私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
昼食後のひととき、ネットで経済ニュースなどを彷徨(さまよ)って検索している中で、
ひとつの掲載された記事を精読してしまった。
《・・老境に入ったとき、あなたは「わが人生に悔いなし」と思えるだろうか──。
55~74歳の男女1000人に緊急アンケートを行い、その本音に迫った。
現役世代の私たちが今からやるべきことを専門家にアドバイスしてもらうとともに、
先輩方の「後悔していることトップ20」を発表する。》
このような主題が明記され、 ビジネスと生活の総合情報誌として名高い『プレジデント』のオンライン・サイトであり、
私も特集記事に魅了された時に買い求めることもあるので、信頼できる内容が多いので、
精読してしまったのである・・。
この記事元は『PRESIDENT』誌の2012年11月12日号に掲載され、
ネットに於いて2014年4月18日(金)配信された記事である。
そして調査概要として、gooリサーチとプレジデント編集部の共同調査により、
「人生の振り返り」に関するアンケートを2012年9月25日から27日まで実施し、
55~74歳の男女比は約7:3に於いて、1060人の回答の結果、
「後悔していることトップ20」の中、
1位は「一生続けられる趣味を見つければよかった」と知り、高齢者の69歳の私は衝撃を受けて、
やがて微苦笑させられた・・。
http://president.jp/articles/-/12334
☆【PRESIDENT Online】
<==『リタイア前にやるべきだった……」後悔トップ20』☆
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は幾たびも綴ってきたが、1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
農家の児として幼年期を過ごし、やがて小学2年の時に父に病死され、
その後の1年過ぎた晩春の時に祖父にも死去され、
肝要なふたりの大黒柱を失った生家は衰退し、生活に困窮した時期もあった。
その後は、母の孤軍奮闘に寄り、私たち兄ふたり、そして妹のふたりの五人は
何とか世間並みの生活が出来るようになった。
この間の私は、長兄、次兄の学業は優等生であったせいか、
『お兄さんは・・優秀だったのに・・』
と担任の先生から言われたりし、何かしらいじけた劣等生で、地元の小・中学校の時代を過ごした。
高校生になると、長兄、次兄の影響のない都心のある高校であったので、
自縛から解放されたかのように面持ちとなった。
そして初めて授業も楽しくなり程ほどの成績となり、
読書にも目覚めて熱愛し、やがて小説の習作を始めたりした。
そして私は小学生の後半から映画の数多くの作品に圧倒的に魅せられて、
この後の中学時代を含めて、相変わらず独りで映画館に通ったした映画少年となり、
高校生になると、下校後にたびたび都心の映画館に寄ったりし帰宅していた。
そして東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋、
映画の脚本家になりたくて大学を中退し、アルバイトをしながら専門養成所で映画青年の真似事をした。
やがて講師の知人の新劇の長老から、
『映画の世界で飯(めし)を食べのは、益々困難になるょ・・
同じ創作だったら、小説を書きなさい』と私はアドバイスを頂き、
その後、契約社員などをしながら文学青年の真似事をし、
