第一章 初めての冬の北海道の旅は
その後、私たち夫婦は東北の温泉がある地域の雪のある時節、
冬の旅を2泊3日前後で幾たびも旅行をしていたが、
2001(平成13)年の2月に、前年に勤続30年の特別休暇が残っていたので、
私はオーホックの流氷、家内は札幌の雪祭りを目的として、
私達夫婦は4泊5日で周遊し、冬の北海道を初めて訪れたのであった。
私達は厚手のフィールド・コートと軽登山靴で、
私の登山靴はマイナス15度、家内のマイナス30度に耐えられる登山靴で、
そして私の帽子は山岳用を愛用し、家内はマフラーを被れば大丈夫という容姿で、出かけたのである。
この時の旅はJALストリーズの旅行会社を利用し、
空港から宿泊地の観光ホテルなどの利便性のある観光バスを活用した。
女満別空港に下り立った私たちは、この旅行会社の指定バスに乗り込み、
わかさぎ釣りなどされている網走湖の情景を観たりして、
網走の郊外の能取岬の途中にある海岸に接したホテルに2泊した。
この海岸には数日前に流氷は接岸し、海辺には流氷の欠片が幾重にも見えたが、
流氷は遥か海上の沖に去っていた。
やむなく夜のひととき、空を眺めたりしていると、
夜空に満天の星、そして月が煌々と光り帯て、
マイナス15度前後であったが、寒さより確固たるまぎれもない美に見惚(みと)れた。
私は、月冴(さ)えて・・かょ、と心の中で呟いたりした。
、
流氷の接岸を待ちわびたが、残念ながら遠のき、予約していたノロッコ号の列車で、
網走駅より斜里駅まで乗車し、私は海辺を観たりしたが、冬晴れの中、浪間は光り、蒼い海となり、
流氷はどこに行ったの、と苦笑を重ねたりした。
終点の斜里駅で下車した後、私たちは路線バスを利用して、
知床半島のウトロまで、ひたすら流氷を求めて行った。
ウトロの数キロ前の峠道で、海上を流氷の一面となり、圧倒的な流氷の荘厳な光景が観られ、
ウトロのバス停で下車した。
その語の私たちは、海岸付近は積雪50センチ前後の中を歩き、
海上の流氷を眺めたりしたのであった。
そして突然に一角が平地となっていたのが、『知床ファンタジア』の会場であり、昼の一時過ぎは閑散としていた。
私の悪い癖のひとつであるが、会場の外れで記念として、
流氷を眺めながら、おしっこをしたのである。
その後、海岸付近と思われる雪の中を一時間ばかり歩き回り、一般道に出た時、
道路の補修をされている6人の方たちから、
なんて物好きの夫婦もいるなぁ、
という視線を私達夫婦は受けたのである。
私達夫婦は厚手の冬ズボンはもとより厚手のフィールド・コートまで雪をかぶり、
マイナス10度前後の中、更に微風の吹く寒さを増す中、
父親か母親の熊のように歩き廻っていたのだから、
地元の方たちから苦笑されるのも致しがたい、と私は納得したりした。
この後は、網走駅から札幌駅まで日中のひととき、念願の特急列車で移動した後、
小樽の市内のホテルに宿泊し、雪祭りの前日に小樽を昼過ぎに別れを告げた。
そして網走の外れ、網走駅、斜里駅、小樽駅などの情景を観てきたせいか、
札幌駅、周辺の広大さには驚いたのである。
こうした思いも重なり、札幌の街並みを歩き、前夜祭を観たした。
この時、どんよりとした曇り空で根雪もあり、家内は寒いというので、
ロシア物産の即売店で、ロシア婦人がかぶる様な形の帽子を買い求め、今日も愛用している。
そして郊外の豊平川を見下ろせるホテルに宿泊し、
翌日は快晴の中、雪祭りの初日の情景を観たりした後、
郊外の自衛隊の基地にイベントを観たり、市内を散策したのであった。
その後は、予定通り新千歳空港に行き、帰京した。
《つづく》
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その後、私たち夫婦は東北の温泉がある地域の雪のある時節、
