夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

充実した老後を過ごすための銘言、改めて高齢者の私は学び、やがて賛意を深めて・・。

2017-05-30 16:21:12 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【アゴラ】を見ている中で、
『書評「絶望老人」 --- 城 繁幸』と見出しを見たりした。

私は城 繁幸(じょう・しげゆき)さんに関しては、過ぎし2004年に、
『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』(光文社〉を上梓されたのを、たまたま私は読み、
ご自身が勤められた富士通が行った成果主義の問題点や日本型成果主義の矛盾点を的確に論評され、
私は多々教示され、これ以来信頼している御方のひとりとなっている。

このような城 繁幸さんに真情を秘めている私は、記事を精読してしまった。

そして今回は、新郷 由起・著作の『絶望老人』( 宝島社)について、書評されている論評であり、
私は読んでいく中、満天の星空のように、充実した老後を過ごすための銘言が多々記載されていて、
私は年金生活13年生の身であるが、改めて学び、やがてそうですよねぇ、と賛意を深めたりした。

この原文は城 繁幸さんのブログ「Joe’s Labo」2017年5月27日の記事であり、
【アゴラ】には2017年5月28日に転載されて配信され、無断ながら私も転載させて頂く。
             

《・・タイトルだけ見て、NHKが日曜夜に視聴者を恐怖のどん底に叩き落とした
特集「老人漂流社会」を連想する人も多いかと思うが、
中身はそこまでハードモード人生なものではない(というか宝島はタイトル釣りすぎ!)。

もちろん一部に絶望気味の人も出ては来るが、
大半はどこにでもいる、ごく普通の老人たちのインタビュー集だ。

余談だが、メディアが老人とか格差社会をテーマに特集を組むときは、
たいてい、とびっきり強烈なインパクトのケースを紹介するものだ。

なぜなら、その方が視聴者に受けるから。それが悲惨であればあるほど、
視聴者は自らの相対的な豊かさを実感して安心できる。

「大変だなあ、可哀想だなあ」と口に出しつつも、
心の底では「自分は、ああはならない」と分かっているから、
しばらくすればきれいさっぱり忘れてしまえる。

だから、ああいう格差とか貧困の特集というのは、何も解決しないし、
何かの参考になるということもない。
所詮はエンタメなのだ。
             

筆者は以前から「普通の老後を迎えた普通の老人に、今、何が起こっているのか」
ということに非常に興味があったのだが、
本書はそういう意味では、最良の一冊と言えるかもしれない。

普通に結婚して、子供も巣立った後の老人から、独身のままリタイアして、一人暮らしする老人、
家族はいるものの、自分の意思で縁を切った老人、
河川敷でホームレスとして生きる老人など、
様々な形態の老人たちが登場し、現在の生活について率直な思いを述べる。

“では、経済的余裕さえあれば、老後は安泰なのか。
頼れる血縁者のいない高齢者はみな、憐れで、誰もが悲惨な末路を迎えるのか。
(中略)
気が遠くなるほど長く延びた、老いの日々を幸福に導くもの、絶望へ追いやるものとは何か。
その分岐点と、おいて生きる上で、真に必要なものを問うていきたい。”

と前書きにもあるように、
まず意外なのは、経済的余裕があっても、必ずしも幸せだとは言い切れない点だ。
             

たとえば、銀行マンとして現役時代は、仕事漬けの日々を送って出世もし、
高額の退職金と豪邸を手にリタイアしたものの、妻は早々に病死。
なかなか定職に就かない長男夫婦に無心されるうち、結局、退職金も家も処分するはめになった老人もいる。

また、入居一時金が3千万円を超えるような富裕層向けの有料老人ホームに入居すれば
何の心配もいらないかというとそうでもない。

上げ膳据え膳、栄養管理も投薬もバッチリ管理してもらえる暮らしでは、
人間としての様々な能力は、むしろ急速に衰えるらしい。

“「衰えの進みにくい体づくりのためには、人生後半の食生活が最も重要で、
それには正しい知識を得た上で、自分でやれるうちは、自力で賄うのが一番なのです。

というのも『食事を用意する』という行為には、たくさんの高次機能が凝縮されているから。
買い物に出かければ歩くし、店先に並んだ旬の食材を目にして季節を感じることもできる。
(中略)様々な機能は、いつも使っていれば衰えにくく、適度な負荷をかけることで、老いの抑制につながるのです」
(人間総合科学大教授・熊谷修氏)”

逆に、河川敷に気の合う仲間と“集落”を作って、
気が向いた時だけ、日雇い仕事をしているホームレスの爺さんたちの話が、実はいちばん明るかったりする(笑)
             

キャリアも同様で、大企業の役員や先生と呼ばれる立場の人ほど、
老後の新たな職場や地域の共同体などで、行き詰まる人が多い。

柔軟性が無く、現役時代と同じ高い地位で、扱われることを望むためだ。
地域のイベントなどでも、手より口を動かすだけで、
注意されると怒って、それっきり顔を出さなくなる人も珍しくないという。

“年を重ねるだけでは、“人生の達人”になれない

コップの水が7割方入っているのを「満杯じゃない」と受け取るか
「半分以上も入っている」と捉えるか。

必要なのは「足るを知る」感覚を踏まえて、生きる知恵と生活力を備えること。

「たくさんのお金がなければ、生きられない」「幸せを感じられない」生活と価値観に固執せず、
限られた収入のなかで、生きられる知恵や工夫、方法を身につけ、
その中で自身が楽しめる人生の目的と手段をえることだ。

