夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

都市部の老人ホームは4~5千万円が必要? おひとりさまの“終のすみか”選び、私は学び溜息を重ねて・・。

2016-09-15 16:11:32 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後38年の古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇しないで、今日に至っている。

しかしながら、いつの日にか、どちらかが介護を要する身となった時、
介護施設に入所するか、或いは自宅で看取るか、ときおり漠然としながら、話し合ったりしている。
            
或いは、いつの日にか、どちらかが亡くなり『おひとりさま』になった時、私はときおり思案したりしてきた。

私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。

しかしながら、この世の中は、まさかの予期せぬ出来事に遭遇することがあり、
いつの年に私を残して家内に先き立たれて、『おひとりさま』の生活になることも考えられる・・。
                        

私は家内と日頃から、子供がいない一代限りの為か、葬儀、お墓のことも何度も話し合ったりしている。
葬儀は兄妹などの親族関係だけの家族葬とした後、お墓は樹木園に埋葬し、
それぞれ好きな落葉樹の下で土に還る、
そして四十九日が過ぎたら、その時の心情でお墓参りをすればよい、とお互いに確認し合っている。
                       
私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、やがて四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、愛惜感もあり、苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。

やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を断腸の想いで処分し、都立の大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。

そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の交通機関の利便性のある場所を選定するだろう。

やがて『おひとりさま』の私が、晩秋期の最大の難関である要支援、そして要介護になった時、
やはり介護施設に頼るしかなく、ときおり小心者の私は、こうしたことも思案したりしてきた・・。
            

昨夜、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ていたら、
【 都市部の老人ホームは4~5千万円が必要? おひとりさまの“終のすみか”選び 】
と題された記事にめぐり合い、どのようなことですか・・と思いながら私は記事を精読した。

この記事は、『週刊朝日』に2015年10月9日号に掲載された記事のひとつであり、
【dot.(ドット)】に2015年10月5日配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・おひとりさまにとって、最も気がかりな“終のすみか”。
だが、一口に住み替えといっても、一人ひとりの抱える事情はさまざまだ。
そこで今回は、条件別に、どんな住み替え先が適当かを考えてみた。

「住み替えで最も大事な条件は、現時点で元気か、自立できているかという点でしょう。
介護保険認定の有無が、判断基準になります」
高齢者住宅に詳しい有料老人ホーム・介護情報館館長の中村寿美子さんは、こう話す。

中村さんによると、要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)やケアハウス、グループホームなどへの入居が前提となってくる。

一方、元気な高齢者の選択肢は多い。
有料老人ホーム、自立型のサ高住や自立生活が基本の一般型ケアハウス、シニア向けマンションのほか、
バリアフリー仕様の都道府県営住宅や市営住宅、UR都市機構の高齢者向け優良賃貸住宅やシルバーハウジングなどもある。

見守りや生活相談など、サ高住で義務付けられているような比較的簡易なものも含め、
サービスは一切不要、となれば一般のマンションももちろん“アリ”だ。
気の合う仲間で共同生活する「グループリビング」を計画してもいいだろう。
            

とはいえ、どんな住まい方でも、気になるのは、費用。

資産が1千万円に満たない場合は、賃料が低い賃貸住宅がまず視野に入る。
運営費の一部が公費で補助され、所得の低い人は比較的軽い負担で入居できる一般型ケアハウスや、
シルバーハウジングなどだ。

シルバーハウジングは、従来の公営住宅やUR都市機構の住宅を高齢者向けにバリアフリー化した賃貸住宅。
同機構の高齢者向け優良賃貸住宅も、収入に応じて家賃補助があるので、人気があるという。

ただし入居者が、地域住民に限られるケアハウスやシルバーハウジングもあるので、
自治体、UR都市機構の営業窓口で確認したほうがいいだろう。

他方、有料老人ホームやサ高住、シニア向けマンションは、
立地、施設やサービス内容により、幅はあるが、ある程度まとまった額が求められる。

高齢者住宅情報センター大阪センター長の米沢なな子さんは、
「人件費も地代も高い、東京や大阪などの大都市の有料老人ホームは、入居一時金が3千万円ほど必要。
更に月々の管理費もかかります。入居時に4千万~5千万円ぐらいの資産がなければ厳しいでしょう」と話す。

施設が充実したシニア向けマンションも同様だ。
サ高住は賃貸が基本だが、賃料の前払いが求められる場合もある。
都市部は賃料も15万~20万円程度みておくべきだろう。
            

