私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)年の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始め、早や12年半が過ぎている。
そして東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭となっている。
こうした中、私たち夫婦は一昨日に小庭の手入れを3時間ばかりしたが、
七割がた残ってしまい、本日は早めに手入れしょうと話し合ったりした。
我が家の敷地は変形5角形で、家屋を建つと、玄関庭と主庭となり、
原則として小庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、ときおり家内の支援を受けることもある。
我が家の小庭の樹の剪定は、ご近所のお宅の殆どは植木屋さんに年に数回依頼しているが、
我が家は私たち夫婦が自己流で樹木の剪定しているのが、私が定年後、ここ13年目の実態となっている。
私が2004年(平成16年)の秋に定年退職した以前は、
5年ごとに植木屋さんに依頼するたびに、枝葉の処分料が多かった為か50万円前後を要してきたが、
この間は私がこっそりと植木屋さんの剪定した状況を物真似をして剪定してきた。
そして私が定年後まもなくして、ご近所より少し広い我が家は、
植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたりした。
こうした時、家内は私たちの旅行3泊4日が2回ぐらいできるわ、と言い、
小庭の手入れは私の責務の範疇であったが、年に数回は家内の手助けを借りている。
やがて私たち夫婦は7時半過ぎに、玄関庭に下り立った・・。
こうした時の私の容姿は、ストレッチパンズの長ズボン、着古したスリーシズン用のスポーツシャツ、
ウォーキング・シューズ、帽子、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしている。
家内はトレーナー姿にエプロンした容姿でタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をしている。
そして私は過ぎし2年前に買い改めて切れ味抜群の鋸(のこぎり)を右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。
家内も剪定用の高枝鋏(たかえだ・ばさみ)を右手に持ちながら、伸びきった枝葉を切り落としたり、
或いは剪定鋏(ハサミ)を使ったりしていた。
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私は何にかと暑さに苦手であるが、強い陽射しを受けながら、
ときおり吹く風は、そよかぜよりも薫風と感じながら、奮闘したしたりした・・。
やがて我が家の歩道に面した垣根のカイズカイブキ、アカネモチ、ツバキ、
或いは小庭にあるキンモクセイ、モミジ、モクレン、梅などを剪定したりした。
私は若き40代の頃は、数多いの雑木は樹高10メートル前後にしていたが、
齢を重ねた60代の頃から、樹高3メートル前後ぐらいにしなければ、
手入れが困難になる、と家内の助言に基づいて、小ぶりに剪定したりしてきた。
しかしながら私は無念ながら体力の衰え、30分毎に簡易椅子に座り、ペットボドルの煎茶を飲み、
5分ぐらい休息としたりした。
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そして40代の頃は、一時間に55分ぐらい剪定したり、草むしりをして、
5分ぐらい休憩で奮戦していたよなぁ、と私は微苦笑したりした。
或いは、確か平成元年(1989年)の頃の夏、会社の激務で土曜休日も出勤した翌日の日曜日、
小庭は草ぼうぼうであったので、私は寝不足で疲れがあったが、今しなくて何時(いつ)するょ、
と自身を叱咤激励して、麦わら帽子を被(かぶ)らず庭に飛び出て、伸びた草を抜きはじめた・・。
真夏の燦々と陽射しが照らす35度近い熱さの中、汗まみれ泥まみれとなり孤軍奮闘したが、
やがて負けそうになり、叱咤激励をする為に、かぼそい声で唄ったりした・・。
♪八月の風 両手でだきしめたら イマジネーション 飛び立つのサヴァンナへ・・
とこの当時に流行(はや)っていたプリンセス・プリンセスの『世界でいちばん熱い夏』の歌を
唄ったりした。
或いは、♪ダイヤモンドだね AH AH いくつかの場面・・
とプリンセス・プリンセスの『Diamonds』の歌を何度も唄いながら、
45歳前後だった私は、汗水を流しながら泥まみれになり、炎天下の中、草抜きをした。
やがて夕方になると、声も枯れて、体力も使い果たした。
その晩、軽い日射病で苦しんだりした。
そして翌朝の月曜日は、週の初めであるので、人生は気合だ、と何時もより早めに自宅を出たりした。
このようなことがあったよなぁ、と独り微苦笑したりした。
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やがて我が家の樹木をある程度は剪定を終えた後、
