私は東京の調布市の片隅に住む年金生活しているまもなく満72歳になる身である。
本日の昼下がり、自分らしく人生を仕上げる終活情報サイトの『ソナエ 』を見ていた中、
【 「死者のホテル」も活況 高齢化で多死社会、新たなビジネスも 】と見出しを見て、
どういうことなの、と思いながら記事を精読してしまった・・。
この記事は、実業家の平松庚三(ひらまつ・こうぞう)さんの寄稿文で、
終活情報サイトの『ソナエ 』に9月23日に配信された記事であり、無断であるが記事を転載させて頂く。
《・・訪日外国人観光客の増加によってホテル・旅館など国内の宿泊施設が不足している。
東京オリンピックを控え、宿泊施設不足は、今後ますます深刻化していく。
しかし、最近の宿泊施設不足は、なにも旅行者だけに限ったことではなく、
冥土に旅立ったはずの死者でさえ宿泊施設不足から三途(さんず)の川で足止めを食らっている。
高齢化の進む日本は、同時に世界有数の長寿国でもある。
長寿国となったことは大いにけっこう。
だが他国の人と比べて、寿命が少々長いというだけで死ななくなったわけではない。
長寿国とは、多死国と同義語だ。
現時点で国内で年間130万人以上が亡くなっており、この数字は年々増加している。
これだけ死亡者が増えると当然、後の処理が追いつかなくなってくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/ec/dc504ea8bfc207f6e8d91b71e3ef993f.jpg)
後処理とは、つまり火葬のこと。
その火葬場の数が圧倒的に足りなくなっている。
原因は死亡者数が増えたことのほかにも、いくつかある。
海外と比べ日本では、ほとんどの遺体が荼毘(だび)に付される。
しかも日本では習慣上、遺灰より遺骨を重要視するから、1体の処理に平均3時間かかる。
遺灰の場合は、強烈な火力を使うから1時間で済む。
東京都の場合、平均毎日300人強が亡くなるのに対して、火葬施設は10カ所だ。
1カ所で平均10基の火葬炉があるから、東京都合計で1日当たり300件の遺体処理能力はあるが、今はこれで限界だ。
当然処理能力の向上を図ることが急務だが簡単ではない。
遺骨ではなく、遺灰にすれば、処理能力は3倍に増える。
2体一緒に火葬すれば能力は2倍になる。
しかし火葬の手順を決めるのは、遺族であって本人ではないから、なかなか難しい。
新しい火葬場を建設しようにも近隣住民の反対が多く、簡単に新火葬場を造るわけにもいかない。
火葬どころか、通夜も葬儀もできないから、順番待ちの“難民遺体”の数も増える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b3/c54bc68e003ebe44cf1f4dba7c629c60.jpg)
1日や2日ならともかく中には1週間以上も待機させられることもある。
こうなると問題は、遺体の安置場所だ。
病院の安置室が使えるのは、せいぜい死後24時間まで、自宅に遺体を運び込むわけにもいかない。
一般的には葬儀場に預けておくのが常だが、ここは1日当たり1万円から10万円以上するところもある。
これだけのニーズがあれば「それでは遺体の置き場所を提供しよう」
と新規ビジネスを考える者が出てもおかしくない。
とりわけ都内近郊には、すでに死者専用ホテルが数件開業しており、
どこも回転率は85%を超えるというから普通のホテル経営より効率が良い。
従業員数も一般的ホテルより、はるかに少なくて済む。
朝食サービスも不要。全室がシングルルームで、バス・トイレも要らないから、
オペレーションコストを抑えたビジネスモデルを構築できる。
顧客、つまり遺族の立場から見れば値段も1泊5000円から2万円と手頃で
24時間面会可能の利便性と安心感がある。
需要があれば供給が生まれ、必要性があればそれを解決するための新しい商いが誕生する。
死者相手の商売か? と首をかしげてはいけない。
王様であれ、物乞いであれ、死は人間誰でもが最後に体験しなくてはならない大仕事である。
死んでもその後は、ホテルのスイートルームで数日間快適に過ごせる-と思うと
案外死ぬのも悪くないかもしれない。・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/f3/e27cbb8e071beb7cd42f0b398d31d6c1.jpg)
私は恥ずかしながら、「死者のホテル」は無知であり、今回の記事を読みながら多々教示させられ、
溜息を重ねながら読んだりした・・。
私の母は婦人系のガンが発見され、 日赤の広尾病院に3年ばかり入退院を繰り返した後、
1997年(平成9年)の初春、母の『喜寿の祝い』を実家の長兄宅で行い、
親族、親戚を含めた40名程度であったが、
母は集いに関しては、何かしら華やかなさを好んでいるので、私たち兄妹は出来うる限り応(こた)えた。
やがて年の瀬に悪化を増して、緊急入院した後、新年の1998年(平成10年)の1月13日の深夜一時少し前に、
死去した。
