私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、私は今年の9月の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。
私は2004年(平成16年)の秋に定年した後は、
多々な理由より年金生活を10年近く60代を過ごしてきたが、
私たち夫婦は幸いにも、お互いに大病で入院することもなく、
歯がお互いに老化して、歯科医院で幾たびか治療を受けてきたぐらいであり、
私の長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
私は定年後の年金生活を始めて、平素の買物の専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。
今朝も朝食後のひととき、家内は新聞の折込みに入っていた最寄りのスーパーにチラシを取りだして、
家内が赤のサインペンで丸印を付けたりしていたのを見たりした。
やがて、この赤丸が、我が家の本日の必須の購入品とし、
あとは私が店頭の商品で魅了された品を買い求めてくるのが、我が家の鉄則となっている。
この後、家内からスーパーのチラシを私は手渡し、
『本日は・・これだけお願い・・』
と家内は私に言ったりした。
私は現役サラリーマン時代の緊張感から10年近く解放されて、
体力の衰えも感じている中、せめてボケてはいけないと思い、
『はい! 了解致しました!』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく返事をした。
私は10時過ぎに、家内から本日指定されたスーバーに出かける為、
いつものようにストレッチパンズの長ズボン、スリーシーズンのスポーツシャツ、ウォーキング・シューズの容姿で、
簡易バックを斜め掛けで自宅を出た。
路線バスも走る大通りの歩道を歩けば、眩(まばゆ)い陽射しの中、5月中旬の陽気で、
ときおり風が吹き、心地よさを感じながら、風光る季節だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
そして野川の大きな橋を渡る中、川沿いを眺めれば菜の花が黄色い帯のように長く続く中、
並ぶように白と淡き紫色のハマダイコンの花が帯状になっている。
この時節、この野川の川沿いには数キロに及び帯状になっているのを私は毎年享受している。
そして私は歩きながら菜の花のかぐわしい香りと共に心を寄せたりしてきた。
そして再び歩きだすと、車路と歩道の境界線には、ハナミズキの花が10メートル毎も咲いていることに気付き、
私は足を止めて、長らく見惚(みと)れたりしたいた・・。
やがて歩きだすと、何かと単細胞の私は、一青窈(ひとと・よう)ちゃんの『ハナミズキ』の歌を、
かぼそい声で唄ったりしていた・・。
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだった為か、
この花水木(ハナミズキ)の樹の純白の花に、心の濾過を託すように圧倒的に魅せられてきた。
そしてこの時節を迎えると、花が咲き、そして花も終わりを告げて、
あまたの枝葉を大きく広げ、秋には朱紅色に葉を染めて、陽射しを受け、やがて冬木立となり、
来年の芽吹きの時期まで、お別れねぇ、と愛惜を重ねたりしてきた。
私は遅ればせながら、2004年〈平成16年〉の秋に退職してまもない時、
偶然にラジオから、一青窈(ひとと・よう)ちゃんの『ハナミズキ』の歌が流れて瞬時に魅了された・・。
家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言った。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
このような私たち夫婦でも、命果てるまでの残された歳月は、もとより天上の神々の采配によるが、
この先いつまでも慎(つつ)ましながらも、年金生活の楽しい生活が続くわけでなく、
どちらがいずれ片割れになる・・。
こうした心情を秘めた私は、一青窈(ひとと・よう)ちゃんの『ハナミズキ』の歌の中で、
♪百年続きますように・・、と唄われていたので、少しでも私たち夫婦が長生きできれば・・、
と託(たく)したりして、この花水木(ハナミズキ)の樹の純白の花を見つめたりしてきた。
世の中の大半の人は75歳頃までは、これまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高い、と私は学んだりしてきた。
そして私は何よりも認知症が怖くて、自宅の周辺の3キロ範囲の遊歩道、小公園を
殆ど毎日のようにひたすら歩いたりしてきた。
このような真情を秘めてきた私、♪百年続きますように・・、と思い願い、