散乱している枝葉を市から指定されている『燃えるゴミ袋』のLLサイズ(45リットル入り、有料・10袋入り、840円)に、
袋に破れないように入れる為、家内は枝葉を適度に剪定鋏(ハサミ)で切ったりした。
この間の私は草むしりに専念していたが、やはり樹の下の周囲にある雑草を取ろうと、地面に這いつくばりながら奮戦すると、
やがて泥まみれ汗まみれとなり、苦笑したりした。
しかしながら真夏の熱い時節は、汗はしたたり落ちながら、草むしり、樹木の剪定をするよりは、
遥かに楽で、微苦笑をしたりした。
この後、『XXちゃんさぁ・・やめない?・・ほぼ予定どうり出来たから・・』
と私の方から家内に提案したりした。
樹木の剪定、草むしりは七割がた完了であったが、体力の衰えた私は、
数日後に小庭の手入れをすればよい、と自身にすぐに妥協してしまい、家内に提案したのが本音である。
そして風呂を沸いた頃、家内に先に入ってもらい、
私は主庭に移動して、片隅にあるテラスに簡易椅子に座り、モミジの木陰に身を寄せて、
煎茶を飲んだりした。
私は若き40代の頃は、こうした時はお寿司屋さんから頂いた大きな湯呑茶碗で、
冷酒を二杯ぐらいは呑んで待機していたが、
その後の50代の時は、殆どビールを呑んだりしていたが、
今や煎茶を飲む身となり、やはり齢かしらと苦笑したりした・・。
まもなく家内が居間から、小声で
『お風呂を上がったわ・・選手交代ょ』と私に言ったりした。
『了解致しました!』
と私は若き自衛官に負けないように大声で応(こ)えた。
私は体力の衰えてきた中で、ハァ~ィ、と答えるのは、ボケてきたと思われるので、
たとえ夫婦間であっても、せめて返事ぐらいは清く正しくしている。
やがて私はお風呂場に向かう途中、市が指定された我が家の門扉の内側に、
『燃えるゴミ袋』のLLサイズが14袋あり、私はお互いに健闘したよなぁ、と私は微苦笑したりした。
そして私は家内の奮闘に鼓舞されて動き回ったなぁ、
と思いながらお風呂場に向かったのは、昼の1時半時過ぎであった。
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やがて陽射しが差し込む湯船に身も心も、疲れた身体をゆだねながら、
こうした日も小庭が少し綺麗になったので、確かに充実感はあるよなぁ、と独り微苦笑をしたりした。
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その後は多々の理由で年金生活を始め、早や12年半が過ぎている。
そして東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭となっている。
こうした中、私たち夫婦は一昨日に小庭の手入れを3時間ばかりしたが、
七割がた残ってしまい、本日は早めに手入れしょうと話し合ったりした。
我が家の敷地は変形5角形で、家屋を建つと、玄関庭と主庭となり、
原則として小庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、ときおり家内の支援を受けることもある。
我が家の小庭の樹の剪定は、ご近所のお宅の殆どは植木屋さんに年に数回依頼しているが、
我が家は私たち夫婦が自己流で樹木の剪定しているのが、私が定年後、ここ13年目の実態となっている。
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私が2004年(平成16年)の秋に定年退職した以前は、
5年ごとに植木屋さんに依頼するたびに、枝葉の処分料が多かった為か50万円前後を要してきたが、
この間は私がこっそりと植木屋さんの剪定した状況を物真似をして剪定してきた。
そして私が定年後まもなくして、ご近所より少し広い我が家は、
植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたりした。
こうした時、家内は私たちの旅行3泊4日が2回ぐらいできるわ、と言い、
小庭の手入れは私の責務の範疇であったが、年に数回は家内の手助けを借りている。
やがて私たち夫婦は7時半過ぎに、玄関庭に下り立った・・。
こうした時の私の容姿は、ストレッチパンズの長ズボン、着古したスリーシズン用のスポーツシャツ、
ウォーキング・シューズ、帽子、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしている。
家内はトレーナー姿にエプロンした容姿でタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をしている。
そして私は過ぎし2年前に買い改めて切れ味抜群の鋸(のこぎり)を右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。
家内も剪定用の高枝鋏(たかえだ・ばさみ)を右手に持ちながら、伸びきった枝葉を切り落としたり、
或いは剪定鋏(ハサミ)を使ったりしていた。
