私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。
その上、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私の父は、私が小学2年の昭和28年(1953年)の春に病死され、
母は、私が50代のなかば、平成10年(1998)年に入退院を繰り返していた母に死去された。
家内の父は、私が定年退職の平成16年(2004年)の秋の直前に、やはり入退院を繰り返し病死し、
私たちの両親は 家内の母だけとなり、千葉県の八千代市で一軒屋に独り住まいとなっている。
この間、私たち夫婦は自分たちの老後の生活の改めて話し合ったのは、
1999年(平成11年)の新春の当時で、私が54歳あった。
私が勤めてきた中小業の多い音楽業界は、1998年(平成10年)に売上の主軸となるCDがピークとなり、
この少し前の年から各社はリストラ烈風となり、業務の大幅な見直し、会社間の統廃合もあり、人員削減も行われはじめた。
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、 私も50代のなかば1999年(平成11年)の新春、
取引先の物流会社に出向を命じられた。
こうした時に、私が定年退職を出来た後、どのような生活をしたいか、そして生活資金などを話し合った。
具体的には、私たち夫婦の第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。
こうしたことを実現するためには、
各出版社から数多くの本が発売されていたので、私なりに買い求めた。
そして『定年後』~「もうひとつの人生」への案内~(岩波書店)、
『間違いだらけの定年設計』(青春出版社)、
『「定年後」設計 腹づもり ~50代から考えておきたい~』(三笠書房)などを読んだりした。
或いは雑誌としては、 『ほんとうの時代 ~50代から読む「大人の生き方誌」~』(PHP研究所)であり、
こうした本を読んだりしながら、現在の我が家の貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、
そして年金の推定額も算出し、
収支概算表を年別に作表し、平均寿命までの年を総括表にしたりした。
そして、毎年の月別は、家計簿の応用で収入の項目、支出の保険、税金等を含め、
予定表も作成したりした。
この時の私は、幸いに住宅ローンを終えていたが、
私は1944年(昭和19年)9月生まれであるので、
年金の満額の支給は62歳であり、それまでの2年間は満額のほぼ半分となるので、このことも配慮した。
そして年金が満額となった62歳からの生活の収支は、
私たち夫婦の共通趣味である国内旅行費、そして冠婚葬祭など諸経費は例外として、
原則として生活費は年金を頂く範囲として、収支の概要を作成したりした。
こうした結果、私の年齢、家内の年齢を主軸に
1998年(平成10年)から私が80歳を迎えるまで、
年次別の収支と残額を作成し、パソコンに入れて、計画、実績、差額を毎月入れたりしていた。
こうした中、不慣れな遠い勤務先の出向会社に私が奮戦している時、
出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
私の定年退職後、年金生活を始め、私は自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は専守防衛長官の専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などの時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなくなったのである。
そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主もしている。
こうした中で、ときおり小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
こうした年金生活をしている中、2011年(平成23)年の7月下旬のある日、
いつものように午前中のひとときに、駅前のスーパーに向かい買物に行き、
その後はいつものように本屋に立ち寄った時、過日の読売新聞の出版広告で、
たまたま中央公論新社の新書本の案内のひとつで、
西垣千春・著作の『老後の生活破綻 ~身近に潜むリスクと解決策~』を知り、
いずれは読んでおきたいと感じたりしたことを思い出して、本書を手に取ったのである。
そして解説文を読んだりした・・。
《・・認知症、病気、詐欺、事故、子どもの失業――老後の生活にはさまざまなリスクが潜んでいる。
そして一度問題が生じると、周囲に気づかれないまま生活が破綻してしまうことも、
現代の日本社会では少なくない。
高齢者を助けるサービスはたくさんあるのに、なぜ十分に活用されないのか。
苦しむ高齢者を一人でも減らすため、また、自分や家族がそうした事態に陥らないために、何が必要なのか。
豊富な実例とともに考える。・・》
そして私は帰宅後、最優先に読み終えた後は、
長い老後を安らかに生きる為の教科書のひとつだ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
本書の中では、《高齢社会の現実》の章に於いては、《高齢化の特徴》、《健康》、《血縁と地縁》、《家計》、
《事例で見る生活破綻》の章に於いては、《判断力の低下》、《健康状態の変化》、《予期せぬ事故・災害》など、