こうした施設のハードルは高いが、解決策はある。
都市部を離れるのだ。

「地方なら有料老人ホームなどの高齢者住宅でも、1千万円ぐらいの物件があります」(米沢さん)
大都市でも、プールに温泉などの豪華設備を望まなければ、手が届きやすくなるのではないかという。

確かに、住み慣れた地域からの移住も視野に入れれば、身の丈に合う住まいは見つかる。
けれども、おひとりさまにとって、友人や、仕事などを通じて築き上げた関係は、
時に血縁のしがらみよりも、重みがある。

「移住は嫌」「生活を変えたくない」と望む高齢のおひとりさまが圧倒的だという。

だが、前出の中村さんは経験上、「立地や生活スタイルに、こだわりすぎないほうがいい」と助言する。

「大切なのは、住まいの質です。
施設だとストレスが少ないからか、自分で思った以上に長生きされるんです。
人生のかなりの時間を過ごすことを考えたら、食事や入居者の方や施設の雰囲気、
スタッフの対応などを、重視したほうがいいでしょう」・・》

注)原文にあえて改行を多くした。
            

私は漠然と、《・・東京や大阪などの大都市の有料老人ホームは、入居一時金が3千万円ほど必要。
更に月々の管理費もかかります。入居時に4千万~5千万円ぐらいの資産がなければ・・》
と読んだ時、裕福でない私は溜息を重ねたりした・・。

そして《・・地方なら有料老人ホームなどの高齢者住宅でも、1千万円ぐらいの物件・・》と教示されて、
私は安堵させられたりした。

そして未知の地域にある有料老人ホームでも、私はボケていない限り順応できるかしら、
と思ったりした。

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
                

こうした現状を思い重ねれば、その地その地は旅先の滞在日数の長い延長戦と思いながら、
新鮮な情景に心も身も託すだろう、とぼんやりと思い立ったりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

在宅医療の危険のひとつを学び、いつの日にか在宅医療も思案している私は、困惑させられて・・。

2016-09-14 14:53:33 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後38年の古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で、セカンドライフと称される年金生活を始めて、早や丸12年を迎えている。
 
こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇しないで、今日に至っている。

しかしながら、いつの日にか、どちらかが介護を要する身となった時、
介護施設に入所するか、或いは自宅で看取るか、ときおり漠然としながら、話し合ったりしている。
            
         
そして長寿社会の中、高齢者は急増して、昨今は病院は病床不足と聞いたりし、
いつ日にか私か家内が終末期を迎えた時、病院迷子になったら困苦する、と思ったりしている。

或いは病院で過剰な治療を受けて末期を過ごすより、
自宅で苦痛をやわらげる範囲の治療を受け、やがて穏やかに逝きたい、と思案したりしている。
            

このような心情を秘めている私は、
先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 受けてはいけない在宅医療 「救急車呼べ」と言われることも 】と見出しを見て、
どのようなことですか、と思いながらクリックして、精読した。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年9月16・23日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の『NEWS ポストセブン』で2016年9月13日に配信されていたが、
無断ながら転載させて頂く。

《・・内閣府の意識調査(2012年)によると、自宅で最期を迎えたい高齢者は54.6%にのぼる。
しかし、実際に自宅で臨終を迎えるのは、わずか12.8%だ(2014年)。

この現実と理想のギャップを埋めるために、政府は在宅医療を推進しているが、
「自宅で最期を迎えたい」との切なる願いは、簡単には叶わない。
            

☆在宅医療なのに「救急車を呼べ」

内閣府の意識調査(2012年)によると、自宅で最期を迎えたい高齢者は54.6%にのぼる。
しかし、実際に自宅で臨終を迎えるのは、わずか12.8%だ(2014年)。

この現実と理想のギャップを埋めるために政府は在宅医療を推進しているが、
「自宅で最期を迎えたい」との切なる願いは、簡単には叶わない。

神奈川県に住む大島豊さん(仮名・61歳)の父親(享年89歳)は長年、肺がんで入退院を繰り返していた。

昨夏、医師から「余命3か月」と告げられたのを機に、在宅医療に切り替えた。
しかし、病院から紹介された在宅医は、大島さん一家を困惑させてばかりだったという。

「自宅に戻って1か月後、喉をゴボゴボと鳴らし、呼吸が苦しそうな父を見かねて、
在宅医に電話したところ、
“痰が詰まっているだけ。心配ありません”との返事でした。

“診てないのに、分かるんですか? 往診してくれませんか?”と懇願したら、
渋々“明日の昼なら行けます”と言うんです。

緊急時は、すぐに駆けつけると聞いていたのに、話が違うと抗議すると、
“だったら救急車を呼んで、病院で診てもらったほうが早いですよ”と言い放ったのです。

父は搬送された病院で、重症の急性肺炎と診断され、すぐに入院。
救急処置で一命を取り留めましたが、何のための在宅医なのかと思いました」
            

在宅医療とは、主に高齢者が病院ではなく、自宅で医師や看護師の訪問による診療を受ける医療行為だ。
往診は月に2~4回ほどで、容態悪化時には、24時間態勢で診察し、看取りにも備える。

