私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅で、雑木の多い小庭に古惚けた戸建に住み、
近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。
この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった方の手をお借りながらも田畑を耕していた。
こうした中、私は長兄、次兄に続いて生まれた三男であり、
農家の跡取りは長兄であるが、この当時も幼児に病死することもあるが、
万一の場合は次兄がいたので万全となり、今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。
私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私なりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心で感じながら、
いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。
そして私が地元の小学校に入学したのは、1951年〈昭和26年〉の春である。
私は小学校の学業は、兄ふたりは優等生であったが、
なぜかしら私は通信簿『3』と『2』ばかりの劣等生であった。
こうした中、この頃に生家にある本と云えば、
農協の発刊する月刊誌の『家の光』ぐらい記憶にない。
やがて小学5年の時、近くに引っ越してきた都心に勤めるサラリーマンの宅に行った時に、
居間にある書棚に本が並んでいたを見た時は、私は少年心でも、眩暈(めまい)を感じたりした。
その後、私が都心にある高校に入学した1960年(昭和35年)の春、
遅ればせながら、突然に読書に目覚めて、活字から綴られた底しれぬ内容はもとより、
行間から感じられる深淵に、圧倒的に魅せられた。
やがて中央公論社から確か『日本の文学』と命名された80巻ぐらいの文学全集を読んだり、
その後に講談社から出版された『われらの文学』と名づけられた全22巻の文学全集を精読したりした。
こうした中で、純文学の月刊誌の『新潮』、『文學界』、『群像』を愛読していた。
或いは中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしていた。
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。
まもなく音楽事業本部の大手レーベルのひとつが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。
そして最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
この間、サラリーマン生活を奮闘している中、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の各氏の
小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。
そして2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。
雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は、購読したりしている。
こうした年金生活の中でも、私は本は、原則として本屋で買い求めたりしている。
しかしながら昨今は、ときおりコンビニで雑誌の月刊誌、週刊誌を購入する時もあるが、
街の本屋の衰退に嘆いているので、せめてと思いながらも、
アマゾン、楽天などネット購入は天敵と思いながら、利用したことない稀(まれ)な人となっている。
この間、図書館を利用したのは、数万円以上する民芸品を掲載した高価な本、美術品の豪華本に限り、
お借りして読ませて頂いたりしてきた。
私はどのような分野の本、音楽のレコード、CD、DVDは、
ネット上で公開されている以外は、無料という世界は避けているひとりである。
こうした私の信条を的確に表現していたは、2011年(平成23年)の春、
内田樹(うちだ・たつる)さんの『街場のメディア論』(光文社新書)に於いては、表現されている。
《・・著作者は書き手から読み手への「贈り物」です。
だから、贈り物を受け取った側は、それがもたらした恩恵に対して、敬意と感謝を示す。
それが現代の出版ビジネスモデルでは「印税」というすかたちで表現される。
けれども、それはオリジネイターに対する敬意が、
たまたま貨幣のかたちを借りて示されたものだと僕は考えたい。
すばらしい作品を創り上げて、読者に快楽をもたらした功績に対しては、
読者は「ありがとう」と言いたい気持ちになる。
(略)
それはいくばくかの貨幣のかたちをとってオリジネイターに向けて返礼される。・・》
(引用元ページ・147、148ページ)
注)原文にあえて改行を多くした。
私は本を買い求める時は、本屋に立ち寄って書棚を見ながら、読んでみたいなぁ、と瞬時に魅了された時に買い求めるが多い。
或いは新聞で出版社の発刊している広告を見て、本屋に行って、やがて購読したりしている。
ときには雑誌、新聞などで、書評を偶然に読んで買い求めることもある。
今朝、いつもように読売新聞を読んでいると、【文化】面として日曜日に於いては、
[本よみうり堂]と名づけられた最近発刊された八冊ぐらいの書評が恒例として掲載されている。
たまたま本日、読んだ中で、ノンフィクションライターの稲泉 連さんが、