新人の純文学の小説コンクールの最終候補作の6作品の寸前で、3度ばかり落選したりしていた。
こうした落胆していた時、30代に普通の家庭が築けるの、妻子を養っていけるの、
と素朴な叱咤を叔父さんから、やんわりと言われ、
根拠のない自信にばかりの私はうろたえ、はかなくも挫折した。
その後はやむなく安定した人生航路に軌道修正し、企業に中途入社する為に、
コンピュータの専門学校に1年ほど学んだりした。
その上、幸いご近所に住まわれている大企業の経営陣のお方のご尽力もあり、
この当時、民間の大企業であった映像・音響メーカーに中途入社できたのは、
1970年(昭和45年)の春であり、25歳の時であった。
その後、入社した大企業の音楽部門のひとつがレコード会社として独立され、
私も異籍させられて、これ以降は定年まで音楽分野に勤めることになった。
この間は家内と結婚したり、やがて1戸建ての家を構え、若さの勢いで家屋の中に茶室を設けたりし、
住宅ローンなどが重く苦心惨憺な時期も過ごした。
もとより会社の勤務も数多くのサラリーマンと同様に多忙で、落伍者になるまいと、私なりに奮闘したりした。
そして、ぎっくり腰で1ヶ月近く入院した40代の後半があったり、
レコード会社の合併などで完全外資となり翻弄された時代もあり、
そして音楽業界のピークとなるのは、私が50代のなかばであった。
こうした暗澹たるリストラ烈風の中、私の勤めていた会社もリストラが行われ、
希望退職優遇制度の名の下で定年前に退職を余儀なくされた人もいたし、
人事異動が盛んに行われ、私のように出向となった人もいた。
こうした時に、私たち夫婦はどのような老後の生活をしたいのか、
と改めて真剣に話し合った。
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。
こうしたことを実現するためには、もとより老後の資金も肝要なので、
私は出向先の物流会社で、委託しているCD、DVD等の音楽商品を保管・管理する物流情報会社であり、
通勤としては、ほど遠く、この中のひとつの物流センターに配属された。
私の住む自宅からバスに乗った後の最寄り駅は、小田急線の成城学園前であり、
30年近くレコード会社の裏方の情報畑、管理畑に勤めた本社で勤務していた時は、
自宅を8時過ぎに出て、都心に向かって一時間で通勤していた。
そして出向先は、自宅を6時過ぎのバスの始発に乗車し、成城学園前からは下り方面の本厚木駅に行った後、
バスに乗り換えて物流倉庫の多い処まで、一時間半ばかりで通った。
職場状況、そして通勤状況も大幅に変貌したので、初めの半年ぐらいは戸惑いながら、
つたない私でも、もとより出向は本社機能の戦力から不必要だと烙印を押されたことであるので、
まぎれなく都落ちで、敗北感が充満し失墜感で気落ちした・・。
この後、何とか半年後に私は職場の業務にも馴染み、
やがて遠い勤務先の出向会社に私が奮戦している時、
出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたりした。
、
そして私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
このような半生であるので、世の中の半生記は何かと自慢史が多いと言われる中、
私は程遠い世界である。
もとより一流大学を卒業した後、官公庁、大企業などで邁進され栄達したエリートのお方たちと違い、
数多い中小業で35年ばかり勤め、苦楽の激しかったサラリーマン生活であったので、
高収入、高額な退職金、まして富や名声に無縁である。

