夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

在宅医療の危険のひとつを学び、いつの日にか在宅医療も思案している私は、困惑させられて・・。

2016-09-14 14:53:33 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後38年の古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で、セカンドライフと称される年金生活を始めて、早や丸12年を迎えている。
 
こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇しないで、今日に至っている。

しかしながら、いつの日にか、どちらかが介護を要する身となった時、
介護施設に入所するか、或いは自宅で看取るか、ときおり漠然としながら、話し合ったりしている。
            
         
そして長寿社会の中、高齢者は急増して、昨今は病院は病床不足と聞いたりし、
いつ日にか私か家内が終末期を迎えた時、病院迷子になったら困苦する、と思ったりしている。

或いは病院で過剰な治療を受けて末期を過ごすより、
自宅で苦痛をやわらげる範囲の治療を受け、やがて穏やかに逝きたい、と思案したりしている。
            

このような心情を秘めている私は、
先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 受けてはいけない在宅医療 「救急車呼べ」と言われることも 】と見出しを見て、
どのようなことですか、と思いながらクリックして、精読した。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年9月16・23日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の『NEWS ポストセブン』で2016年9月13日に配信されていたが、
無断ながら転載させて頂く。

《・・内閣府の意識調査(2012年)によると、自宅で最期を迎えたい高齢者は54.6%にのぼる。
しかし、実際に自宅で臨終を迎えるのは、わずか12.8%だ(2014年)。

この現実と理想のギャップを埋めるために、政府は在宅医療を推進しているが、
「自宅で最期を迎えたい」との切なる願いは、簡単には叶わない。
            

☆在宅医療なのに「救急車を呼べ」

内閣府の意識調査(2012年)によると、自宅で最期を迎えたい高齢者は54.6%にのぼる。
しかし、実際に自宅で臨終を迎えるのは、わずか12.8%だ(2014年)。

この現実と理想のギャップを埋めるために政府は在宅医療を推進しているが、
「自宅で最期を迎えたい」との切なる願いは、簡単には叶わない。

神奈川県に住む大島豊さん(仮名・61歳)の父親(享年89歳)は長年、肺がんで入退院を繰り返していた。

昨夏、医師から「余命3か月」と告げられたのを機に、在宅医療に切り替えた。
しかし、病院から紹介された在宅医は、大島さん一家を困惑させてばかりだったという。

「自宅に戻って1か月後、喉をゴボゴボと鳴らし、呼吸が苦しそうな父を見かねて、
在宅医に電話したところ、
“痰が詰まっているだけ。心配ありません”との返事でした。

“診てないのに、分かるんですか? 往診してくれませんか?”と懇願したら、
渋々“明日の昼なら行けます”と言うんです。

緊急時は、すぐに駆けつけると聞いていたのに、話が違うと抗議すると、
“だったら救急車を呼んで、病院で診てもらったほうが早いですよ”と言い放ったのです。

父は搬送された病院で、重症の急性肺炎と診断され、すぐに入院。
救急処置で一命を取り留めましたが、何のための在宅医なのかと思いました」
            

在宅医療とは、主に高齢者が病院ではなく、自宅で医師や看護師の訪問による診療を受ける医療行為だ。
往診は月に2~4回ほどで、容態悪化時には、24時間態勢で診察し、看取りにも備える。

「自宅で死にたい」と願う患者にとっては、心強い制度だが、現場では混乱が生じるケースが少なくない。

在宅医療専門医で「しんじょう医院」院長の新城拓也氏が話す。

「病院の勤務医は、循環器や心臓、がんなど各専門分野が分かれているのに対し、
在宅医が診る病気は多岐にわたり、あらゆる症状に対応しなければなりません。
しかし、患者をトータルで診ることのできる在宅医は少ないのが現状です。

在宅医のニーズが高まる中、特に内科の経験が浅い医師が新規参入するケースもあり、
経験不足によるトラブルも増えているようです」・・》

注)原文にあえて改行を多くした。
            

私は過ぎし日に、昔はほとんどの人が『在宅死』でしたが、1976年に病院で亡くなる人が『在宅死』の数を上回り、
いまでは皆が『病院で死ぬのが当たり前』と思い込んでいる。

しかし、高齢者はほぼ例外なく『住み慣れた家で最期を迎えたい』と思っている。
そして『病院のほうが、快適だよ』と言う高齢者は、家族に迷惑をかけまいとしていることが多い、
と私は学んだりしてきた。

確かに狭い病院のベッドの上で、生命維持装置と栄養チューブにがんじがらめになって、
身動きもとれず、口もきけず死んでゆく・・こうした状況は残された家族として、後悔する人も多い、
と私は聞いたりしてきた。

こうした中で、「そうなるくらいなら、思い出のつまった自分の家で、家族に見送られて死にたい」
「無理な延命はいらない。できれば、苦痛の少ない老衰で、穏やかに逝きたい」と考える方が多くなっている。

また看取る側にも、その思いに応えてあげたいという人が多いに違いない。

しかし、漠然と「家で看取るほうが、病院や施設のお世話になるよりは、ずっと安上がりのはず」
「大きな病気をせず、老衰で亡くなれば、医療費も大してかからない」と甘く見ていると、
思わぬ出費に泣かされる、と私は学んだりしてきた。

何よりも看取る方の心労は、計り知れないと学んだりしてきた・・。
            

今回、在宅医療に於いて、担当して下さる在宅医師が未熟、
或いは勤務が過剰で、ともすれば投げやりとなり、
《・・救急車を呼んで、病院で診てもらったほうが早い・・》と私は聞きたくないことも学んだりした。

そして平素から、在宅医療をして下さる心の節度がある在宅医師の選定が肝要である、と思い、
果たして私の住む近所で・・と思いめぐらしたりしている。

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