そして病室から安置室に運ばれて、やがて寝台車と2台の乗用車で、母と共に私たち親族は母の住んでいた所を経由して、
実家の長兄宅に深夜二時頃に到着して、私たち親族は母を安置した。
そして実家の長兄宅で1月13日は仮通夜、14日は本通夜、15日は告別式後、霊柩車で火葬場に行き、
やがて帰宅後には初七日を行ったりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e4/9076fb442006f159bdef998fcebc9ca4.jpg)
私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、一代限りの身となっている。
そして私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ15年ぐらい言ったりしている。
私は父親、祖父、次兄、母親、そして親戚の叔父、叔母、或いは知人などの数多くの葬儀に参列してきた。
こうした中で、自宅で通夜、告別式、或いは寺院の斎場で通夜、告別式が執り行われ、
多くの会葬者を観たりしてきた・・。
私はサラリーマンを定年退職し、早や12年近い年金生活の身であり、
官公庁、民間会社で栄達された人とは、遥かに遠い平凡な人生を歩んできたりした。
こうしたことで、遠い親戚、知人、友人も高齢者の方が多く、わざわざ通夜、葬儀に参列して頂くより、
これまでの私の人生の歩みで、欠かすことのできない血は水よりも濃いと称せられる親族で、
ささやかに葬儀をしてもらいたい、と願っている。
いつの日にか私は亡くなった時、火葬場が待機するばかりで、“難民遺体”には、
残された家内、兄妹などは、もとより困窮される・・。
今回の記事で、「死者のホテル」を初めて学び、
私の最後の人生の旅路の果ては、「死者のホテル」かょ、と私は微苦笑してしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/0b/3ec7b4dc8d47e253a73b432d7840cd71.jpg)
私より少し年下の団塊世代の御方は、2025年を迎えると75歳となり、
やがて亡くなわれる御方が急増する多死社会となる、と私は学んだりしてきた。
そうした時まで、“難民遺体”は遺族は困苦されるので、「死者のホテル」は、
益々活況化して、急増するかしら、と何かと単細胞の私は微苦笑したりしている。
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本日の昼下がり、自分らしく人生を仕上げる終活情報サイトの『ソナエ 』を見ていた中、
【 「死者のホテル」も活況 高齢化で多死社会、新たなビジネスも 】と見出しを見て、
どういうことなの、と思いながら記事を精読してしまった・・。
この記事は、実業家の平松庚三(ひらまつ・こうぞう)さんの寄稿文で、
終活情報サイトの『ソナエ 』に9月23日に配信された記事であり、無断であるが記事を転載させて頂く。
《・・訪日外国人観光客の増加によってホテル・旅館など国内の宿泊施設が不足している。
東京オリンピックを控え、宿泊施設不足は、今後ますます深刻化していく。
しかし、最近の宿泊施設不足は、なにも旅行者だけに限ったことではなく、
冥土に旅立ったはずの死者でさえ宿泊施設不足から三途(さんず)の川で足止めを食らっている。
高齢化の進む日本は、同時に世界有数の長寿国でもある。
長寿国となったことは大いにけっこう。
だが他国の人と比べて、寿命が少々長いというだけで死ななくなったわけではない。
長寿国とは、多死国と同義語だ。
現時点で国内で年間130万人以上が亡くなっており、この数字は年々増加している。
これだけ死亡者が増えると当然、後の処理が追いつかなくなってくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/ec/dc504ea8bfc207f6e8d91b71e3ef993f.jpg)
後処理とは、つまり火葬のこと。
その火葬場の数が圧倒的に足りなくなっている。
原因は死亡者数が増えたことのほかにも、いくつかある。
海外と比べ日本では、ほとんどの遺体が荼毘(だび)に付される。
しかも日本では習慣上、遺灰より遺骨を重要視するから、1体の処理に平均3時間かかる。
遺灰の場合は、強烈な火力を使うから1時間で済む。
東京都の場合、平均毎日300人強が亡くなるのに対して、火葬施設は10カ所だ。
1カ所で平均10基の火葬炉があるから、東京都合計で1日当たり300件の遺体処理能力はあるが、今はこれで限界だ。
当然処理能力の向上を図ることが急務だが簡単ではない。
遺骨ではなく、遺灰にすれば、処理能力は3倍に増える。
2体一緒に火葬すれば能力は2倍になる。
しかし火葬の手順を決めるのは、遺族であって本人ではないから、なかなか難しい。
新しい火葬場を建設しようにも近隣住民の反対が多く、簡単に新火葬場を造るわけにもいかない。
