夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

人生案内、『夫亡くして5年 1人がつらい』、高齢者の男性の私は読み、やがて瞼(まぶた)が熱くなり・・。

2016-09-25 14:17:47 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活し、まもなく満72歳を迎える身である。

今朝、いつもように配達された読売新聞の朝刊を読んだりした。
まもなく19ページの【くらし/家庭】面を見たりした中で、恒例の『人生案内』が掲載されているが、
何気なしに見ていると、 【 夫亡くして5年 1人がつらい 】と見出しを見て、
私の心は吸い取られるように、今回の人生案内の記事を読んだりした・・。

やがて読み終わった後、瞼(まぶた)が熱くなった。
無断であるが、転記させて頂く。

《・・夫亡くして5年 1人がつらい

50代の自営業の女性。
夫を亡くして5年が過ぎようとしている今、1人でいることに耐えられず、
もう一度、誰かと共に暮らしたいと思うようになりました。
しかし、夫に対して申し訳ないのではないかと、考えあぐねています。
            

幸せな結婚生活でした。

夫は紳士的で優しく、私のことを気にかけてくれました。
おかげで何の不安もなく、日々を過ごすことができました。
休日には2人で近くの温泉に足を延ばし、夫の好きな日本酒とおいしい食事をいただいて、のんびり過ごしたものです。

こんな毎日がずっと続くことを疑っていませんでした。
夫が亡くなって初めて、今までの暮らしがどんなに恵まれていたか、一つ一つわかった次第です。

それなのに、私は今、あまりの寂しさと切なさに耐えられなくなっています。
誰かとささやかなことで笑顔を交わしたいと思うようになったのです。

これから一緒に過ごしていただける方を探すことは見苦しいことでしょうか。
夢を見てはいけないのでしょうか。(栃木・A子)
            

※弁護士・土肥幸代さんの寄せられたこと。

夫に先立たれたあと、もう一度、残りの人生を、誰かといっしょに暮らしたいというあなたの夢。
いいではありませんか。
そのための「婚活」は決して見苦しいことではありません。

実は、私も13年前に夫を亡くしたので、1人で暮らす寂しさ、切なさはよくわかります。
私は、いまだに亡き夫が忘れられず、常に幻の夫といっしょにいると思い続けることで、そのわびしさに耐えています。

でも、夫亡きあと、どう生きるかは、人それぞれです。
泣いて暮らすも、笑って暮らすも同じ一生なら、明るく楽しく過ごした方が幸せです。

私は、前向きに生きようとしているあなたに、エールを送りたいです。
亡き夫も、あなたの幸せを願っていらっしゃると思いますよ。

ただ、寂しいときは、ちょっとした親切や甘い言葉に心が動かされやすいもの。
伴侶を選ぶ際は、慎重に人となりを見極めることが肝要です。
まずは、茶飲み友達を見つけることから、始めてみたらどうでしょうか。

よい方に巡り合えるようお祈りしています。・・》

注)原文にあえて改行を多くした。
            

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を尊重している。

私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。

そして家内に我が家を処分して、小さな2DKのマンションに転居し、
趣味を基軸に過ごされれば・・と私は幾たびも家内に言ったりしている。

いつの日にか、私は大病に遭遇して、やがて危篤時に、
家内からは、『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』と心の中で感じてくれれば、私は充分である。
            

しかしながら、この世の中は、まさかの予期せぬ出来事に遭遇することがあり、
いつの年に私を残して家内に先き立たれて、『おひとりさま』の生活になることも考えられる・・。
          
私は家内と日頃から、子供がいない一代限りの為か、葬儀、お墓のことも何度も話し合ったりしている。
葬儀は兄妹などの親族関係だけの家族葬とした後、お墓は、亡くなわれた方は土に還ると思いが強く、
樹木葬として、遅ればせながら今年の5月に埋葬できる墓地を買い求めたりしてきた。

そして四十九日が過ぎたら、その時の心情でお墓参りをすればよい、とお互いに確認し合っている。
                       

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、やがて四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、愛惜感もあり、苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。

やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を処分し、都立の大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。

そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の交通機関の利便性のある場所を選定するだろう。
                                                       
この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、500冊前後に厳選した上、
映画作品のDVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。

こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。

小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。

そして6畳はベットの下には、収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・
付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
                                                                                               
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。

そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。
              
こうした日常生活を過ごすと思われるが、
私は国内旅行も好きなので、少なくとも年に4回ぐらいは2泊3日前後で、各地を訪れるだろう。

劇作家のチェーホフの遺(のこ)された、
《・・男と交際しない女は次第に色褪せる、女と交際しない男は阿呆になる・・》
と人生の哲学のような名言は、どうしたらよいの、と私は考えたりするだろう。

やむなく、私は宿泊先の仲居さんで、お酌をして下さる方たちと、
やさしくふるまいながら語りあうと想像される・・。

そして、その夜は枕元に革ケースを置いて、
人生はいつまで続くの・・、と天上の人となった家内に呟(つぶや)きながら、眠るだろう。
            

このようなことを私は、ときおり思案してきたが、今回、『夫亡くして5年 1人がつらい』と真情を読み、
私はこの御方の心情を思い重ねると、瞼(まぶた)が熱くなっくる・・。

やがて、こればかりは御当人が、想定したことなどより遥かに奥深き、
その時になって実感されて初めて判ることである、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

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