夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
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『団塊世代の“勝ち逃げ”は嘘』寄稿文、年金生活の69歳の私は賛意し、やがて微苦笑して・・。

2014-04-06 13:32:48 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。

その上、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は私より少し若い団塊世代の人々に対して、知人、友人が多いので、何かと注視してきた。
私が25歳の時に、民間会社に中途入社できたのは、1970年〈昭和45年〉4月であり、
やがて私が職場の机で隣接したのは、大卒で入社された一年生の団塊世代が多く、
この後もお互いに業界、社内の空気を長らく共に苦楽を重ねてきた・・。

そして私の妹ふたりは1947年(昭和22年)1月、1948〈昭和23年〉10月の生まれであり、
家内に1949〈昭和24年〉12月の生まれであり、
何かと幼年期からの情況は、理解しやすいひとりとなっている。

ここ数年、団塊世代は“勝ち逃げ”とか、中には“日本社会の不良債権”と雑誌などで私は読んだりしたことがあり、
少し酷いじゃないの、と憂いたりしてきた・・。
          

たまたま先ほど、ネットでニュースを検索していると、
昨年の2013年(平成25年)10月8日に配信された記事に於いて、
《 団塊世代の“勝ち逃げ”は嘘 年金は彼らの積立金が支える 》
と題された記事を精読してしまった。

この記事の元は、『週刊ポスト』の2003年10月18日に掲載された記事であり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・安倍政権が年金カットを閣議決定したのは消費増税を決断する1か月前の9月3日だった。
その大義名分に掲げたのが、「もらいすぎ年金」と呼ばれる特例水準の解消だ。

 
年金は物価の上下に応じて支給額を調整することになっているが、
歴代の自民党政権はデフレ(物価下落)状況の中で高齢者の生活を考慮して年金支給額を下げずに据え置いた。
結果、受給額は法律に定められた水準より高くなり、これが特例水準と呼ばれている。

 
財務省や厚労省は昨年の消費税増税法案審議にあたって、そのことを問題にした。
消費税を上げなければならないのは、
「高齢者が年金をもらいすぎているからだ」と批判して現役世代の不満を高齢者に向けさせ、
自公民3党で消費増税とともに年金カット(特例水準解消)の法案を成立させた。
今回の閣議決定ではそれを予定通り実施すると決めたのである。

 
しかし、本当に高齢者は年金をもらいすぎているのか。
そもそも政府が年金減額に動いたのは、「団塊の世代」(1947~1949年生まれ)が
年金受給開始年齢の65歳を迎え、年金財政が一層苦しくなったからだ。
年金カットは団塊世代を狙い撃ちするものといっていい。
          
 
年金博士として知られる社会保険労務士の北村庄吾氏が指摘する。

 
「団塊世代は年金に関して“勝ち逃げ世代”といわれるが、そうではない。
年金制度はすでに破綻しているのに、なんとか年金を支払うことができるのは、
高度成長期からバブル期にかけて団塊世代が中心になって貯めた積立金があるからなのです」

 
日本の年金制度は、積み立て方式ではなく、現役世代が支払う年金保険料で高齢者の年金を賄う「賦課方式」を取っている。
制度上、保険料は給付に必要な金額という考え方が基本だ。
ところが、政府は長い間、サラリーマンから支給額より多く保険料を徴収し、
余ったカネを積立金にしてリゾート開発などに注ぎ込んだ。

 
年金積立金とはいわば“払いすぎた保険料”であり、その金額は団塊世代が就職した1965年の約1兆4400億円から、
大量退職を迎えた2007年には約127兆円へと100倍近くに増えた。
          
 
半面、団塊世代は受給額では割をくっている。
年金の支給額は制度改革のたびに減らされ、サラリーマン男性の世代別の年金支給額(今年3月末)を見ると、
1927年生まれ(86歳)が平均月額21万7110円なのに対し、
それ以降の世代は1歳刻みで受給額が減っていき、
団塊世代の1947年生まれ(66歳)は18万1952円と3万4000円も低い。

それに加えて年金支給開始年齢引き上げ(団塊世代は64歳で満額支給)で、生涯の年金受給額はさらに少なくなる。
 
団塊世代は、現役の時は必要以上に保険料を支払って年金制度を支えさせられながら、
受給額は前の世代より大きく減らされている。

それなのに「もらいすぎ」と年金破綻の元凶のように批判されては、反乱を起こしたくなるのも当然だろう。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

敗戦後の荒廃した日本は、敗戦直後からの一部の裕福な家庭を除き、誰しも貧乏な時代を体験してきた世代である。
私より10歳以上の先代の諸兄諸姉の多くは、それぞれに奮戦し、
少なくとも世界の中でも、有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
そして後続する私たちの世代、そして団塊の世代も奮闘してきた。