或いは《高齢者特有のリスク》の章に於いては、《生活破綻の実態》、《セルフマネジメント能力の低下》、《人間関係の変化》など、
そして終章の《高齢者の生活破綻を防ぐために》に於いては、多々実例を記載されている。
こうした本書は、齢を重ねた高齢者にとっては、誰しもが避けて通れない切実な難題が明記されいる。
私たち夫婦は、大病に遭遇せずに今日まで至っている。
医院にお世話になったのは、私たち夫婦はお互いに歯が劣化して、
歯科医院に幾たびか治療を受けてきたぐらいである。
或いは私が2010年〈平成22年〉の秋の健康診断で糖尿病と明示されて以来、
食事の内容はもとより、ひたすら歩き廻ったりして大幅に改善されている。
何よりも長き45年ぐらい日本酒の純米酒、ビールを夜のひととき愛飲してきたが、
糖尿病と宣告されて以来、 冠婚葬祭、懇親会、国内旅行など以外は、
原則として自宅で呑むのは、5日に一度ぐらいとなっている。
この間、最寄の内科専門医院に3週間毎に定期健診を受けているが、
ここ3年ぐらいは悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はほぼ優等生となって、
改善努力の成果となっている。
こうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
しかしながら私の現役サラリーマン時代の58歳の時に、同僚が難病で死去されたり、
定年後の2年過ぎた頃、健康溌剌で過ごしてきた私より2歳先輩の方が、突然に病死されたりし、
昨今、長寿社会といわれても、60代でもこの世とお別れする方もいるのである。
このような心情を秘めてきた私は、せめて60代は五体満足で生かしてくれ、
この後の70代は余生と思ったりしてきた・・。
そして認知症などあわず、心が明確な時にポックリと死去できれば良い、
と秘かに念願しているが、こればかりは天上の神々の采配に寄るものである。
或いは、私は煙草を喫う愛煙者で、運動も散策、ときたまウォーキング程度であるので、
家内より先にあの世に行っていると確信しているので、
私の葬儀、お墓、そして家内の独りの老後で程ほどに生活できそうな状況のことも、
話し合ったりしている。
しかし、このことも天命に寄り、家内に先立たれることもあり、
私が独りぽっちとなることも、一年に数回ぐらいは、おひとりさまの生活を思いめぐらすこともある。
こうした思い秘めているが、世の中は想定できないことが多々あるので、
もとより私が知らないことも数多くあり、
本書より、老後生活の実例の数々の問題、そして解決のような策を学んだりしている。
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最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。
その上、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
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そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私の父は、私が小学2年の昭和28年(1953年)の春に病死され、
母は、私が50代のなかば、平成10年(1998)年に入退院を繰り返していた母に死去された。
家内の父は、私が定年退職の平成16年(2004年)の秋の直前に、やはり入退院を繰り返し病死し、
私たちの両親は 家内の母だけとなり、千葉県の八千代市で一軒屋に独り住まいとなっている。
この間、私たち夫婦は自分たちの老後の生活の改めて話し合ったのは、
1999年(平成11年)の新春の当時で、私が54歳あった。
私が勤めてきた中小業の多い音楽業界は、1998年(平成10年)に売上の主軸となるCDがピークとなり、
この少し前の年から各社はリストラ烈風となり、業務の大幅な見直し、会社間の統廃合もあり、人員削減も行われはじめた。
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、 私も50代のなかば1999年(平成11年)の新春、
取引先の物流会社に出向を命じられた。
こうした時に、私が定年退職を出来た後、どのような生活をしたいか、そして生活資金などを話し合った。
具体的には、私たち夫婦の第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。
こうしたことを実現するためには、
各出版社から数多くの本が発売されていたので、私なりに買い求めた。
そして『定年後』~「もうひとつの人生」への案内~(岩波書店)、
『間違いだらけの定年設計』(青春出版社)、
『「定年後」設計 腹づもり ~50代から考えておきたい~』(三笠書房)などを読んだりした。
或いは雑誌としては、 『ほんとうの時代 ~50代から読む「大人の生き方誌」~』(PHP研究所)であり、
こうした本を読んだりしながら、現在の我が家の貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、
そして年金の推定額も算出し、
収支概算表を年別に作表し、平均寿命までの年を総括表にしたりした。
そして、毎年の月別は、家計簿の応用で収入の項目、支出の保険、税金等を含め、
予定表も作成したりした。
この時の私は、幸いに住宅ローンを終えていたが、
私は1944年(昭和19年)9月生まれであるので、
年金の満額の支給は62歳であり、それまでの2年間は満額のほぼ半分となるので、このことも配慮した。
