夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブログの世界は、海よりも深く、空よりも広く、そして時空を越えて、と改めて私は教示させられて・・。

2016-09-05 14:13:43 | ささやかな古稀からの思い
私は今朝、パソコンで私のブログサイト【夢逢人かりそめ草紙】を見ると、
コメント欄に私の古い投稿文に関して、書き込まれていたので、まもなく開いたりした・・。

そして私が過ぎし2011年8月21日に投稿した文であり、
どうして5年前の頃の投稿文について、コメントを下さったのかしら、と思ったりした。

この時の私は【 『なくしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ』のコピー文、私は瞬時に絶賛し・・。】
と題して投稿文であり、あえて再掲載する。
            

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先程、本棚を見ていたら、単行本が並列に並べた上に、
気になった雑誌を6冊を載せていたので、この中の一冊をどうして保存していたのかしら、
と思いながら手に取ったりした。

中間小説の月刊誌の『小説新潮』で、2008年11月号であったが、
特集として『鉄道百景』であり、今は亡き紀行作家の宮脇俊三さんの単行本未収録短編2編が
掲載されていたので、私は保存していた、と私は解った。

そして何故かしら、栞(しおり)が本書の中に入っていたので、
このページを開いたのである。

この当時は鉄道紀行作家として溌剌としていた酒井順子さんが『こだま号の女』と題し、
東京から博多までをこだまを乗り継いでスロー旅の紀行文であった。

この中に、私が赤マジックで罫線を引いていた。

この綴りの中で、豊橋に停車した後、三河安城を過ぎると、
《 なくしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ 》
とセロテープを製造されているニチバンの工場に巨大な看板が観える、
と綴られていたのである。

この箇所を私は赤マジックで罫線を引いていた。

私は3年ぶりぐらいで罫線の文を再読したのであるが、
人生の苦楽をさりげなく込められたコピー文・・
巧(うま)いなぁ、と瞬時に感心し、まぎれなく名コピーと思ったりした。

そして、社内の企業コピーの応募コンクールに於いて、
この工場に勤めいる男性社員が、人生の苦楽が解かりはじめた方が発想されたのかしら、
その上で、感性のある会社の首脳部のひとりが、認定されたのかしら、
と高齢者2年生の私は微笑みながら、感じたのである。
            

このような短い投稿文であった。

そして今回、コメントを寄せて下さった御方は、無記入であったが、心やさしい心情で、
>なんとなく見つけましたので、なんとなくお知らせします。
>世の中にはコピーライターという職業がございまして。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B2%E7%95%91%E8%B2%B4%E5%BF%97
>仲畑貴志氏という「コピーライターの神」と称される人が書いたコピーです。

>世の中には様々な名コピーがあり、コピーライターも個性があります。
>いろいろと感じられるものがあるかもしれませんね。

こうしたコメントを私は頂き、やがて私は添付して下さったフリー百科事典として名高いウィキペディアを開き、
仲畑貴志(なかはた・たかし)さんの人生航路を学び、そして数多くのコピー作品を読みながら、
何かと無知な私でも、知っているコピー作品が多く、コメントを下さったご親切な未知の御方に感謝したりした。

やがて私は、礼状のような文面をコメントを下さった未知の御方に、
返信を認(したた)めたりした。

そして私は『 なくしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ 』は、
「コピーライターの神」と称される仲畑貴志さんの作品と、ご親切な未知の御方より教示されて、
恥ずかしながら初めて学んだりした。

もとより私の無学の為であるが、たまたま未知の御方が私の5年前の投稿文をお読み下さり、
その上、ご親切にも私にコメントを頂き、ブログの世界は、海よりも深く、空よりも広く、そして時空を越えて、
と改めて私は感じたりした・・。
            

私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職して、
定年後、多々の理由で年金生活を始め、まもなく偶然にブログの世界を知った・・。

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入し、この日から4247日が過ぎている。

この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
        
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸11年が過ぎて、早や12年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                           
              
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

或いは年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどが心の叫び、思いがあふれ、
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                                                 
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
       
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
                                    

こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは4年半近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
         
