夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高度成長期は『大衆消費』、バブル期は『見せびらかし消費』、現代は『同調型消費』、と高齢者の私は学び・・。

2017-05-05 15:50:36 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 バブル期は見せびらかしの時代 現代は「同調型消費」に変化】と題された見出しを見た・・。

私は齢ばかり重ねている癖に、消費動向の変貌を改めて学びたく、こっそりと読んでしまった・・。

この記事の原文は、『女性セブン』の2017年5月11・18日号に掲載された記事のひとつであり、
関連ネットの『NEWS ポストセブン』で2017年5月1日に配信されていたが、
無断ながら転載させて頂く。

《・・バブル期は見せびらかしの時代 現代は「同調型消費」に変化
             

NHKの連続テレビ小説『ひよっこ』の舞台となるのは、1960年代の茨城と東京だ。
1950年の朝鮮戦争を受けて、高度成長期を迎えた日本。

その経済がますます発展していったのが1960年代だ。
1960年生まれである、大阪府立大学教授で工学博士の橋爪紳也さんが振り返る。

「子供でしたが、家庭でも生活の場でも、しばしば変化があるのが日常。
変化の連続こそが、豊かさであったと、あとになって気がつきます。
私たち1960年代生まれは、豊かさとともに成長した世代ともいえます」

高度経済成長の人々の消費形態は、大衆消費だと、大妻女子大学学長の伊藤正直さんは分析する。
「みんなが持っているものを持ちたい。
それが1960年代前半は、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫だった。

1970年代に入るとカラーテレビ、クーラー、自動車。
誰もが持つことが期待されるものを、みんなで持つ。
そのために仕事を頑張って、給料をもらって、それを買う、というのが高度成長の時代だったといえるでしょう」
             

その後、消費のあり方は変わっていった。

「1980年代のバブル期は、見せびらかし消費の時代でした。
人と違ったものを持っていることが、よしとされた時代でした。

ところが、バブルの崩壊で、その消費形態ができなくなった。

現代は、低価格の規格商品をみんなが購入しています。
仲間内でみんなと違ったことはしたくないから、みんなと同じようなことをやるという傾向ですね。
同調型消費に変化してきていると思います」(伊藤さん)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受け、
やがて兄2人、そして妹二人の間(あいだ)で、サンドイッチのように育ったが、
何故かしらいじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。

やがて私は地元の小学校、中学校を卒業して、都心にある高校に入学したは1960年(昭和35年)4月であり、
この当時は新宿、渋谷の街は、活気に満ち溢れ、日毎に変貌していた時代であった。

そして1963年(昭和37年)4月に大学に入学した当時は、
翌年に東京オリンピック開催に伴い、都心を取り巻く環状道路、首都高速道路などが整備され、
都心の街並みも大幅に整備され、新たに変貌していた。

1980年代のバブル期の当時は、私は民間会社に奮闘し、勤務地は六本木にあり、
喧騒と華やかさが入りまじり、私は大人のおもちゃ箱が散乱したように感じたりしてきた。

やがて私は2004年(平成16年)秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始め、
失われた20年、と新聞などを読み、微苦笑させられてきた。
             

今回、戦後の消費動向に関して、
高度成長期は『大衆消費』、バブル期は『見せびらかし消費』、現代は『同調型消費』、
凝縮した形で表現されたことは、さすが専門知識を有した御方の論説であり、
つたない人生航路を歩んだ私でも、まぎれなく的言です、と瞬時に感じたりした。

やがて私は過ぎし年の出来事を思い馳せ、そんな時代がありましたねぇ、と微苦笑をしたりした。

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