「自宅で死にたい」と願う患者にとっては、心強い制度だが、現場では混乱が生じるケースが少なくない。

在宅医療専門医で「しんじょう医院」院長の新城拓也氏が話す。

「病院の勤務医は、循環器や心臓、がんなど各専門分野が分かれているのに対し、
在宅医が診る病気は多岐にわたり、あらゆる症状に対応しなければなりません。
しかし、患者をトータルで診ることのできる在宅医は少ないのが現状です。

在宅医のニーズが高まる中、特に内科の経験が浅い医師が新規参入するケースもあり、
経験不足によるトラブルも増えているようです」・・》

注)原文にあえて改行を多くした。
            

私は過ぎし日に、昔はほとんどの人が『在宅死』でしたが、1976年に病院で亡くなる人が『在宅死』の数を上回り、
いまでは皆が『病院で死ぬのが当たり前』と思い込んでいる。

しかし、高齢者はほぼ例外なく『住み慣れた家で最期を迎えたい』と思っている。
そして『病院のほうが、快適だよ』と言う高齢者は、家族に迷惑をかけまいとしていることが多い、
と私は学んだりしてきた。

確かに狭い病院のベッドの上で、生命維持装置と栄養チューブにがんじがらめになって、
身動きもとれず、口もきけず死んでゆく・・こうした状況は残された家族として、後悔する人も多い、
と私は聞いたりしてきた。

こうした中で、「そうなるくらいなら、思い出のつまった自分の家で、家族に見送られて死にたい」
「無理な延命はいらない。できれば、苦痛の少ない老衰で、穏やかに逝きたい」と考える方が多くなっている。

また看取る側にも、その思いに応えてあげたいという人が多いに違いない。

しかし、漠然と「家で看取るほうが、病院や施設のお世話になるよりは、ずっと安上がりのはず」
「大きな病気をせず、老衰で亡くなれば、医療費も大してかからない」と甘く見ていると、
思わぬ出費に泣かされる、と私は学んだりしてきた。

何よりも看取る方の心労は、計り知れないと学んだりしてきた・・。
            

今回、在宅医療に於いて、担当して下さる在宅医師が未熟、
或いは勤務が過剰で、ともすれば投げやりとなり、
《・・救急車を呼んで、病院で診てもらったほうが早い・・》と私は聞きたくないことも学んだりした。

そして平素から、在宅医療をして下さる心の節度がある在宅医師の選定が肝要である、と思い、
果たして私の住む近所で・・と思いめぐらしたりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筆坂秀世さんの『都政の闇をえぐり出し始めた小池知事』、渾身的源の寄稿文と私は感じて、瞬時に賛意を深めて・・。

2016-09-13 16:00:32 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
結婚前後5年を除き、都民のひとりとして、この地に66年ばかり過ごしている。

私は政治にも疎(うと)く、過ぎし7月31日に都知事選には、
都政を浄化して下さる御方は、小池百合子さんだけだ、と期待して清き一票を投じたひとりである。

そして都政の多事多難が山積する中、無力な私は新聞、雑誌、ネットでニュースを読んだり、
テレビでニュースを視聴してきたりした。

こうした中で、2020年東京五輪・パラリンピックに関しては、
大会組織委員会の森喜朗会長、都議会のドンと称せられる内田茂・東京都議らは、
巨額な都の血税、そして国の血税をあたかも無限大のように策略し、喰いものにして、利権、名誉を勝ち取りながら、
強欲にも政治家として晩成期を飾ろうとする悪しき御方たち、と私は妄想を重ねたりしてきた。

昨今、豊洲新市場がの盛り土に関しての空洞問題、
樽(たる)が底が抜けたような根幹の事態に、ただ都の幹部の責務放棄に、私はあきれ果てて、
都の幹部も傲慢な言動に、怒りさえ私は感じたりしてきた。
            

先程、ときおり愛読しているネットの『JBpress(日本ビジネスプレス)』を見ている中、
【都政の闇をえぐり出し始めた小池知事】と見出しを見て、精読した。

この記事は元参議院議員、政治評論家の筆坂秀世さんの寄稿文であり、
私の心情を的確に表現され、洞察力も筆力も乏しい私は、渾身的源の寄稿文と思いながら、瞬時に賛意を深めたりした。

この寄稿文『JBpress』に9月13日に配信されて、無断ながら転載させて頂く。

《・・都政の闇をえぐり出し始めた小池知事

もう半世紀も前のことだが、東京都庁が“伏魔殿”と呼ばれたことがあった。
いまもその状況は変わっていないのだろうか。

オリンピック、パラリンピックの招致をめぐるゴタゴタや知事の豪華海外出張、豊洲新市場をめぐる迷走、
そこに「ドン」と呼ばれる都議までが登場する、この光景を見ているとそう思わざるを得ない。
            

☆石原元知事の暴言は小池改革が怖かったから? 

