夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ネット中傷事件で加害者にならないための5か条、ブログ16年生の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2020-02-24 14:51:44 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら、有線の据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。

このように無線のモバイル情報機器に、遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。

そして私は、過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなくブログの世界を知り、国内旅行とかパソコンの故障がない限り、毎日に一通は投稿し、
パソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。  
        
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、
真情を投稿文に認(したた)めたく、 あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、 ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。

こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、数多くの綴ってきたりした。

やがて70代になると、自身の体力の衰えを実感して、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、独り微苦笑する時もある。  
                                     
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
  

                       

昨夕のひととき、ときおり愛読している公式サイトの『マネーポストWEB
』を見ていたら、
『 ネット中傷事件で加害者にならないための5か条 』
と題された見出しを見たりした。

ネットに関しての書き込みに関しての問題の内容と思い、
具体的にどのようなことですか、とクリックして精読してしまった・・。


この記事の原文は、『女性セブン』の2020年2月27日号に掲載された記事であり、
関連の公式サイトの『マネーポストWEB』に2年24日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・
どうせ匿名だからバレないだろう、と考えて
「死ね」や「ブス」「犯罪者」などと誰かを名指しして、ネットに書き込んだら訴えられた――
昨今、そうした例は少なくない。

そして、ガセネタを気軽にリツイートをした人も、
いわれのない誹謗中傷拡散をさせてしまったら「加害者」となってしまい、訴訟対象になる可能性もある。

そんな危険を防ぐために、できることは何か──
加害者にならないための5つの心得を挙げる。

●投稿に匿名性はないと肝に銘じる  
    「発信者情報開示請求」や「過去の投稿」の分析をされれば、
    自分の身元はほぼ特定されるため、投稿は名前と住所をさらして行っていると思っておいた方がいい。

●どこの誰が情報源なのかを必ず調べる  
    フェイクニュースやデマではないか、リツイートする前に確認しないと、自分が風評被害の加害者になる。

●クリックする前に一度立ち止まって考える 
    自分の投稿やリツイートによって傷つく相手はいないか、発信する前に一度考える余裕を持つこと。

●一度流したら、消しても消えないことを忘れない  
    一度流した投稿は、誰がが保存している可能性が高く、削除しきれない。
    世界のどこかに残っていると思おう。
    ネットには「消したら増えるの法則」という言葉もある。

●対面で言えないような悪口は書かない 
    本人を前に堂々と言えないようなことは、ネット上でも発言するべきではない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                      

記事を読みながら、私は微苦笑を重ねて、確かにそうですよねぇ、と思い重ねたりした・・。

私の投稿文は、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを綴ってきたので、
幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情、ときには社会問題も綴ったりしてきた。

或いは政治にも疎(うと)い私でも、余りにも心の節度が欠けた時の政治家には、
いたたまれず投稿文に認(したた)めたことがあったりした。

国際主要国は、もとより歴史観、それぞれ国益に基づいて言動をされるが、
民主党政権だった時の鳩山首相が、いずれも欠如して、園児のようなふるまいだ、
と非難文を投稿したりした。


或いは管首相の時代となったが、党内の権力闘争で、唐突な言動が多く、
もとより肝要な閣僚の方たちに戸惑いをさせたりし、

私は無力ながら非難文を3通ぐらい書き、発信したりしてきた。

しかしながら、うすぎたない文章は、私の人格を問われるので避け、たとえ痛烈な内容であっても、
義務教育で習った日本文を認(したた)めてきた。

                      

こうした中で、私が体験してきたことは、コメント上で私は卑劣なコメントを幾たびも受けたりしてきた。

過ぎし2005年(平成17年)の当時に、 あるブログに準じた簡易サイトに加入していた時、
コメント欄に書き込みをして頂いた方があった。

《 タイトルは、《あいうえお》
  内容は、ゲボリッチ       ゲボリッチャン
  発信人は、f4rr   発信時間は、20.39 》 と綴られて、
ご丁寧に8回連続されていた。

この時、私はこれには、困ったなぁ、と感じたりした。

私は大学中退の身であるが、書き込みをされた方は、
たとえ大学、大学院などを卒業されても、 心の貧しい人と思っている。


或いは私の投稿文について、確か11年前の頃だったと思われるが、
文節が良くない、文法を無視している・・などと執拗に幾度かコメントされたことがあった。

私はつたないながら独創的な文体を目指(めざ)して、今でも悪戦苦闘する時もあるが、
高等学校の国語の文法の先生のようなことをコメントするなよ、と私は無視したりした。

そして8年前に於いて、同一のお方からコメントを頂いたが、
私を精神XX病・・と書かれた上、ご丁寧にもある大学病院の10ぐらいの科を記載されていた。
そして私は、これには困ったなぁ、と苦笑しながら、コメントを削除した。

そして昨年の5月頃に、私は若い一部の御方の『スマホ依存』を憂い、投稿した後、
貴様みたいなスマホより価値がない下等生物が余計なことするな。
貴様の自己満に巻き込まれた方はいい迷惑だ。

このようなコメントを頂き、私は苦笑したりした。
        
このようにネットの世界は、なんでもありの不思議な世界である。

          
            
人誰しも、この人生航路を歩み中で、光と影を有しているが、
つたない私でも光と影があり、特に暗く影のことも、私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しも、
このサイトにためらいながら、マイナスと称される影も私は描写してきた。
          
しかしながら私は、どうしても表現できないこともあったりした。
このことは私の人格さえも問題視されることであり、感情と理性の間を往還しながら、
ためらいながらも結果としては、綴れなかったことがある。

たとえば、皇室の問題であり、平成時代に於いては、天皇陛下、皇后陛下には限りなく敬愛を深めているが、
肝要の皇太子殿下、妃殿下のご夫妻の言動に、ときおり憂(うれ)いを感じたりしていた。

或いは私の勤めた音楽業界のあるレコード会社に35年近くの中で、秘めたる事柄は数多くあるが、
守秘義務もないが、退職後の丸16年を過ぎた今でも、心の礼節として綴れない。

やはり社会人として、遅ればせながら25歳で中途入社できた時から、
何かと上司、先輩、同僚、後輩、知人のたゆまぬ激励と支援の中で、定年退職時まで、
奮闘できたことであり、今でも感謝している。

このような思いで、もとより社員と経営者、株主の結晶である会社にも感謝しているので、
秘めたる悪しきことは、心の礼節としてできない。

そして格差の問題は歴然として、この世の中に各分野に露呈している現実があるが、
特に生活保護の難題は、綴れないのである。

或いは社会を震撼させる卑劣な悪質な犯行する方は、もとより非国民の言動あり、
たとえ日本は法治国家であっても、性善説を捨てて性悪説の基で、
法務大臣の特例で、絞首刑が妥当と思っている。
          
このようなことを思いを秘めているが、こうしたことを綿密に投稿文で綴れば、
もとより私の人格さえも問題視されることであり、小心者の私は書けないでいる。

          

こうして私はブログを殆ど毎日投稿してきたが、
8年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
                    
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多く、苦笑している。            

コメント (2)
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