こうした結果として、確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。

そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。

その上、経済は低迷していると言われている現在さえも、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、
医療の充実もあり、主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。


私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳前後を迎えられた今日、年金生活を始められた方が多いのが社会の実情となっている。

こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。
          

しかしながら年金に関しては、私が若き40代の時、
家内の両親と旅行した時、何かの調子に年金の話題となったことがあった。

この時の私は、お義父さん(1926年=昭和元年生まれ)たちの世代は、
私たちの世代が多いので、たくさんに神輿(みこし)をかつがれている世代などで安楽しているが、
私たちが退職後に年金生活に入った時、神輿(みこし)をかついて下さる人が減少するので、
少し不安ですょ、とこのような意味合いの言葉を私は義父に言ったりした。

或いは厚生労働省の前身の厚生省だった時代に、《余ったカネを積立金にしてリゾート開発などに注ぎ込み》
やがて破綻して、国民の大切な年金資金を浪費させた厚生省の高官たちに、
中小業の民間会社に勤めていた私は、怒り心頭をし、非国民だ、と思いを深めたりしてきた。
          

このことはもとより、日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。

そして年金も現役世代が払う保険料で高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が65歳を迎えた今日、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。

こうしたことの主因は、高齢者は長寿化となり、年少者が激少し、超高齢化社会の時代を迎えているが、
こうした現状は30年前のベルリンの壁が崩壊し、世界の経済が自由主義経済に一色になる状況は、
誰しも予測できなかったであろう、と私は思ったりしている。
          

私たちが過ごしてきた時代は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、年収も毎年増え、
そして家族で明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。

こうした中でバブルが終息し、そしてベルリンの壁が破壊され、
やがてソ連が崩壊し、世界の経済が自由主義経済に一色となった後、
世界の経済が自由主義経済となった上、日本は失われた15年で、
主要各国や躍進してきた中国などに国際競争力に敗退し、かっての高度成長の総中流社会の再現は、
見果てぬ夢となった。

そして殆どの民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。
そして私は確か5年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
1997年〈平成9年〉の時点から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。
        

こうしたことは私たちの息子、娘の世代から観れば、
お父さんは会社で一生懸命に奮戦し働き、マンションか一軒家を買い求めて、
お母さんは専業主婦で家庭を守る中で、子供ふたりは程ほどの自由な生活を満喫し、大学まで学び、
やがて子供は結婚して独立させてくれた典型的な中流社会は、大半は崩壊した・・。

こうした状況に、私は無力ながら憂い、ここ10数年のデフレの閉塞感ある実態より、
何とか経済復興をした上で、堅実な経済成長が望ましい、と念願してきた。
                    

この上、高齢者の有権者層が急増している今日、
政治家の諸兄諸姉が高齢者を重視した政策を掲げることが多くなり、
現役世代の若い30、40代の人たちがのささやかな念願よりも、
定年退職が出来た上、年金受給者の高齢者を優遇せざるを得ない危険な政治状況と憂いているひとりである。

このような現状の制度のままで放置すれば、
現役世代の若い30、40代の人たちは、何かと過重負担となり、
耐え切れず反乱されても致しがたいであろう、と思ったりしている。

そして、働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、世代間の格差の羨望と嫉妬の末、
高齢者の人たちを負担させるばかり人たちと思い、
邪魔な存在と感じながら、粗末にする風潮のなる世界が想像できる。

私はこのような世代間の対立を回避したく、
このサイトに幾度も現状の『消費税』を廃止する代わりに、
新たなる社会保障費の専用にした『社会保障税』の新設で、賢人の審議により、
多くの方が安心できる制度を政府は迅速に成立させるべきてある、と高齢者の私さえ投稿を繰り返してきた・・。

しかし、高齢者の巨大な層の有権票の反対が怖くて、政治家の諸兄諸姉議員の多くはためらい、
日本経済のデフレ状況もあり、混迷をしてきた。
                    

このような心情を重ねてきた私は、
やむにやまれず安倍首相の《・・社会保障の財源を確保し、財政再建を図るため・・》
そして《・・経済の再生、財政健全化・・》の実現を目的とした今回の消費税の増税に賛意してきた。

改めて今回の消費税の増税は、世代間の論争の難題を超えて、
やむなく総論は賛意、各論の一部にはそれぞれ異論はあると思われるが、
私も年金支給額が削減と知り、苦笑したりしている。

しかしながら社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、現状のままあると、
少なくとも毎年一兆円の国の負担が増している今日、
          
私より上の世代、そして私たち世代、団塊世代、そして働いて下さる50代から20代の人々、
それぞれ自分たちの世代だけが得をするようなことは、この世にあってはならず、
消費税の増税を期にして、お互いに国民は痛みを共有し、
明日に希望が持てる日本の再建の第一歩、と私は微苦笑したりしている。

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コメント (4)
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