言い換えれば、長い人生経験の中で、どのような状況でも
自分を“活かして”生きる力を養ってこなかった人、生きるセンスを培えずにいた人ほど、
長く延びた老いの日々を苦心して送ることになる。”

結局のところ、老後というのは、肩書とか誰かに与えられた役割とか、
そういうしがらみが、一枚一枚剥がれ落ちて行って、
最後に自身が人生で培った地肌が、丸裸になることなのだろう。
             

さて、以下は筆者のメモ。

筆者の見たところ、充実した老後を過ごすためのポイントは以下の4点だ。

1.とにかく人とのつながりを維持する

一部の人の夢を壊すようで悪いが、やっぱり“独身貴族”なんてものは幻想で、
独身で老後に突入した人は、ほぼ絶望寄りの状況に陥っている。

一人暮らしをしていても、離れて暮らす家族がいるか、
気の合う友人知人とある程度のコンタクトを持たないと、相当厳しい老後になることは、覚悟しておいた方がいい。


2.常に新しいことへの好奇心を持つこと

老いて生きる上で、一番必要なものは何だと思いますか、
と問われた一人の老人は、“好奇心”と答えた。

“「これをなくすと、一気に老け込む。
年を取れば、どうしたって先行きを暗く感じたり、やりきれない思いは、増える一方だと思うんだよね。

だからこそ、新しいものを吸収しようとする気持ちや行動力を増やしていかないと、ひしゃげちゃう。
いやなことがあっても、前向きに老いていきたいじゃない。
せっかく一度きりの人生なんだからさ」”

これはキャリアデザインにも、通じる話だ。
好奇心を失うと人材は伸びなくなる。
             

3.何でもいいから趣味を持つこと

よく言われる話だが、仕事一筋で無趣味の人ほど、老後に一気に、老け込むものだ。
それを防ぐには、長く続けられる趣味を一つは作って、おくべきだろう。

筆者がなるほどなと感心したのが、裁判の傍聴シニアの話だ。
朝から公判をはしごして、ほとんど終日を裁判所で過ごす人までいるらしい。

“「ここでは、つくりもののテレビドラマなんか、足元にも及ばない、
本物の人間ドラマが、生で見られるんだ。

しかもタダで。
『世の中にはこんな犯罪があるんだ』とか『こういう事情があったんだ』とか、
弁護人と検察官のやり取りとか、飽きないよねぇ。
(中略)テレビなんか見てるより、よっぽど面白いよ」”

他にはボランティア活動なども。
これなら1番も同時にカバーできる。
             

4.仕事も生活も、地に足のついた状態をキープしておくこと

と書くと、ちょっとわかりづらいかもしれないが、
筆者の見たところ、老後に困っている人が直面している困難の根っこは、
すべて現役時代の行いにあるように見える。

たとえば仕事一筋で、土日はゴルフ三昧だった男性が、
息子にたかられるのは、突き詰めれば
「それくらいのことやってもいいだろう。なんせあのオヤジなんだから」
と足元を見られているのが原因だ(ついでに言えば、自身も悪いことをしたと後悔しているから、断り切れない)。

老後に再就職や地域活動で行き詰まる人は、中高年になってから、
分相応の地位について、胡坐をかいていた結果だろう。

自身の分をわきまえている人、あるいは掛け値なしに本当にすごい人というのは(飾る必要が無いから)姿勢が
低く人当たりも優しいものだ。

要するに、仕事でも家庭でも、求められる役割はしっかりとこなし、実のあるものにキープしておくこと。
仕事を理由に家庭をおざなりにしたり、年功序列のレールの上で、うとうとしながら後半生を働いてきてしまったりすると、
必ず老後のどこかで、しっぺ返しが来ることになるように思う。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私はこのサイトに於いて、私の年金生活の実態に関して、幾たびも投稿してきたが、
初めてお読み頂いた御方を思い、あえて簡略に再掲載をする。

東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                           

そして年金生活を当初は、現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

こうした中、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

或いは年金生活を始めた当初から、私は自主的に平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

そして私は、独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還したりしている。

こうした中、駅前に出た時は、殆ど本屋に寄って、単行本、新書本、文庫本、雑誌コーナーを見て、
読んでみたい誘惑に負けて、数冊を買い求めたりしている。

やがて買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
                                                      
午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

このように拙(つたな)い私は、歩くこと、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体と信愛し、過ごしたりしている。
                           

しかしながら人生は、想定していないことは多々あると私は学んできたが、
ときおり私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活をしている。

私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、
やがて一昨年より家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、
私にとっては、まさかの出来事のひとつとなっている。
                           
やがて家内の母が『要介護2』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした事情で、我が家では私が『おひとりさま』の生活となり、
私たち夫婦の年金生活の予定事項が定まることが少なくなり、少し困苦する時もある。

そして何かとプラス思考の私は、これも人生だよねぇ、と微苦笑したりしている。
             

今回の記事を読み終わった後、つたないサラリーマン航路を歩んだ私でも、
定年後の年金生活は、謙虚に過ごせば、予測した以上に安楽な生活をしている。

こうしたこともあり、数々の老後を過ごすための銘言を改めて私は学び、
そうですよねぇ、と賛意を深めたりしている。

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