先程、ときおり愛読している公式サイトの【介護ポストセブン】を見ていたら、
『 認知症の発症率を上げる生活習慣・・』、
と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市の片隅み住む年金生活の75歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭である。
こうした中、私が年金生活を始めた2004年(平成16年)の秋の当初から、
我が家の平素の買物は、 私は自主的に買物専任者として宣言し、 家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、我が家より歩いて、スーパー、専門店など歩いて行き、 買物メール老ボーイとなっている。
この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活丸15年を過ごしてきた。
そして私は寝たきりなどは、ささやかな日常のささやかな願いも制約されるので、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症とか心筋梗塞などは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。
こうした深情を重ねている私は、 今回の《・・認知症の発症率を上げる生活習慣・・》って、
どのようなことですか、と思いながら記事を読んでしまった。
この記事は、『女性セブン』の2020年1月30日号に掲載された記事であり、
関連の公式サイトの【介護ポストセブン】に2月4日に配信されていた。
この記事は、もとより女性の視点に表現された記事であるが、認知症は男女を超越する難題であり、
75歳の男性の私でも真摯に学びたく、無断であるが記事の前半部を転載させて頂く。
《・・認知症の発症率を上げる生活習慣
もはや国民病ともいえる「認知症」。
2012年、認知症患者は462万人だった。65歳以上の7人に1人が発症する程度だったが、
内閣府の試算によれば、5年後の2025年には5人に1人に、
2060年には3人に1人にまで増えるという。
認知症には、大きく分けて3つのタイプがある。
最も多い「アルツハイマー型」は、認知症患者の約半数を占める。
脳にアミロイドβやタウタンパク質という有害ゴミがたまり、それが神経細胞死を招くことが原因とされている。
ついさっきのことも忘れる「短期記憶障害」が急速に進行する。
次いで多いのが「レビー小体型」で、全体の2割ほど。
脳にレビー小体というたんぱく質がたまり、やはり脳の神経細胞が減っていく。
こちらは幻覚があるのが特徴だ。
残る1つが「血管性認知症」と呼ばれるもの。
脳出血、脳梗塞で脳細胞が死滅することが原因となる。
しかし、絶望するのは早い。
早期発見・早期治療で進行を遅らせることができるのも認知症の特徴だ。
そこで今回は、世界各国の研究データや統計をもとに、認知症リスクにかかわる生活習慣をまとめた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/a2/5c9135242a8c5dbd2b14edf8eaacc603.jpg)
☆運動が認知症の予防に有効
この寒空の下、トレーニングウエアで走り出すのは、億劫なもの。
だが、IBRO(先端生体情報研究機構)所長で医師の西崎知之さんは、
「運動している人の脳は、若々しい」と語る。
運動をするとLDLコレステロール値が下がるため、
認知症の予防に功を奏する可能性が高いというのだ。
「マラソン選手は、特にLDLコレステロール値が低いので、
運動が認知症の予防に有効だということは間違いないでしょう」(西崎さん)
国立長寿医療研究センター・長寿医療研修センター長の遠藤英俊さんが語る。
「有酸素運動は、脳の酸素消費量の代謝を改善します。
さらに、運動をしながら頭を使うことで、認知能力が向上したというデータもあります」(遠藤さん・以下同)
☆認知機能が低下し始める前は、歩行速度が低下していく
具体的には何をしたらいいのだろうか。
「散歩の際、普段より速く歩くことで、有酸素運動になる。
同時に連想ゲームなどの脳トレをすると効果的です。
脳の酸素消費量が増加し、脳細胞の機能を向上させる『脳由来神経栄養因子』が増加します」
また「歩く」という行為は重要なバロメーターとなる。
「認知機能が低下し始める前は、歩行速度が低下していくということが、複数の論文によって示されました。
つまり、歩くのが遅くなった人は、いずれ認知能力も低下すると予想できるのです。
週3回、1回1時間の散歩で、認知症の予防になることもわかっています」(大西さん)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/84/61458a5777bd1524d22e2d2dc880b827.jpg)
☆テレビよりもラジオがいい
ここで休みをどうやって過ごしたのか思い返してみよう。
仕事や家事から解き放たれた時ほど、過ごし方が重要だ。
「余暇が充実している人は、認知症になりにくい。
テレビやラジオなどの受動的な娯楽でも、
何もしていない人と比べると認知症リスクが25%下がるという結果が出ています」(室井さん)
どちらかといえば、テレビよりもラジオの方がよい。
「ラジオは、聴覚しか刺激しないと思われがちですが、“音だけ”というのが、かえって脳にいい。
聴いた音声から場面を想像しなければならないため、テレビ以上に脳を刺激するのです」(西崎さん)
☆SNSの利用も効果的
室井さんは、1週間に6時間以上の知的活動をしていると、
それが3時間以下の人に比べて、リスクが68%も下がるというデータを示す。
「ここでいう知的活動とは、読書やパズル、カードゲーム、イベントへの参加、旅行などが該当します。
読書は漫画でもいいし、SNSの利用も効果的だといえるでしょう」(室井さん)
米国の研究では、SNSを利用する60歳以上の高齢者は、
認知症リスクが25%下がったとの結果も出ている。
「生活習慣病を防ぎ、運動や社会参加などを積極的に行うこと。
そして、なんでも前向きにとらえ、よく笑うことが認知症の予防になります。
日々の診察で感じるのは、体が健康で若々しい人は、認知症になりにくいということ」(遠藤さん)
「認知症などになってたまるか」──そう意気込むところから始めてはどうだろう。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
今回、認知症の発症率を上げる生活習慣、多々教示させられたりした。
過ぎし4年前の70歳を過ぎた頃から、私は齢を重ねるたびに、
物忘れが多くなった、と改めて気付き、独り微苦笑する時もある・・。
たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
こうことにボケてはいけないと思いながら、人生は気合だ、と自身を叱咤激励をしたりしている。
昨年の12月、日本抗加齢医学会認定専門医の日比野 佐和子さんの寄稿文に導かれて、
『 体の老化防ぐ「一十百千万」の法則 』、遅ればせながら初めて学び、多々教示させられた。
この法則は
《・・「一」は一読。スマホなどの画面などではなく、紙の本や雑誌を一日一回は読む。
「十」は十笑。一日十回、大笑いする。
「百」は百吸。百回、深呼吸をする。
「千」は千字。文字を千字書く。
「万」は万歩。一万歩、歩くこと。・・・》
と私は学び、微苦笑したりした。
このような午前中の過ごし方を定例事項のように過ごしてきた・・。
例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、定年後の丸15年を過ごしてきた。
こうした散策することは、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
そして私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、 と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、
戸惑いながら甘受したりした。
そして午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
こうした中、日本人の平均寿命は、ここ30数年、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
過ぎし年の2015年(平成27年)には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。
そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
2013年(平成25年)の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。
こうした中で難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する御方が多いと学び、
私たち夫婦は、頼れる人もいないので、介護・要となった時は、 やむなく介護施設に思ったりしているが、
身体は衰えてもボケないで晩年期を過ごしたいと念願したりしている。