私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活し、
恥ずかしながら年男のまもなく下旬に誕生日を迎えると満72歳を迎える身である。、
そして私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉9月に農家の三男坊として生を受けた。
こうした中で、長兄、次兄に続いて、私は三男として生まれ、
やがて妹はふたりが団塊世代と称される中で生まれで、
私は兄ふたり、妹はふたりの間で、何かとサンドイッチのように育てられた・・。
そして私の家内は、私より5歳ばかり齢下の団塊世代に属している。
或いは1970年〈昭和45年〉4月に民間会社に中途入社して、
まもなく職場で共にしたのが、新卒の団塊の世代の人も多く、やがて35年近く社内外で苦楽の激しい空気を共にした。
このような関係で、私の友人、知人には団塊の世代も多く、
私は時代が流れている中で、何かと団塊の世代の動向を注視しているひとりである・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/2d/b763bf611c485d2019ed7b8ad1a449f3.jpg)
過ぎし私が高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。
そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
もとより70代、80代の私より年上の御方でも、心身溌剌と過ごされている方達も、
近所にいる御方、知人に多くいることも、私は知って、少しでも学ぼうとしている。
こうした中、厚生労働省の2013年(平成25年)の統計が公表されて、
日本人の平均寿命と健康寿命の差は、男性で約9年、女性で約12年と報じられてきた。
もとより健康寿命と平均寿命までの悩ましい期間は、要支援やがて要介護で過ごされる御方が多く、
人生の晩年期、最大の難関だ、と私は溜息を重ねたりしてきた・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/b0/7a7201729d1410c29935af7bfc233b35.jpg)
先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見たりしていると、
【 2025年に認知症パンデミック 700万人の高齢者が徘徊か 】と見出しを見て、
どのようなことですか、と思いながら精読してしまった。
この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年9月16・23日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の『NEWS ポストセブン』で2016年9月7日に配信されていたが、
無断ながら転載させて頂く。
《・・団塊世代が全員75歳以上になる2025年には、
病院、介護施設、医師、火葬場など、すべての供給が追いつかなくなる。
かつてない「多死社会」が到来、国は在宅介護などを進め、自宅で最後を迎えられるようにしようとしている。
専門施設で手厚くケアされることを理想と考える人もいるかもしれないが、
自宅で死ねれば、それだけでも御の字なのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e4/9076fb442006f159bdef998fcebc9ca4.jpg)
国際医療福祉大学大学院教授で医師の武藤正樹氏はこう語る。
「我々医師が死亡診断書を書くとき、亡くなった場所を記入しなければなりません。
病院や介護施設、自宅以外で亡くなった場合は『その他』に分類されます。
マニュアルを見ますと、その他とは『山、川、路上』となっている。
徘徊中に事故に遭ったり、川に落ちたり、路上で転んだりといったケースです。
そうした『その他』で、亡くなる老人も増えていくとみられています」
2007年に認知症を患っている91歳の男性が、徘徊中にJRの線路に侵入し、列車に轢かれる死亡事故が起きた。
この事故では遺族の監督義務、賠償責任をめぐって、法廷闘争が繰り広げられたが、
そうした死が「その他」に分類されていく。
この「その他」の数が、年々増えていくと予想されているのだ。
交通事故や災害、自殺などで亡くなった場合や、自宅で医師の立ち会いがなく死亡し、
死因が特定できない場合などは「異状死」として警察に届け出なければならない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/46/0443ca7d0af328b4764b906cd32504a9.jpg)
「700万人といわれる団塊世代の多くは、関東、中部、関西の都市圏に住んでいます。
つまり2025年に起きる、介護士、看護師不足などの介護資源の枯渇は、大都市でより顕著に起きます。
ケアが行き届かないために、都市部での『異状死』が特に多くなると考えられます。
都会に住み続けたい人は、『異状死』を覚悟しなければならないのです」(前出・武藤氏)
そうした中で、家以外の死に場所となり得るのはどこか。
介護サービス情報などを掲載する『月刊 あいらいふ』編集長の佐藤恒伯氏はこういう。
「国は各種病床を減らそうとしていますが、手をつけていないのが精神科の病床です。
2014年のOECD(経済協力開発機構)の調査で、日本は、その他の加盟国の4倍近くの精神病床数でした。
約34万の病床があって、32万人が入院しています。
入院の必要性が低くても、行く場所がないから、とどまっている人も多い。
その中でも増えているのが、認知症が悪化して、自傷や他傷行為などが出てきたという人たちで、
精神病院の中の認知症病棟に入院し、長くとどまっている。
その他の病床・施設が減らされる中で、2025年には認知症が悪化し、
行き場は精神病院しかないというケースが増えてくる」
2015年1月、厚生労働省は2025年の認知症患者数が現在の1.5倍、700万人を超えるとの推計を発表した。
「700万人が行き場を失い、都市を徘徊する。
