夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『忘れること』には、“人間の心と体を守る役割”がある、高齢者の私は学び、安堵して、やがて微笑み・・。

2017-05-04 15:21:06 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭となっている。

こうした中、雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨日の夕食の時に、私は家内に、『明日、庭の手入れをするよ・・』と言ったりした。

『私も手伝うから・・』と家内は微笑みながら言ったりした。
            
我が家の敷地は変形5角形で、家屋を建つと、玄関庭と主庭となり、
原則として小庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、ときおり家内の支援を受けることもある。

我が家の小庭の樹の剪定は、ご近所のお宅の殆どは植木屋さんに年に数回依頼しているが、
我が家は私たち夫婦が自己流で樹木の剪定しているのが、私が定年後、ここ13年目の実態となっている。
                      

本日の朝の6時は14度、昼下がりは21度前後、夕方の6時は18度前後と報じられ、晴れマークが横並びとなり、
さわやかな皐月晴れかょ、と私は微笑んだりした。

やがて私たち夫婦は6時少し前に、玄関庭に下り立った・・。

こうした時の私の容姿は、ストレッチパンズの長ズボン、着古したワイシャツ、
ウォーキング・シューズ、帽子、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしている。

家内はトレーナー姿にエプロンした容姿でタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をしている。

そして私は買い求めた切れ味抜群の鋸(のこぎり)を右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。

家内も剪定用の高枝鋏(たかえだ・ばさみ)を右手に持ちながら、伸びきった枝葉を切り落としたり、
或いは剪定鋏(ハサミ)を使ったりしていた。

私は72歳で、家内は67歳の高齢者夫婦に該当するが、それぞれ奮戦すれば2馬力だよなぁ、
と私は微苦笑したりした。
                                 

私は何にかと暑さに苦手であるが、心地よい陽射しを受けながら、
ときおり吹く風は、薫風だよねぇ、と私は家内に言ったりした・・。

やがて我が家の歩道に面した垣根のカイズカイブキ、アカネモチ、ツバキ、
或いは小庭にあるサカキ、モミジなどを剪定したりした。
              
私は若き40代の頃は、殆どの雑木は樹高10メートル前後にしていたが、
齢を重ねた60代の頃から、樹高3メートル前後ぐらいにしなければ、
手入れが困難になる、と家内の助言に基づいて、小ぶりに剪定したりしてきた。

しかしながら私は無念ながら体力の衰え、30分毎に簡易椅子に座り、ペットボドルの煎茶を飲み、
5分ぐらい休息としたりした。

こうした時、過日にネットで学んだ一節《・・『忘れること』には、“人間の心と体を守る役割”がある・・》
甦(よみがえ)り、独り微苦笑をした。
             

私が学んだ記事は、ときおり愛読している【NEWS ポストセブン 】が4月25日に配信され、
『90歳・無着成恭氏 辛いことを忘れるのは気楽でいい』と題した記事であり、
この記事の原文は、『週刊ポスト』の2017年5月5・12日号に掲載された記事のひとつであり、
無断ながら転載させて頂く。


《・・90歳・無着成恭氏 辛いことを忘れるのは気楽でいい

僧侶の無着成恭氏(90歳)は「最近は忘れてばかりですよ」と語る

物忘れや記憶力低下を防止するためのトレーニングは重要だ。
しかし、「忘れること」を、過度に怖れる必要はない。

過去のあやまち、辛い思い出・・そういったものを忘れていけるからこそ、
人間は前向きに生きて行けるという側面もある。
「忘れる幸せ」という考え方が、老後を楽にしてくれるかもしれない。

「忘れることは、脳の重要な役割のひとつでもある」と語るのは、
横浜新都市脳神経外科病院内科認知症診断センター部長の眞鍋雄太医師だ。

「人間は、脳に入ってきた情報のうち2割しか、覚えていられないといわれています。
しかし、『忘れること』の存在意義は、記憶が多すぎると脳がパンクするからではありません。

もし脳が記憶を忘れられない場合、不愉快な記憶がいつまでも意識に残り、
精神的・肉体的ストレスを感じることになります。

すると、うつ病などの精神疾患を発病したり、ストレスを受けると分泌されるホルモン『コルチゾール』によって、
心筋梗塞や脳梗塞、認知症を発病することに繋がる。
『忘れること』には、“人間の心と体を守る役割”があるのです」
             

“物忘れの先輩”の声は明るい。御年90歳、
かつて『全国こども電話相談室』(TBSラジオ)で回答者を務めた僧侶の無着成恭氏は、
「最近は忘れてばかりですよ」と語る。

「いざ食事をしようと思ったら、入れ歯をしてなかったり、
自分の電話番号を忘れたり、そんなことは日常茶飯事です。

でも忘れることには、利点もある。
例えば、本の間に挟んでいた1万円札のことを忘れていて、
その本を久しぶりに読んだときに、それが見つかったら、儲かった気がして嬉しいでしょ。

辛いことを忘れられるというのも、気楽でいいものです。
私なんて、病気してることすら、忘れてしまうことがありますからね。
すると、不思議と元気がでるものなんですよ」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、教育に関して波乱万丈の人生航路を歩んだ無着成恭さんも、
お歳を召されると、このようになってしまうんだ、と微苦笑をさせられたりした。

そして今回の記事で何よりも教示させられたことは、眞鍋雄太医師より、
《・・人間は、脳に入ってきた情報のうち2割しか覚えていられない・・》、
《・・『忘れること』には、“人間の心と体を守る役割”があるのです・・》
私は恥ずかしながら初めて私は学んだりした。

私は70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。

こうした体験をしてきた私は、今回の眞鍋雄太医師の明言に、安堵して、やがて微笑みを浮かべたりした。

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