中井計(なかむら・けい)さん著作の『勝ち過ぎた監督~駒大苫小牧 幻の三連覇~』(集英社 1700円)を書評されていた。
そして記事の見出しには《名将の栄光と挫折》とされていたが、
私は読みに連れて、心の琴線(きんせん)が、次第に奏(かな)でった・・。
無断であるが、転記させて頂く。
《・・ 〈人一倍、臆病で繊細な反面、驚くほど大胆で不遜・・〉
本書の主人公・香田誉士史の人物像を、著者はそのように表現する。
相反する性質を抱え込んだ一筋縄にはいかない人、ということだろう。
香田は2004年、駒大苫小牧高校の監督として、北海道初の甲子園制覇を成し遂げた名将だ。
翌年には57年ぶりとなる夏の2連覇。
さらに翌々年は伝説的な決勝再試合となった早稲田実業戦で、3連覇にぎりぎりまで近づいた。
ほんの数年前は無名だった駒大苫小牧を、彼はいかにして快挙へと導いたのか。
著者は20代のひとりの若者が、北海道に徒手で赴任し、選手たちや北国の風土と真っ向から対峙(たいじ)して、
チームを鍛え上げた過程をまずは描いていく。
だが、本書を「なぜ彼らは勝てたのか」式のサクセスストーリーとして読み始めた私は、
途中からの物語の暗転に意表を突かれ、頁ページをめくる手が、止まらなくなった。
そしていま、本を閉じて思うのは、この作品は頂点に立った指導者が、それ故に抱え込んだ光と影を、
清濁併せ呑のんで描いた剥むき出しの人間ドキュメントであったということだ。
「幻の3連覇」に至る過程で、同校では体罰問題や選手の飲酒問題が重なり、
対応に追われた香田は、次第に心を壊していく。
著者はその赤裸々な回想に寄り添うことで、勝利と引き換えに、彼が何を失ったかを浮かび上がらせる。
田中将大と斎藤佑樹が投げ合った2006年。
すでに勝利に対して疲れ切っていた香田が〈負けへの誘惑〉に駆られるも、
一方で勝つための采配を本能のように振るおうとするシーンなどは、
心を揺さぶられずには、いられなかった。
書いた著者もすごいが、自らをさらけ出して、これを書かせた香田もすごい、と思ったからである。
名誉と不名誉、栄光と挫折。
それらは常に、表裏一体のものとしてあることを、ひとりの男の生き様を通して教えられた一冊だ。・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
こうした書評に私は圧倒的に瞬時に魅了されて、買い求めて読みたい一冊となった。
たかが書評されど書評である。
私は読書に関しては、若き青年時代までは小説、随筆が圧倒的に多かったが、
齢を重ねるたびに随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
昨今は小説を殆ど興味がなくなっていることに、苦笑することもある。
そして何かと読書好きな私は、乱読して早や55年かしら、と微笑んだりしている。
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近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。
この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった方の手をお借りながらも田畑を耕していた。
こうした中、私は長兄、次兄に続いて生まれた三男であり、
農家の跡取りは長兄であるが、この当時も幼児に病死することもあるが、
万一の場合は次兄がいたので万全となり、今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。
私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私なりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心で感じながら、
いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。
そして私が地元の小学校に入学したのは、1951年〈昭和26年〉の春である。
私は小学校の学業は、兄ふたりは優等生であったが、
なぜかしら私は通信簿『3』と『2』ばかりの劣等生であった。
こうした中、この頃に生家にある本と云えば、
農協の発刊する月刊誌の『家の光』ぐらい記憶にない。
やがて小学5年の時、近くに引っ越してきた都心に勤めるサラリーマンの宅に行った時に、
居間にある書棚に本が並んでいたを見た時は、私は少年心でも、眩暈(めまい)を感じたりした。
その後、私が都心にある高校に入学した1960年(昭和35年)の春、
遅ればせながら、突然に読書に目覚めて、活字から綴られた底しれぬ内容はもとより、
行間から感じられる深淵に、圧倒的に魅せられた。
やがて中央公論社から確か『日本の文学』と命名された80巻ぐらいの文学全集を読んだり、
その後に講談社から出版された『われらの文学』と名づけられた全22巻の文学全集を精読したりした。
こうした中で、純文学の月刊誌の『新潮』、『文學界』、『群像』を愛読していた。
或いは中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしていた。
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。
まもなく音楽事業本部の大手レーベルのひとつが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。
そして最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