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私は何にかと暑さに苦手であるが、強い陽射しを受けながら、
ときおり吹く風は、そよかぜよりも薫風と感じながら、奮闘したしたりした・・。
やがて我が家の歩道に面した垣根のカイズカイブキ、アカネモチ、ツバキ、
或いは小庭にあるキンモクセイ、モミジ、モクレン、梅などを剪定したりした。
私は若き40代の頃は、数多いの雑木は樹高10メートル前後にしていたが、
齢を重ねた60代の頃から、樹高3メートル前後ぐらいにしなければ、
手入れが困難になる、と家内の助言に基づいて、小ぶりに剪定したりしてきた。
しかしながら私は無念ながら体力の衰え、30分毎に簡易椅子に座り、ペットボドルの煎茶を飲み、
5分ぐらい休息としたりした。
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そして40代の頃は、一時間に55分ぐらい剪定したり、草むしりをして、
5分ぐらい休憩で奮戦していたよなぁ、と私は微苦笑したりした。
或いは、確か平成元年(1989年)の頃の夏、会社の激務で土曜休日も出勤した翌日の日曜日、
小庭は草ぼうぼうであったので、私は寝不足で疲れがあったが、今しなくて何時(いつ)するょ、
と自身を叱咤激励して、麦わら帽子を被(かぶ)らず庭に飛び出て、伸びた草を抜きはじめた・・。
真夏の燦々と陽射しが照らす35度近い熱さの中、汗まみれ泥まみれとなり孤軍奮闘したが、
やがて負けそうになり、叱咤激励をする為に、かぼそい声で唄ったりした・・。
♪八月の風 両手でだきしめたら イマジネーション 飛び立つのサヴァンナへ・・
とこの当時に流行(はや)っていたプリンセス・プリンセスの『世界でいちばん熱い夏』の歌を
唄ったりした。
或いは、♪ダイヤモンドだね AH AH いくつかの場面・・
とプリンセス・プリンセスの『Diamonds』の歌を何度も唄いながら、
45歳前後だった私は、汗水を流しながら泥まみれになり、炎天下の中、草抜きをした。
やがて夕方になると、声も枯れて、体力も使い果たした。
その晩、軽い日射病で苦しんだりした。
そして翌朝の月曜日は、週の初めであるので、人生は気合だ、と何時もより早めに自宅を出たりした。
このようなことがあったよなぁ、と独り微苦笑したりした。
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やがて我が家の樹木をある程度は剪定を終えた後、
散乱している枝葉を市から指定されている『燃えるゴミ袋』のLLサイズ(45リットル入り、有料・10袋入り、840円)に、
袋に破れないように入れる為、家内は枝葉を適度に剪定鋏(ハサミ)で切ったりした。
この間の私は草むしりに専念していたが、やはり樹の下の周囲にある雑草を取ろうと、地面に這いつくばりながら奮戦すると、
やがて泥まみれ汗まみれとなり、苦笑したりした。
しかしながら真夏の熱い時節は、汗はしたたり落ちながら、草むしり、樹木の剪定をするよりは、
遥かに楽で、微苦笑をしたりした。
この後、『XXちゃんさぁ・・やめない?・・ほぼ予定どうり出来たから・・』
と私の方から家内に提案したりした。
樹木の剪定、草むしりは七割がた完了であったが、体力の衰えた私は、
数日後に小庭の手入れをすればよい、と自身にすぐに妥協してしまい、家内に提案したのが本音である。
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そして風呂を沸いた頃、家内に先に入ってもらい、
私は主庭に移動して、片隅にあるテラスに簡易椅子に座り、モミジの木陰に身を寄せて、
煎茶を飲んだりした。
私は若き40代の頃は、こうした時はお寿司屋さんから頂いた大きな湯呑茶碗で、
冷酒を二杯ぐらいは呑んで待機していたが、
その後の50代の時は、殆どビールを呑んだりしていたが、
今や煎茶を飲む身となり、やはり齢かしらと苦笑したりした・・。
まもなく家内が居間から、小声で
『お風呂を上がったわ・・選手交代ょ』と私に言ったりした。
『了解致しました!』
と私は若き自衛官に負けないように大声で応(こ)えた。
私は体力の衰えてきた中で、ハァ~ィ、と答えるのは、ボケてきたと思われるので、
たとえ夫婦間であっても、せめて返事ぐらいは清く正しくしている。
やがて私はお風呂場に向かう途中、市が指定された我が家の門扉の内側に、
『燃えるゴミ袋』のLLサイズが14袋あり、私はお互いに健闘したよなぁ、と私は微苦笑したりした。
そして私は家内の奮闘に鼓舞されて動き回ったなぁ、
と思いながらお風呂場に向かったのは、昼の1時半時過ぎであった。
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やがて陽射しが差し込む湯船に身も心も、疲れた身体をゆだねながら、
こうした日も小庭が少し綺麗になったので、確かに充実感はあるよなぁ、と独り微苦笑をしたりした。
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