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。
                                                         
このように私は自身の投稿文も大切であるが、文愛人(ふみあいびと)のひとりの私は、
この間、数多くの御方で50代から80代を中核に、投稿文を読ませて頂いたりした。

そして例(たと)えば、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしてきた。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を教示されながら、年金生活を過ごしたりしている。

こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始め、
やがてその御方のブログの愛読者のひとりになってきた・・。
                                    

ときおり私は数多く方にコメントをしてきたが、数多くの御方からでも、コメントを頂いてきた・・。
先ほど、ぼんやりとブログを開設以来、コメントを頂いた人たち・・思い浮かべたりした。

そして私の世代に相応(ふさわ)しく、ブログ上で心の交流として、
やはりシニアの60歳代、70歳代が圧倒的に多いなぁ、と私は微笑んだりした・・。

こうした中で、確か小学5年生の女の子から、突然にコメントを頂いたりした。
確かブログを始めて半年が過ぎた頃、あるブログに準じた簡易ブログサイトに私が加入していた時、
札幌市にお住まい小学5年生の女の子から、コメントを頂き、私は驚いた・・。

何かしら東京に行きたい、と主旨であったが、
私は旅先の札幌の市内、郊外には、幾たびか訪れていたので、
東京より素敵な処が数多くあります、と具体的に名所、景観を記載して返信したりした。

そしてお互いに3通ばかり交流した最後に、
お父様によくお話しをして下さいね、と私は記載して、終結とした。
                       

或いは私は音楽が好きなので、数多くの投稿文をしている中、20歳代、30歳代の男女から、
幾たびかコメントを頂いたりして、教えられることも多々あったりした。

そして高校2年の女子生徒より、私の投稿文に対して、
アメリカの社会学者のアルビン・グールドナー・著作の『知識人の未来と新たな階層の台頭』に関心があり、
とコメントされてきた・・。

そして私は、高校2年生の貴女様が、この御本に関心があると知り、社会学に早熟で、驚いている次第です、
と称賛した文を返信したりした。

こうした中、何よりも恐縮したのは、私が65歳の時、84歳の男性から、健康のこと、
或いは人生教訓のことまで記載され、私は多々教示されたりした。
                         

この間、海外に住む御方からでも、コメントを頂き、ネットは世界をめぐることを実感させられたりした。

過ぎし7年前に、アメリカのミシガン湖畔の住宅街にお住まい日系3世、高校女子生徒と、
日本とアメリカの風習、季節感の差異をお互いに確か6通ぐらい交流した。

やがて広島の原爆投下の理由に関して、
多くのアメリカ軍の青年を犠牲するを避けるために原爆投下した、と学校で教えられた、
と断片するように記載され、私に同意を求めたので、私は異論を唱えて、はかなくも交流は途絶えた・・。


今年の4月中旬、ドイツにお住まいの女性と思われる御方から、
私が昨年の2015年4月11日に於いて、【『長崎の鐘』の歌、私が生まれて初めて感動させられた歌となり・・。】
と題した投稿文をお読み頂いたりした。

そして日本に訪れる時、『長崎の鐘』の歌を唄いたく、歌詞を教えて下さい、
という内容で、電子(E)メールのアドレスも記載されて、少したどたどしい日本文で、
真摯な心情でコメントを頂いたりした。

私は迅速に、歌詞を記載し、電子(E)メールで送信したり、コメント欄にも同一内容を返信したりした。

やがて丁重なコメントを私は頂き、恐縮しながら微笑んだりした。

或いは電子(E)メールも頂き、更に真摯な詳細事情を記載されて、
電子(E)メールのアドレスの削除を依頼されていたので、
やむなく最初のブログ上のコメントを私は削除したりした。
            
このように私は、ブログを真摯に、ときには楽しく投稿をしてきた中で、コメントを頂い御方は、
小学5年生の女の子から80代の男性まで、そして想定外の海外からも頂き、
ひたすら感謝しながら微笑んだりしている・・。
            

今回、改めてブログの世界は、海よりも深く、空よりも広く、そして時空を越えている、
と私は実感を深めたりしている。

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