私はこれを認知症パンデミックといっています」(前出・武藤氏)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/aa/c0d4f7e4edb774ab11b528402f047ce1.jpg)
この記事を読み終わった後、私は動顛してしまった・・。
もとより現代でも、高齢者介護施設に入居できる御方は、難題と私は学んだりしてきた・・。
何かしら比較的少ない負担で長期利用が可能な「特別養護老人ホーム(特養)」は、
社会福祉法人や地方自治体などが運営する公的な介護施設で、多額の公的補助が投入されるため、施設も充実している。
ただ、そうした特養に入りたくても入れないのが「待機老人」となっている。
そして厚労省の最新の発表では、全国の特養への入所申込者は約52万人にのぼる(2014年3月発表)。
同省が約2万人と公表する待機児童の数より、はるかに多い数字だが、
NPO法人・社会保障経済研究所代表の石川和男氏は、待機老人の数はもっと多いはずだと報じられてきた。
「厚労省のいう52万人は、“申し込みをしたのに入居できなかった人”の数です。
問い合わせだけして諦めた人や、最初から入居は無理と諦めた人は、数字に含まれていない。
介護が必要となり、自治体に申請を出して、要介護認定を受けた65歳以上の人は約620万人いますが、
そのうち在宅サービスも施設サービスも受けられていない人が100万人近くいる、学んだりしてきた。
或いは有料老人ホームへもあるが、ホームの終身利用権を得るために、契約時に数十万円から数千万円の「入居一時金」が要した上、
入居後は毎月、管理費、食費、光熱費などを含む「月額利用料」を支払うケースが圧倒的に多く、
一部の裕福な御方が、安楽な晩年期を過ごせるだろうと、裕福に無縁な私は溜息を重ねたりしてきた。
このように現在でも、介護施設に入居を希望している「待機老人」が多く、
やがて到来する団塊世代が全員75歳以上になる2025年には、介護迷子の難民が、
都市では急増するだろう、と憂いながら思いを馳せたりした・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/88/ab5de075e55498b4039af9d6ee09e3b8.jpg)
私たち夫婦は幸運にも、これまで大病に遭遇せずに、年金生活を過ごしてきた。
そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。
このように年金生活を過ごしているが、恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。
たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私は何よりも認知症が怖くてひたすら歩き、睡眠、そして程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、年金生活を過ごしている。
そして今回の記事で多々教示され、やがていつの日にか、
認知症パンデミックだけは勘弁してほしい、と私は祈願したりした。
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恥ずかしながら年男のまもなく下旬に誕生日を迎えると満72歳を迎える身である。、
そして私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉9月に農家の三男坊として生を受けた。
こうした中で、長兄、次兄に続いて、私は三男として生まれ、
やがて妹はふたりが団塊世代と称される中で生まれで、
私は兄ふたり、妹はふたりの間で、何かとサンドイッチのように育てられた・・。
そして私の家内は、私より5歳ばかり齢下の団塊世代に属している。
或いは1970年〈昭和45年〉4月に民間会社に中途入社して、
まもなく職場で共にしたのが、新卒の団塊の世代の人も多く、やがて35年近く社内外で苦楽の激しい空気を共にした。
このような関係で、私の友人、知人には団塊の世代も多く、
私は時代が流れている中で、何かと団塊の世代の動向を注視しているひとりである・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/2d/b763bf611c485d2019ed7b8ad1a449f3.jpg)
過ぎし私が高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。
そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
もとより70代、80代の私より年上の御方でも、心身溌剌と過ごされている方達も、
近所にいる御方、知人に多くいることも、私は知って、少しでも学ぼうとしている。
こうした中、厚生労働省の2013年(平成25年)の統計が公表されて、
日本人の平均寿命と健康寿命の差は、男性で約9年、女性で約12年と報じられてきた。
もとより健康寿命と平均寿命までの悩ましい期間は、要支援やがて要介護で過ごされる御方が多く、
人生の晩年期、最大の難関だ、と私は溜息を重ねたりしてきた・・。
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先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見たりしていると、
【 2025年に認知症パンデミック 700万人の高齢者が徘徊か 】と見出しを見て、
どのようなことですか、と思いながら精読してしまった。
この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年9月16・23日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の『NEWS ポストセブン』で2016年9月7日に配信されていたが、
無断ながら転載させて頂く。
《・・団塊世代が全員75歳以上になる2025年には、
病院、介護施設、医師、火葬場など、すべての供給が追いつかなくなる。