そして年金が満額となった62歳からの生活の収支は、
私たち夫婦の共通趣味である国内旅行費、そして冠婚葬祭など諸経費は例外として、
原則として生活費は年金を頂く範囲として、収支の概要を作成したりした。
こうした結果、私の年齢、家内の年齢を主軸に
1998年(平成10年)から私が80歳を迎えるまで、
年次別の収支と残額を作成し、パソコンに入れて、計画、実績、差額を毎月入れたりしていた。
こうした中、不慣れな遠い勤務先の出向会社に私が奮戦している時、
出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
私の定年退職後、年金生活を始め、私は自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は専守防衛長官の専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などの時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなくなったのである。
そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主もしている。
こうした中で、ときおり小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
こうした年金生活をしている中、2011年(平成23)年の7月下旬のある日、
いつものように午前中のひとときに、駅前のスーパーに向かい買物に行き、
その後はいつものように本屋に立ち寄った時、過日の読売新聞の出版広告で、
たまたま中央公論新社の新書本の案内のひとつで、
西垣千春・著作の『老後の生活破綻 ~身近に潜むリスクと解決策~』を知り、
いずれは読んでおきたいと感じたりしたことを思い出して、本書を手に取ったのである。
そして解説文を読んだりした・・。
《・・認知症、病気、詐欺、事故、子どもの失業――老後の生活にはさまざまなリスクが潜んでいる。
そして一度問題が生じると、周囲に気づかれないまま生活が破綻してしまうことも、
現代の日本社会では少なくない。
高齢者を助けるサービスはたくさんあるのに、なぜ十分に活用されないのか。
苦しむ高齢者を一人でも減らすため、また、自分や家族がそうした事態に陥らないために、何が必要なのか。
豊富な実例とともに考える。・・》
そして私は帰宅後、最優先に読み終えた後は、
長い老後を安らかに生きる為の教科書のひとつだ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
本書の中では、《高齢社会の現実》の章に於いては、《高齢化の特徴》、《健康》、《血縁と地縁》、《家計》、
《事例で見る生活破綻》の章に於いては、《判断力の低下》、《健康状態の変化》、《予期せぬ事故・災害》など、
或いは《高齢者特有のリスク》の章に於いては、《生活破綻の実態》、《セルフマネジメント能力の低下》、《人間関係の変化》など、
そして終章の《高齢者の生活破綻を防ぐために》に於いては、多々実例を記載されている。
こうした本書は、齢を重ねた高齢者にとっては、誰しもが避けて通れない切実な難題が明記されいる。
私たち夫婦は、大病に遭遇せずに今日まで至っている。
医院にお世話になったのは、私たち夫婦はお互いに歯が劣化して、
歯科医院に幾たびか治療を受けてきたぐらいである。
或いは私が2010年〈平成22年〉の秋の健康診断で糖尿病と明示されて以来、
食事の内容はもとより、ひたすら歩き廻ったりして大幅に改善されている。
何よりも長き45年ぐらい日本酒の純米酒、ビールを夜のひととき愛飲してきたが、
糖尿病と宣告されて以来、 冠婚葬祭、懇親会、国内旅行など以外は、
原則として自宅で呑むのは、5日に一度ぐらいとなっている。
この間、最寄の内科専門医院に3週間毎に定期健診を受けているが、
ここ3年ぐらいは悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はほぼ優等生となって、
改善努力の成果となっている。
こうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
しかしながら私の現役サラリーマン時代の58歳の時に、同僚が難病で死去されたり、
定年後の2年過ぎた頃、健康溌剌で過ごしてきた私より2歳先輩の方が、突然に病死されたりし、
昨今、長寿社会といわれても、60代でもこの世とお別れする方もいるのである。
このような心情を秘めてきた私は、せめて60代は五体満足で生かしてくれ、
この後の70代は余生と思ったりしてきた・・。
そして認知症などあわず、心が明確な時にポックリと死去できれば良い、
と秘かに念願しているが、こればかりは天上の神々の采配に寄るものである。
或いは、私は煙草を喫う愛煙者で、運動も散策、ときたまウォーキング程度であるので、
家内より先にあの世に行っていると確信しているので、
私の葬儀、お墓、そして家内の独りの老後で程ほどに生活できそうな状況のことも、
話し合ったりしている。
しかし、このことも天命に寄り、家内に先立たれることもあり、
私が独りぽっちとなることも、一年に数回ぐらいは、おひとりさまの生活を思いめぐらすこともある。
こうした思い秘めているが、世の中は想定できないことが多々あるので、
もとより私が知らないことも数多くあり、
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