この間、サラリーマン生活を奮闘している中、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の各氏の
小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。
そして2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。
雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は、購読したりしている。
こうした年金生活の中でも、私は本は、原則として本屋で買い求めたりしている。
しかしながら昨今は、ときおりコンビニで雑誌の月刊誌、週刊誌を購入する時もあるが、
街の本屋の衰退に嘆いているので、せめてと思いながらも、
アマゾン、楽天などネット購入は天敵と思いながら、利用したことない稀(まれ)な人となっている。
この間、図書館を利用したのは、数万円以上する民芸品を掲載した高価な本、美術品の豪華本に限り、
お借りして読ませて頂いたりしてきた。
私はどのような分野の本、音楽のレコード、CD、DVDは、
ネット上で公開されている以外は、無料という世界は避けているひとりである。
こうした私の信条を的確に表現していたは、2011年(平成23年)の春、
内田樹(うちだ・たつる)さんの『街場のメディア論』(光文社新書)に於いては、表現されている。
《・・著作者は書き手から読み手への「贈り物」です。
だから、贈り物を受け取った側は、それがもたらした恩恵に対して、敬意と感謝を示す。
それが現代の出版ビジネスモデルでは「印税」というすかたちで表現される。
けれども、それはオリジネイターに対する敬意が、
たまたま貨幣のかたちを借りて示されたものだと僕は考えたい。
すばらしい作品を創り上げて、読者に快楽をもたらした功績に対しては、
読者は「ありがとう」と言いたい気持ちになる。
(略)
それはいくばくかの貨幣のかたちをとってオリジネイターに向けて返礼される。・・》
(引用元ページ・147、148ページ)
注)原文にあえて改行を多くした。
私は本を買い求める時は、本屋に立ち寄って書棚を見ながら、読んでみたいなぁ、と瞬時に魅了された時に買い求めるが多い。
或いは新聞で出版社の発刊している広告を見て、本屋に行って、やがて購読したりしている。
ときには雑誌、新聞などで、書評を偶然に読んで買い求めることもある。
今朝、いつもように読売新聞を読んでいると、【文化】面として日曜日に於いては、
[本よみうり堂]と名づけられた最近発刊された八冊ぐらいの書評が恒例として掲載されている。
たまたま本日、読んだ中で、ノンフィクションライターの稲泉 連さんが、
中井計(なかむら・けい)さん著作の『勝ち過ぎた監督~駒大苫小牧 幻の三連覇~』(集英社 1700円)を書評されていた。
そして記事の見出しには《名将の栄光と挫折》とされていたが、
私は読みに連れて、心の琴線(きんせん)が、次第に奏(かな)でった・・。
無断であるが、転記させて頂く。
《・・ 〈人一倍、臆病で繊細な反面、驚くほど大胆で不遜・・〉
本書の主人公・香田誉士史の人物像を、著者はそのように表現する。
相反する性質を抱え込んだ一筋縄にはいかない人、ということだろう。
香田は2004年、駒大苫小牧高校の監督として、北海道初の甲子園制覇を成し遂げた名将だ。
翌年には57年ぶりとなる夏の2連覇。
さらに翌々年は伝説的な決勝再試合となった早稲田実業戦で、3連覇にぎりぎりまで近づいた。
ほんの数年前は無名だった駒大苫小牧を、彼はいかにして快挙へと導いたのか。
著者は20代のひとりの若者が、北海道に徒手で赴任し、選手たちや北国の風土と真っ向から対峙(たいじ)して、
チームを鍛え上げた過程をまずは描いていく。
だが、本書を「なぜ彼らは勝てたのか」式のサクセスストーリーとして読み始めた私は、
途中からの物語の暗転に意表を突かれ、頁ページをめくる手が、止まらなくなった。
そしていま、本を閉じて思うのは、この作品は頂点に立った指導者が、それ故に抱え込んだ光と影を、
清濁併せ呑のんで描いた剥むき出しの人間ドキュメントであったということだ。
「幻の3連覇」に至る過程で、同校では体罰問題や選手の飲酒問題が重なり、
対応に追われた香田は、次第に心を壊していく。
著者はその赤裸々な回想に寄り添うことで、勝利と引き換えに、彼が何を失ったかを浮かび上がらせる。
田中将大と斎藤佑樹が投げ合った2006年。
すでに勝利に対して疲れ切っていた香田が〈負けへの誘惑〉に駆られるも、
一方で勝つための采配を本能のように振るおうとするシーンなどは、
心を揺さぶられずには、いられなかった。
書いた著者もすごいが、自らをさらけ出して、これを書かせた香田もすごい、と思ったからである。
名誉と不名誉、栄光と挫折。
それらは常に、表裏一体のものとしてあることを、ひとりの男の生き様を通して教えられた一冊だ。・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
こうした書評に私は圧倒的に瞬時に魅了されて、買い求めて読みたい一冊となった。
たかが書評されど書評である。
私は読書に関しては、若き青年時代までは小説、随筆が圧倒的に多かったが、
齢を重ねるたびに随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
昨今は小説を殆ど興味がなくなっていることに、苦笑することもある。
そして何かと読書好きな私は、乱読して早や55年かしら、と微笑んだりしている。
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