小池百合子知事が選挙に立候補した際、自公が推す増田寛也候補の応援に駆け付けた石原慎太郎元知事は、
「大年増の厚化粧がいるんだな、これが。これはね、困ったもんでね」
「そこに私の息子もいて苦労してるけど、都連の会合に1回も出てこずにね、
『都連はブラックボックスだ』なんて聞いたようなこと言っちゃいけないんだよ」

「とにかく岩手県で行政手腕を発揮した増田さんに任せないとね、
やっぱり厚化粧の女に任せるわけにはいかないね、これは」などと暴言を吐いた。

結果は、増田候補の応援どころか、妨害になっただけで、
石原氏のみじめな老害ぶりをさらけ出しただけであった。

そもそも「都議会のドン」なる人物の横暴を許してきたのは、石原氏であった。
偉そうなことを言うが、ドンには、指一本触れることもできなかったということだ。

桝添前知事の豪華海外出張が批判にさらされ、いま小池知事の下でこの究明がなされつつあるが、
舛添氏に勝るとも劣らない海外出張を行ってきたのが石原元知事である。

分かっているだけでも15回の海外出張に2億5000万円も使っていた。
その他にも、湯水のように交際費を使っていた。

都庁の役人も、舛添氏も、この石原氏の前例に倣っただけだったとも言える。

小池知事には、石原都政時代まで遡って、妥当な海外出張であったのか、妥当な交際費の使い方であったのか、調査してもらいたいものだ。


石原氏が作った新銀行東京も約1400億円もの都民の血税を注ぎ込んだが、大失敗に終わった。
そして豊洲新市場である。

豊洲への移転を決めたのは、石原都知事時代である。
これこそが、今日の迷走の出発点であった。
石原氏には小池氏を汚い低劣な言葉で批判する資格などない。
            

☆論外と言うしかない盛り土の嘘

それにしても東京都庁というのは、どうなっているのか。

なぜ豊洲新市場が生鮮食料品を扱っても大丈夫なのか、その大前提となっていたのが、
4.5メートルの盛り土であり、その上の分厚いコンクリート床であったはずだ。

しかし、その盛り土は行われておらず、床下は空洞になっていた。

2008年7月28日に提出された「豊洲新市場予定地における土壌汚染対策等に関する専門家会議の報告書」は、
「食の安心・安全という観点を考慮し、
揮発ガス成分(ベンゼン、シアン化合物)が隙間や亀裂から建物内に侵入することによる生鮮食料品への影響を防止する観点から、
さらに上乗せ的な安全策が行われること」が必要である、と指摘し、

「(1)旧土壌面から2メートルまでの土壌を掘削し、入れ換え。
(2)さらに上部に2.5メートルの盛り土」がなされ、「厚さ25~40センチのコンクリート床
または厚さ30~40センチのアスファルトで覆われる計画である」としていた。

そのうえで、「盛り土がきちんとなされていれば、地下水から揮発したベンゼンおよびシアン化合物を含む地上空気が
人の健康や生鮮食料品に影響を及ぼす可能性は極めて低い」としていた。

要するに、「上乗せ的な安全策」が必要不可欠だと指摘していたのである。

この専門家会議の報告をまったく無視して「大丈夫だ」と言っても、
なんの説得力もないことは明白である。

仮に盛り土よりも空洞の方が設計として適していると言うのであれば、
なぜ建物の建築前に堂々と「盛り土は必要ない」と説明し、公にしなかったのか。

そのことを隠し、盛り土したかのように嘘までつくというのは、後ろめたさがあったからであろう。

それにしても悪質すぎる。
小池知事は、職員を「粛正」すると述べたが、当然のことである。
責任をあいまいにせず、関わった人間の厳しい処分を行うべきである。
            

☆なぜこんな危険な土地を都は、購入したのか

私がよく分からないのは、そもそもなぜ東京都が、こんな危険な土地を購入したのかということだ。
東京ガスの大規模なガス製造工場があった場所の土壌が、
汚染されていることは、専門家なら誰でも容易に分かるはずである。