この時節に時折かぼそい声で唄ったり、或いは心の中で唄うことが多くなっている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、私は今年の9月の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。
私は2004年(平成16年)の秋に定年した後は、
多々な理由より年金生活を10年近く60代を過ごしてきたが、
私たち夫婦は幸いにも、お互いに大病で入院することもなく、
歯がお互いに老化して、歯科医院で幾たびか治療を受けてきたぐらいであり、
私の長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
私は定年後の年金生活を始めて、平素の買物の専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。
今朝も朝食後のひととき、家内は新聞の折込みに入っていた最寄りのスーパーにチラシを取りだして、
家内が赤のサインペンで丸印を付けたりしていたのを見たりした。
やがて、この赤丸が、我が家の本日の必須の購入品とし、
あとは私が店頭の商品で魅了された品を買い求めてくるのが、我が家の鉄則となっている。
この後、家内からスーパーのチラシを私は手渡し、
『本日は・・これだけお願い・・』
と家内は私に言ったりした。
私は現役サラリーマン時代の緊張感から10年近く解放されて、
体力の衰えも感じている中、せめてボケてはいけないと思い、
『はい! 了解致しました!』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく返事をした。
私は10時過ぎに、家内から本日指定されたスーバーに出かける為、
いつものようにストレッチパンズの長ズボン、スリーシーズンのスポーツシャツ、ウォーキング・シューズの容姿で、
簡易バックを斜め掛けで自宅を出た。
路線バスも走る大通りの歩道を歩けば、眩(まばゆ)い陽射しの中、5月中旬の陽気で、
ときおり風が吹き、心地よさを感じながら、風光る季節だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
そして野川の大きな橋を渡る中、川沿いを眺めれば菜の花が黄色い帯のように長く続く中、
並ぶように白と淡き紫色のハマダイコンの花が帯状になっている。
この時節、この野川の川沿いには数キロに及び帯状になっているのを私は毎年享受している。
そして私は歩きながら菜の花のかぐわしい香りと共に心を寄せたりしてきた。
そして再び歩きだすと、車路と歩道の境界線には、ハナミズキの花が10メートル毎も咲いていることに気付き、
私は足を止めて、長らく見惚(みと)れたりしたいた・・。
やがて歩きだすと、何かと単細胞の私は、一青窈(ひとと・よう)ちゃんの『ハナミズキ』の歌を、
かぼそい声で唄ったりしていた・・。
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだった為か、
この花水木(ハナミズキ)の樹の純白の花に、心の濾過を託すように圧倒的に魅せられてきた。
そしてこの時節を迎えると、花が咲き、そして花も終わりを告げて、
あまたの枝葉を大きく広げ、秋には朱紅色に葉を染めて、陽射しを受け、やがて冬木立となり、
来年の芽吹きの時期まで、お別れねぇ、と愛惜を重ねたりしてきた。
私は遅ればせながら、2004年〈平成16年〉の秋に退職してまもない時、
偶然にラジオから、一青窈(ひとと・よう)ちゃんの『ハナミズキ』の歌が流れて瞬時に魅了された・・。
家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言った。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
このような私たち夫婦でも、命果てるまでの残された歳月は、もとより天上の神々の采配によるが、
この先いつまでも慎(つつ)ましながらも、年金生活の楽しい生活が続くわけでなく、
どちらがいずれ片割れになる・・。
こうした心情を秘めた私は、一青窈(ひとと・よう)ちゃんの『ハナミズキ』の歌の中で、
♪百年続きますように・・、と唄われていたので、少しでも私たち夫婦が長生きできれば・・、
と託(たく)したりして、この花水木(ハナミズキ)の樹の純白の花を見つめたりしてきた。
世の中の大半の人は75歳頃までは、これまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高い、と私は学んだりしてきた。
そして私は何よりも認知症が怖くて、自宅の周辺の3キロ範囲の遊歩道、小公園を
殆ど毎日のようにひたすら歩いたりしてきた。
このような真情を秘めてきた私、♪百年続きますように・・、と思い願い、
この時節に時折かぼそい声で唄ったり、或いは心の中で唄うことが多くなっている。
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