冬の旅を2泊3日前後で幾たびも旅行をしていたが、
2001(平成13)年の2月に、前年に勤続30年の特別休暇が残っていたので、
私はオーホックの流氷、家内は札幌の雪祭りを目的として、
私達夫婦は4泊5日で周遊し、冬の北海道を初めて訪れたのであった。
私達は厚手のフィールド・コートと軽登山靴で、
私の登山靴はマイナス15度、家内のマイナス30度に耐えられる登山靴で、
そして私の帽子は山岳用を愛用し、家内はマフラーを被れば大丈夫という容姿で、出かけたのである。
この時の旅はJALストリーズの旅行会社を利用し、
空港から宿泊地の観光ホテルなどの利便性のある観光バスを活用した。
女満別空港に下り立った私たちは、この旅行会社の指定バスに乗り込み、
わかさぎ釣りなどされている網走湖の情景を観たりして、
網走の郊外の能取岬の途中にある海岸に接したホテルに2泊した。
この海岸には数日前に流氷は接岸し、海辺には流氷の欠片が幾重にも見えたが、
流氷は遥か海上の沖に去っていた。
やむなく夜のひととき、空を眺めたりしていると、
夜空に満天の星、そして月が煌々と光り帯て、
マイナス15度前後であったが、寒さより確固たるまぎれもない美に見惚(みと)れた。
私は、月冴(さ)えて・・かょ、と心の中で呟いたりした。
、
流氷の接岸を待ちわびたが、残念ながら遠のき、予約していたノロッコ号の列車で、
網走駅より斜里駅まで乗車し、私は海辺を観たりしたが、冬晴れの中、浪間は光り、蒼い海となり、
流氷はどこに行ったの、と苦笑を重ねたりした。
終点の斜里駅で下車した後、私たちは路線バスを利用して、
知床半島のウトロまで、ひたすら流氷を求めて行った。
ウトロの数キロ前の峠道で、海上を流氷の一面となり、圧倒的な流氷の荘厳な光景が観られ、
ウトロのバス停で下車した。
その語の私たちは、海岸付近は積雪50センチ前後の中を歩き、
海上の流氷を眺めたりしたのであった。
そして突然に一角が平地となっていたのが、『知床ファンタジア』の会場であり、昼の一時過ぎは閑散としていた。
私の悪い癖のひとつであるが、会場の外れで記念として、
流氷を眺めながら、おしっこをしたのである。
その後、海岸付近と思われる雪の中を一時間ばかり歩き回り、一般道に出た時、
道路の補修をされている6人の方たちから、
なんて物好きの夫婦もいるなぁ、
という視線を私達夫婦は受けたのである。
私達夫婦は厚手の冬ズボンはもとより厚手のフィールド・コートまで雪をかぶり、
マイナス10度前後の中、更に微風の吹く寒さを増す中、
父親か母親の熊のように歩き廻っていたのだから、
地元の方たちから苦笑されるのも致しがたい、と私は納得したりした。
この後は、網走駅から札幌駅まで日中のひととき、念願の特急列車で移動した後、
小樽の市内のホテルに宿泊し、雪祭りの前日に小樽を昼過ぎに別れを告げた。
そして網走の外れ、網走駅、斜里駅、小樽駅などの情景を観てきたせいか、
札幌駅、周辺の広大さには驚いたのである。
こうした思いも重なり、札幌の街並みを歩き、前夜祭を観たした。
この時、どんよりとした曇り空で根雪もあり、家内は寒いというので、
ロシア物産の即売店で、ロシア婦人がかぶる様な形の帽子を買い求め、今日も愛用している。
そして郊外の豊平川を見下ろせるホテルに宿泊し、
翌日は快晴の中、雪祭りの初日の情景を観たりした後、
郊外の自衛隊の基地にイベントを観たり、市内を散策したのであった。
その後は、予定通り新千歳空港に行き、帰京した。
《つづく》
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