かつてない「多死社会」が到来、国は在宅介護などを進め、自宅で最後を迎えられるようにしようとしている。
専門施設で手厚くケアされることを理想と考える人もいるかもしれないが、
自宅で死ねれば、それだけでも御の字なのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e4/9076fb442006f159bdef998fcebc9ca4.jpg)
国際医療福祉大学大学院教授で医師の武藤正樹氏はこう語る。
「我々医師が死亡診断書を書くとき、亡くなった場所を記入しなければなりません。
病院や介護施設、自宅以外で亡くなった場合は『その他』に分類されます。
マニュアルを見ますと、その他とは『山、川、路上』となっている。
徘徊中に事故に遭ったり、川に落ちたり、路上で転んだりといったケースです。
そうした『その他』で、亡くなる老人も増えていくとみられています」
2007年に認知症を患っている91歳の男性が、徘徊中にJRの線路に侵入し、列車に轢かれる死亡事故が起きた。
この事故では遺族の監督義務、賠償責任をめぐって、法廷闘争が繰り広げられたが、
そうした死が「その他」に分類されていく。
この「その他」の数が、年々増えていくと予想されているのだ。
交通事故や災害、自殺などで亡くなった場合や、自宅で医師の立ち会いがなく死亡し、
死因が特定できない場合などは「異状死」として警察に届け出なければならない。
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「700万人といわれる団塊世代の多くは、関東、中部、関西の都市圏に住んでいます。
つまり2025年に起きる、介護士、看護師不足などの介護資源の枯渇は、大都市でより顕著に起きます。
ケアが行き届かないために、都市部での『異状死』が特に多くなると考えられます。
都会に住み続けたい人は、『異状死』を覚悟しなければならないのです」(前出・武藤氏)
そうした中で、家以外の死に場所となり得るのはどこか。
介護サービス情報などを掲載する『月刊 あいらいふ』編集長の佐藤恒伯氏はこういう。
「国は各種病床を減らそうとしていますが、手をつけていないのが精神科の病床です。
2014年のOECD(経済協力開発機構)の調査で、日本は、その他の加盟国の4倍近くの精神病床数でした。
約34万の病床があって、32万人が入院しています。
入院の必要性が低くても、行く場所がないから、とどまっている人も多い。
その中でも増えているのが、認知症が悪化して、自傷や他傷行為などが出てきたという人たちで、
精神病院の中の認知症病棟に入院し、長くとどまっている。
その他の病床・施設が減らされる中で、2025年には認知症が悪化し、
行き場は精神病院しかないというケースが増えてくる」
2015年1月、厚生労働省は2025年の認知症患者数が現在の1.5倍、700万人を超えるとの推計を発表した。
「700万人が行き場を失い、都市を徘徊する。
私はこれを認知症パンデミックといっています」(前出・武藤氏)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/aa/c0d4f7e4edb774ab11b528402f047ce1.jpg)
この記事を読み終わった後、私は動顛してしまった・・。
もとより現代でも、高齢者介護施設に入居できる御方は、難題と私は学んだりしてきた・・。
何かしら比較的少ない負担で長期利用が可能な「特別養護老人ホーム(特養)」は、
社会福祉法人や地方自治体などが運営する公的な介護施設で、多額の公的補助が投入されるため、施設も充実している。
ただ、そうした特養に入りたくても入れないのが「待機老人」となっている。
そして厚労省の最新の発表では、全国の特養への入所申込者は約52万人にのぼる(2014年3月発表)。
同省が約2万人と公表する待機児童の数より、はるかに多い数字だが、
NPO法人・社会保障経済研究所代表の石川和男氏は、待機老人の数はもっと多いはずだと報じられてきた。
「厚労省のいう52万人は、“申し込みをしたのに入居できなかった人”の数です。
問い合わせだけして諦めた人や、最初から入居は無理と諦めた人は、数字に含まれていない。
介護が必要となり、自治体に申請を出して、要介護認定を受けた65歳以上の人は約620万人いますが、
そのうち在宅サービスも施設サービスも受けられていない人が100万人近くいる、学んだりしてきた。
或いは有料老人ホームへもあるが、ホームの終身利用権を得るために、契約時に数十万円から数千万円の「入居一時金」が要した上、
入居後は毎月、管理費、食費、光熱費などを含む「月額利用料」を支払うケースが圧倒的に多く、
一部の裕福な御方が、安楽な晩年期を過ごせるだろうと、裕福に無縁な私は溜息を重ねたりしてきた。
このように現在でも、介護施設に入居を希望している「待機老人」が多く、
やがて到来する団塊世代が全員75歳以上になる2025年には、介護迷子の難民が、
都市では急増するだろう、と憂いながら思いを馳せたりした・・。
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私たち夫婦は幸運にも、これまで大病に遭遇せずに、年金生活を過ごしてきた。
そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/66/acb5a6fbda453e450ce5eb5e9376ee9d.jpg)
このように年金生活を過ごしているが、恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。
たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私は何よりも認知症が怖くてひたすら歩き、睡眠、そして程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、年金生活を過ごしている。
そして今回の記事で多々教示され、やがていつの日にか、
認知症パンデミックだけは勘弁してほしい、と私は祈願したりした。
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