やがて年金生活を始めた当時、家内は専業主婦だったので、家内の日常のペースを出来る限り乱したくないので、
家内は殆ど従来通りの料理、掃除、洗濯などをしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。
そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買い物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
定年後の年金生活の日常の大半は、平素の買物専任者の責務を終えた後、
散策したりした後、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりし、ときたま小庭を手入れをしたり、家内との共通趣味のひとつの国内旅行をしたりして、
退職後の年金生活で過ごして今日に至っている・・。
そして青年時代に文章を綴り家庭生活を過ごすが夢であったので、
体力、感性も衰えた今は、もとより小説の習作もままならず、
大幅な変貌してきたが、プログで随筆のような形式をめざして、毎日投稿するのが、
生きがいのひとつとなっている。

このように改めて、私の簡略な軌跡を明示してきたが、
今回の記事でアンケートの「後悔していること」アンケートの結果、
1位は「一生続けられる趣味を見つければよかった」ことは、
本当ですか、と私は衝撃を受けたのである。
このように拙(つたな)い私が、「後悔していること」を恥ずかしながら告白すれば、
私が読書を5年早く、小学校の最後の頃に目覚めていれば、
文学部の国文学を専攻した、と文学青年の真似事の習作の時、自責をしたりしたことがあった。
そして中学生の時から勉学を重ねて、素直に文学部の国文学を専攻した後、
最終として大学教授で専攻として国文学関係に・・・と夢想したことがあったりしたが、
人生は二度あれば・・もとよりこの世では叶(かな)うことがないので、苦笑したりしている。
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昼食後のひととき、ネットで経済ニュースなどを彷徨(さまよ)って検索している中で、
ひとつの掲載された記事を精読してしまった。
《・・老境に入ったとき、あなたは「わが人生に悔いなし」と思えるだろうか──。
55~74歳の男女1000人に緊急アンケートを行い、その本音に迫った。
現役世代の私たちが今からやるべきことを専門家にアドバイスしてもらうとともに、
先輩方の「後悔していることトップ20」を発表する。》
このような主題が明記され、 ビジネスと生活の総合情報誌として名高い『プレジデント』のオンライン・サイトであり、
私も特集記事に魅了された時に買い求めることもあるので、信頼できる内容が多いので、
精読してしまったのである・・。
この記事元は『PRESIDENT』誌の2012年11月12日号に掲載され、
ネットに於いて2014年4月18日(金)配信された記事である。
そして調査概要として、gooリサーチとプレジデント編集部の共同調査により、
「人生の振り返り」に関するアンケートを2012年9月25日から27日まで実施し、
55~74歳の男女比は約7:3に於いて、1060人の回答の結果、
「後悔していることトップ20」の中、
1位は「一生続けられる趣味を見つければよかった」と知り、高齢者の69歳の私は衝撃を受けて、
やがて微苦笑させられた・・。
http://president.jp/articles/-/12334
☆【PRESIDENT Online】
<==『リタイア前にやるべきだった……」後悔トップ20』☆

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は幾たびも綴ってきたが、1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
農家の児として幼年期を過ごし、やがて小学2年の時に父に病死され、
その後の1年過ぎた晩春の時に祖父にも死去され、
肝要なふたりの大黒柱を失った生家は衰退し、生活に困窮した時期もあった。
その後は、母の孤軍奮闘に寄り、私たち兄ふたり、そして妹のふたりの五人は
何とか世間並みの生活が出来るようになった。
この間の私は、長兄、次兄の学業は優等生であったせいか、
『お兄さんは・・優秀だったのに・・』
と担任の先生から言われたりし、何かしらいじけた劣等生で、地元の小・中学校の時代を過ごした。
高校生になると、長兄、次兄の影響のない都心のある高校であったので、
自縛から解放されたかのように面持ちとなった。
そして初めて授業も楽しくなり程ほどの成績となり、
読書にも目覚めて熱愛し、やがて小説の習作を始めたりした。
そして私は小学生の後半から映画の数多くの作品に圧倒的に魅せられて、
この後の中学時代を含めて、相変わらず独りで映画館に通ったした映画少年となり、
高校生になると、下校後にたびたび都心の映画館に寄ったりし帰宅していた。
そして東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋、
映画の脚本家になりたくて大学を中退し、アルバイトをしながら専門養成所で映画青年の真似事をした。
やがて講師の知人の新劇の長老から、
『映画の世界で飯(めし)を食べのは、益々困難になるょ・・
同じ創作だったら、小説を書きなさい』と私はアドバイスを頂き、
その後、契約社員などをしながら文学青年の真似事をし、
新人の純文学の小説コンクールの最終候補作の6作品の寸前で、3度ばかり落選したりしていた。
こうした落胆していた時、30代に普通の家庭が築けるの、妻子を養っていけるの、
と素朴な叱咤を叔父さんから、やんわりと言われ、
根拠のない自信にばかりの私はうろたえ、はかなくも挫折した。