火葬どころか、通夜も葬儀もできないから、順番待ちの“難民遺体”の数も増える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b3/c54bc68e003ebe44cf1f4dba7c629c60.jpg)
1日や2日ならともかく中には1週間以上も待機させられることもある。
こうなると問題は、遺体の安置場所だ。
病院の安置室が使えるのは、せいぜい死後24時間まで、自宅に遺体を運び込むわけにもいかない。
一般的には葬儀場に預けておくのが常だが、ここは1日当たり1万円から10万円以上するところもある。
これだけのニーズがあれば「それでは遺体の置き場所を提供しよう」
と新規ビジネスを考える者が出てもおかしくない。
とりわけ都内近郊には、すでに死者専用ホテルが数件開業しており、
どこも回転率は85%を超えるというから普通のホテル経営より効率が良い。
従業員数も一般的ホテルより、はるかに少なくて済む。
朝食サービスも不要。全室がシングルルームで、バス・トイレも要らないから、
オペレーションコストを抑えたビジネスモデルを構築できる。
顧客、つまり遺族の立場から見れば値段も1泊5000円から2万円と手頃で
24時間面会可能の利便性と安心感がある。
需要があれば供給が生まれ、必要性があればそれを解決するための新しい商いが誕生する。
死者相手の商売か? と首をかしげてはいけない。
王様であれ、物乞いであれ、死は人間誰でもが最後に体験しなくてはならない大仕事である。
死んでもその後は、ホテルのスイートルームで数日間快適に過ごせる-と思うと
案外死ぬのも悪くないかもしれない。・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/f3/e27cbb8e071beb7cd42f0b398d31d6c1.jpg)
私は恥ずかしながら、「死者のホテル」は無知であり、今回の記事を読みながら多々教示させられ、
溜息を重ねながら読んだりした・・。
私の母は婦人系のガンが発見され、 日赤の広尾病院に3年ばかり入退院を繰り返した後、
1997年(平成9年)の初春、母の『喜寿の祝い』を実家の長兄宅で行い、
親族、親戚を含めた40名程度であったが、
母は集いに関しては、何かしら華やかなさを好んでいるので、私たち兄妹は出来うる限り応(こた)えた。
やがて年の瀬に悪化を増して、緊急入院した後、新年の1998年(平成10年)の1月13日の深夜一時少し前に、
死去した。
そして病室から安置室に運ばれて、やがて寝台車と2台の乗用車で、母と共に私たち親族は母の住んでいた所を経由して、
実家の長兄宅に深夜二時頃に到着して、私たち親族は母を安置した。
そして実家の長兄宅で1月13日は仮通夜、14日は本通夜、15日は告別式後、霊柩車で火葬場に行き、
やがて帰宅後には初七日を行ったりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e4/9076fb442006f159bdef998fcebc9ca4.jpg)
私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、一代限りの身となっている。
そして私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ15年ぐらい言ったりしている。
私は父親、祖父、次兄、母親、そして親戚の叔父、叔母、或いは知人などの数多くの葬儀に参列してきた。
こうした中で、自宅で通夜、告別式、或いは寺院の斎場で通夜、告別式が執り行われ、
多くの会葬者を観たりしてきた・・。
私はサラリーマンを定年退職し、早や12年近い年金生活の身であり、
官公庁、民間会社で栄達された人とは、遥かに遠い平凡な人生を歩んできたりした。
こうしたことで、遠い親戚、知人、友人も高齢者の方が多く、わざわざ通夜、葬儀に参列して頂くより、
これまでの私の人生の歩みで、欠かすことのできない血は水よりも濃いと称せられる親族で、
ささやかに葬儀をしてもらいたい、と願っている。
いつの日にか私は亡くなった時、火葬場が待機するばかりで、“難民遺体”には、
残された家内、兄妹などは、もとより困窮される・・。
今回の記事で、「死者のホテル」を初めて学び、
私の最後の人生の旅路の果ては、「死者のホテル」かょ、と私は微苦笑してしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/0b/3ec7b4dc8d47e253a73b432d7840cd71.jpg)
私より少し年下の団塊世代の御方は、2025年を迎えると75歳となり、
やがて亡くなわれる御方が急増する多死社会となる、と私は学んだりしてきた。
そうした時まで、“難民遺体”は遺族は困苦されるので、「死者のホテル」は、
益々活況化して、急増するかしら、と何かと単細胞の私は微苦笑したりしている。
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