夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブラジャーのすき間に延命拒否のメモ、高齢者の男性の私は学び、恐れ入りました、と心の中で呟(つぶや)き・・。

2016-09-29 13:03:19 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
昨夜、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ていたら、
【 ブラジャーのすき間に延命拒否のメモ 女性の「終活」事情 】
と見出しを見てしまった。

私はいつの日にか晩終期には、無理な延命治療はしてほしくないと念願している私は、
どのようなことですかと思い、少しためらいながら、こっそりと記事を精読してしまった。

この記事は、『週刊朝日』 2012年12月21日号に掲載された記事のひとつであり、
そして【dot.(ドット)】に2012年12月16日配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・終末期における意思決定への関心が高まっているが、「理想の死」への支度とは一体何か。
川崎市の松根敦子さん(79歳)の場合はこうだ。

〈私が気を失っていても絶対に蘇生させないで下さい〉

川崎市の松根さんの家の玄関先には、手作りの札が掲げてある。
理想の最期のための「意思表示」だ。
            

「宅配便の配達員が『これ何ですか!』と驚くんです。
無理な延命治療はしないという宣言書よ、と説明するんです。
自衛策、といってもいいかしら」

敦子さんは今年3月まで日本尊厳死協会の副理事長を務め、
尊厳死についての考えを人々に伝えたり、相談にのったりしてきた。

この協会は、産婦人科医で国会議員も務めた故・太田典礼氏を中心に1976年に発足したものだ。
リビング・ウイルによって、安らかに死ぬ権利を守る考えに賛同し、
敦子さんは夫の光雄さん(享年69歳)とともに、設立直後に入会している。

「入った当初は200人足らずだった会員も、今は12万5千人を超えている。
私が尊厳死について考えたきっかけは、義理の両親の死でした。
人は生き方だけでなく、死に方にも、責任を持たなければと思ったんです」

札だけでなく、もしもの際の「別れの手紙」を居間に置き、
散骨や遺品整理に備えた連絡先も、目に見える場所に用意している。
            

ここまで死に支度を整えている人は珍しいが、
いざというとき、女性のほうが、男性より肝が据わっているというのは本当のようだ。
実際、日本尊厳死協会の会員も約7割が女性だという。

夫は、妻に終末期の面倒をみてもらうケースが多いので、あえて準備しなくていいと、「終活」に消極的だが、
妻のほうは、親を看取り、子どもに負担をかけたくないと、準備を整える傾向があるらしい。

「出かけた先で、何かあってもわかるように、
ブラジャーのすき間にもDNR(蘇生拒否)のメモを挟んでいるの(笑い)。
幕の引き方を決めれば、今が充実する。それは本当よ」・・》

注)原文にあえて改行を多くした。
            

私は読み終わった直後、ここまで周到に準備されて御方に、
恐れ入りました、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇しないで、まもなく年金生活12年となる。

ここ10数年、いつの年か判からないが、どちらかが亡くなった時、
葬儀、残こされた方の『おひとりさま』の生活基盤など、ときおり話し合ったりしてきた・・。

或いは、どちらかが大病になった時、私は自身で食事が出来なかった時は死ぬ時だから、
まして延命治療まで施(ほどこ)して、生きるのは・・と私は家内に言ったりしてきた。

家内も、あたしも延命治療はお断わりょ、と私に言ったりしてきた。

このような心情を漠然としながらも、私たち夫婦は秘めたりしてきた・・。
                        

私は延命治療に関して、少し知ったのは、確か35年前の頃で、
私は民間会社のサラリーマンになって、賞与を頂くたびに、
母に衣服を買う時の足しにして、とある程度の額をお中元、お歳暮の時に手渡していた。

この頃、遠い親戚の裕福の御方が、身体を壊して、長らく入院されていたが、
母が見舞いに行った時は、植物人間のような状態であった、と教えられた。

『あたし・・嫌だわ・・そこまで生きたくないわ』
と母は私に言った。

母は寝たきりになった自身の身を想定し、長兄の宅などで、下半身の世話をなるのは何よりも険悪して、
私が結婚前に同居していた時、何気なしに死生観のことを話し合ったりしていた。

容態が悪化して、病院に入院して、一週間ぐらいで死去できれば、
多くの人に迷惑が少なくて良いし、何よりも自身の心身の負担が少なくて・・
このようなことで母と私は、自分達の死生観は一致していたりした。

こうした母の根底には、敗戦後の前、自宅で祖父の弟、父の弟の看病を数年ごとに看護し、
やがて死去された思いがあったと思われる。

そして近日に植物人間のように病院で介護されている遠い親戚の方を見た思いが重なり、
このような考え方をされたのだろう、と私は思ったりしたのであった。
                                    

やがて平成5年の頃、母は婦人系のガンが発見され、
それから1年に1ヶ月前後、都心の広尾にある日本赤十字医療センターで、入退院を繰り返していた。

結果的には、母の意志で、苦痛を和らげるために緩和医療を依頼し、5年後に亡くなってしまったが、
この間、母が気に入った個室に、幾たびか私が見舞いに行ったある時、
看護婦さんから、あなたのお母さん、ご自分でトイレに行っているの、と私は聞き、
お母さんらしいなぁ、と私は思いながら、安堵もしたりした。

ともすれば、回復の見込みがない大病となり、本人が延命治療はしてほしくない、と念願しても、
親族、親戚、知人などは、出来る限る長く生きていて欲しい心情に圧(お)されたりしまい、
結果的には本人の意志に背(そむ)き、酸素を吸入し、鼻から栄養を入れるなど延命治療がされてしまうケースが多い、
と私は聞いたりしてきた。
            

過ぎし7月16日、私はネットでニュースを見ている中、
【 延命治療を断るために宣言すべき3つの項目 】と題された記事を精読した。

『この文書は私の精神が健全な状態にある時に書いたものです』と宣言したうえで、

1つ目は
    『ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命治療はお断わりします』
    と意思を明示すること。

2つ目は
    『ただし私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行なってください』
    と、緩和医療と単なる延命措置をきちんと区別しておくこと。

そして3つ目は
    『私が回復不能な遷延性意識障害(植物状態)に陥った時は、生命維持措置を取りやめてください』
    と、植物状態のまま生かされることを拒否しておくことです。

こうした宣言書は自分で作成することも、公証役場で専門家に作成してもらうこともできます。
ただし、いずれにしても法的な拘束力はなく、その意味では確実に延命治療を断わる方法はありません。
自分の意思を書類にまとめたうえで、家族や医師に考えを伝えていくしかありません」

このようなことも学んだりしてきた。
            

今回の記事を読み、私は多々教示された。

そして後期高齢者になる75歳まで、この御方のように準備し、私は男性であるので、
男性用のネックレスに少し鎖で垂らして名刺大の大きさに、この三が条を明記した内容をケースに入り、
外出の時は持ち歩こうかなぁ、と思ったりしている。

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コメント (2)
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