その後はやむなく安定した人生航路に軌道修正し、企業に中途入社する為に、
コンピュータの専門学校に1年ほど学んだりした。
その上、幸いご近所に住まわれている大企業の経営陣のお方のご尽力もあり、
この当時、民間の大企業であった映像・音響メーカーに中途入社できたのは、
1970年(昭和45年)の春であり、25歳の時であった。
その後、入社した大企業の音楽部門のひとつがレコード会社として独立され、
私も異籍させられて、これ以降は定年まで音楽分野に勤めることになった。
この間は家内と結婚したり、やがて1戸建ての家を構え、若さの勢いで家屋の中に茶室を設けたりし、
住宅ローンなどが重く苦心惨憺な時期も過ごした。
もとより会社の勤務も数多くのサラリーマンと同様に多忙で、落伍者になるまいと、私なりに奮闘したりした。
そして、ぎっくり腰で1ヶ月近く入院した40代の後半があったり、
レコード会社の合併などで完全外資となり翻弄された時代もあり、
そして音楽業界のピークとなるのは、私が50代のなかばであった。
こうした暗澹たるリストラ烈風の中、私の勤めていた会社もリストラが行われ、
希望退職優遇制度の名の下で定年前に退職を余儀なくされた人もいたし、
人事異動が盛んに行われ、私のように出向となった人もいた。

こうした時に、私たち夫婦はどのような老後の生活をしたいのか、
と改めて真剣に話し合った。
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。
こうしたことを実現するためには、もとより老後の資金も肝要なので、
私は出向先の物流会社で、委託しているCD、DVD等の音楽商品を保管・管理する物流情報会社であり、
通勤としては、ほど遠く、この中のひとつの物流センターに配属された。
私の住む自宅からバスに乗った後の最寄り駅は、小田急線の成城学園前であり、
30年近くレコード会社の裏方の情報畑、管理畑に勤めた本社で勤務していた時は、
自宅を8時過ぎに出て、都心に向かって一時間で通勤していた。
そして出向先は、自宅を6時過ぎのバスの始発に乗車し、成城学園前からは下り方面の本厚木駅に行った後、
バスに乗り換えて物流倉庫の多い処まで、一時間半ばかりで通った。
職場状況、そして通勤状況も大幅に変貌したので、初めの半年ぐらいは戸惑いながら、
つたない私でも、もとより出向は本社機能の戦力から不必要だと烙印を押されたことであるので、
まぎれなく都落ちで、敗北感が充満し失墜感で気落ちした・・。

この後、何とか半年後に私は職場の業務にも馴染み、
やがて遠い勤務先の出向会社に私が奮戦している時、
出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたりした。
、
そして私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
このような半生であるので、世の中の半生記は何かと自慢史が多いと言われる中、
私は程遠い世界である。
もとより一流大学を卒業した後、官公庁、大企業などで邁進され栄達したエリートのお方たちと違い、
数多い中小業で35年ばかり勤め、苦楽の激しかったサラリーマン生活であったので、
高収入、高額な退職金、まして富や名声に無縁である。

やがて年金生活を始めた当時、家内は専業主婦だったので、家内の日常のペースを出来る限り乱したくないので、
家内は殆ど従来通りの料理、掃除、洗濯などをしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。
そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買い物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。

定年後の年金生活の日常の大半は、平素の買物専任者の責務を終えた後、
散策したりした後、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりし、ときたま小庭を手入れをしたり、家内との共通趣味のひとつの国内旅行をしたりして、
退職後の年金生活で過ごして今日に至っている・・。
そして青年時代に文章を綴り家庭生活を過ごすが夢であったので、
体力、感性も衰えた今は、もとより小説の習作もままならず、
大幅な変貌してきたが、プログで随筆のような形式をめざして、毎日投稿するのが、
生きがいのひとつとなっている。

このように改めて、私の簡略な軌跡を明示してきたが、
今回の記事でアンケートの「後悔していること」アンケートの結果、
1位は「一生続けられる趣味を見つければよかった」ことは、
本当ですか、と私は衝撃を受けたのである。
このように拙(つたな)い私が、「後悔していること」を恥ずかしながら告白すれば、
私が読書を5年早く、小学校の最後の頃に目覚めていれば、
文学部の国文学を専攻した、と文学青年の真似事の習作の時、自責をしたりしたことがあった。
そして中学生の時から勉学を重ねて、素直に文学部の国文学を専攻した後、
最終として大学教授で専攻として国文学関係に・・・と夢想したことがあったりしたが、
人生は二度あれば・・もとよりこの世では叶(かな)うことがないので、苦笑したりしている。
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