なひとときを過ごすのが、この世の最良の時かしら、
と定年退職後から深め過ごしてきた・・。


昨日の10時過ぎには、この遊歩道を上流に向かい10分ばかり歩くと、
小公園となり30本前後の落葉樹は冬木立の景観を見せている。
この地域に古くからあるクヌギ、コナラ、ケヤキの樹木が中核となっている・・。

そしてハクウンボク、ヒメシャラ、イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどの冬木立となして、
暖かな陽射しを受ける情景を見たりすると、
私は幼年期に農家の児として育てられたためか、心身和(なご)むのである。

私は足を止めて、陽だまりとなっている木のベンチに座り、
煙草を喫ながらしばらく見つめたりすることが多い・・。

そして付近の垣根の傍で赤い実の南天が陽射しを受け、
その脇に千両の赤い実も見られ、地表から福寿草の黄色の花がひっそりと咲いている。

このように冬木立の眺めたり、光がきらめく空を眺めたりし、
古人から冬麗(とうれい)と称されている情景に、心を寄せている。


このような情景を見ながら過ごしてきたので、
小寒か、と明記されて教えられても、実感が乏しいというのが、本音である。

先ほど、私は秘かに愛用している【日本文化いろは事典】のサイトを開き、
『行事・祭事』を指定した後、『二十四節気』を読んだりしたのである。

《・・
【小寒(しょうかん)』】
1月5日頃
小寒は『寒の入り』つまり寒さの始まりという意味です。
本格的な寒さでないという意味があるようですが、
実際この頃になると寒さは厳しくなります。
寒中見舞いは、小寒から出し始めます。
・・》

このように綴られていたが、私は体力は衰えても好奇心があるので、
その後についても、読んだりした。

《・・
【『大寒(だいかん)】
1月20日頃
大寒とは、一年で最も寒い時期という意味です。
小寒から数えて15日後とされて折、
小寒から大寒までの15日間と大寒から立春までの15日間の合計30日間を『寒の内』といいます。
耐寒の為に様々な行事が行われます。

寒気を利用した食物(凍り豆腐、寒天、酒、味噌など)を仕込む時期にあたります。
・・》

このように誰でも解かりやすいように優(やさ)しく明記されていたのである。

私は季節感のうつろいを何よりも大切にしているひとりであるので、
こうした時節を明示している【日本文化いろは事典】サイトは、
特に定年後の年金生活を過ごす中、こよなく愛用させて頂だいているサイトのひとつでもある。


この時節、私の住む地域は、寒さを増しても、
庭の黒土の上にうっすらと霜となり、ところどころ霜柱も見られる。

そして3月初旬、日本中の多くが女の子を全面的に祝う『桃のお節句』の頃までには、
数年に一度ぐらい雪が舞い降っても、わずか数センチぐらいとなっている。

私たち夫婦は国内旅行が共通趣味であり、雪恋しの心情を秘めているので、
雪舞い降る情景に求めて、北の地をめざして、旅を重ねることが、多いのである。

一昨年の2010年の12月中旬に青森県の十和田湖の奥地の『蔦(つた)温泉』に4連泊し、
雪舞い降る情景に私たち夫婦は少年、少女のような見惚(みと)れたり、
30センチぐらいの積雪の中、散策して戯(たわむ)れたりしていた。

この時の想いを今朝、私たちは話したりしていた。

そして、たまたま昨年の2011年の2月中旬に山形県の山里にある『銀山温泉』に4連泊した後、
最上川の船下りをしたりしたが、
こうしたこともお互いに語り合ったりしていた。


11月中旬には、秋田県の田沢湖の山麓にある観光ホテルに三連泊して、
乳頭温泉郷めぐりなどもして、雪の舞い降る情景に見惚れたりしてきた。

そして12月下旬になれば、北海道の十勝地方を訪れた。
帯広の郊外に連泊し、果てしなく拡がる大雪原の中、蒼穹(そうきゅう)の情景に圧倒的に魅了され、
その後は、奥地の糠平〈ぬかぴら〉温泉に連泊し、厳冬期の前の時節の寒さの中、
私は積雪の中、小躍〈こおど〉りしながら、歩き廻ったりした。


このような私の心の根底には、私の住む地域でも、60年前頃の幼年期の頃は、
小寒から大寒まで、そして大寒から立春までの『寒の内』の時節には、
数回ぐらいは雪が降り、ときには積雪30センチぐらい舞い降った体験を幾たびかしてきた。

このような心情を愛惜を重ねながら秘めたりしているので、
何かしら雪恋しと思い、私は家内に結婚以来、何度も話したりしている。

こうしてこの時節の私は、東京郊外の冬晴れの多い暖かな恵まれた地域に住み、
ときには雪恋しと思う時、私たち夫婦は冬の旅を重ねてきたが、
あくまで多忙で苦楽の多いサラリーマン生活を卒業し、年金生活を過ごしている今、
初めてゆっくりと享受できる時を過ごしている。

尚、雪深い地域で日常生活を過ごされ何かと困苦を伴うことは、
江戸後期の商人で随筆家の鈴木牧之の『北越雪譜』を遺(のこ)された作品を拝読してきたので、
あくまで私たち夫婦は旅人であることを付記する。


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