この土地は、豊洲新市場を建設するため、東京ガスから都が559億円で購入している。
同時に、土壌汚染対策が必要なことから、その費用の一部78億円を東京ガスが負担するという契約であった。
だが土壌汚染対策費は、当初は670億円程度とされていたが、1300億円程度に膨らむと予想されている。

こんな危険な土地を559億円もの高額で売却できた東京ガスは、ウハウハであったろう。
しかも土壌汚染対策費は、わずか78億円で済んだのである。

東京都の誰が、こんな決断をしたのか。
当時の都知事なのか。

こんな用地に生鮮食料品を扱う市場を作ろうということ自体が、無謀な計画であった。
それにもかかわらず強引に豊洲移転を決めたのは、築地市場を閉鎖し、オリンピック用の道路を通すためである。
まさに本末転倒である。
            

☆小池氏の最大の武器は、情報公開

東京都民は、小池氏を知事に選んで本当に良かった。
これまではどの自治体と比べても情報公開が不十分だと言われてきたのが、東京都であった。

小池知事が“のり弁”と揶揄したように、恥ずかしげもなく大事な部分を隠した資料しか公表してこなかった。

不正や利権化を防ぐもっとも適切な措置は、情報の徹底公開である。

いくら巨大であるとは言っても、東京都は地方自治体である。
外交や防衛という任務は持っていない。

外交や安全保障には、機密も必要となる。
なんでもかんでも公開するというわけにはいかない。

だが東京都は違う。
機密しなければならないような情報は、ほとんどないはずである。

小池氏になって、この点が大きく変わろうとしている。
後ろ盾となる政党が存在しないなかで、小池氏の最大の武器は情報公開であり、
都民注視の中で物事を進めていくことであろう。


その際、各党都議などからの口利きについても、各部局できちんと記録に残し、
その情報公開も行う必要がある。

都議会議員であれ、国会議員であれ、口利きなどによって利権を獲得するなどということは、あってはならないことだ。

東京都では、かつて多くの都議会議員や都庁の幹部が、逮捕されたことがあった。
いまも都政の利権化が続いているようである。

石原、猪瀬、舛添の3代の知事時代には、こうした改革には、まったく手が付けられなかった。
猪瀬氏は、ここに手を付けようとしていたが、その矢先に辞任に追い込まれてしまった。

この点も、小池氏への期待は大きい。
            

☆小池氏の判断基準は「食の安全」

豊洲新市場への移転問題も、待機児童問題も、オリンピックの巨額費用や会場建設を巡るさまざまな疑惑も、
すべて前の知事が作った負の遺産である。

その意味では、小池氏が責任を負うべきものは何もない。
もちろん、だからと言って責任を持たなくともよいという意味ではない。

ただこの負の遺産を作り、関わってきた人間の責任は、厳しく追及しなければならない。

豊洲新市場には、すでに5000億円という巨費が投じられている。
それだけに、“進むも地獄 引くも地獄”という側面がある。

中止にしても、移転にゴーサインを出しても、批判の声は避けがたい情勢だ。

小池氏は、何よりも「食の安全」ということを基準に判断すると述べているが、
それがやはり要になると思う。

小池氏が「都民ファースト」を貫く限り、毀誉褒貶はあったとしても、都民の多数は支持するであろう。

週に3日ほどしか登庁しなかった石原氏と違い、
小池氏は就任以来、猛烈な働きぶりである。

それだけでも頭が下がる。
言わずもがなだが、頑張ってもらいたい。・・》

注)原文にあえて改行を多くした。
            

過ぎし9月2日に就任1か月を迎えた小池百合子東京都知事が、
6日、東京千代田区の日本記者クラブで会見した記事を私は新聞で精読した。

そして小池知事は、《・・「都政の大改革、ギアチェンジ出来るチャンスだ。
都の職員にも私を使え、と。
変えられなかった部分を、これはある種政権交代ですから、これを機会に方向転換しよう。(略)

そして「都民目線を持とう。大義を共感に変えていく。みんなと一緒にやりましょう、そんな流れを作っていく。」と述べ、
あくまで都民の為の政治を推進していく考えを強調した。

或いは「透明性の確保」と「情報公開」の為に、「都政改革本部」を9月1日に立ち上げ、
自律的な改革を進めていくと述べるとともに、オリンピック・パラリンピックの予算のチェックは、
ひとつずつ精査し中間報告を9月末の議会前に改革本部が行うことを明らかにした・・》

このような多事難題に挑(いど)まれている主旨を学び、やはり都政を浄化して下さる御方は、
小池都知事と改めて信愛を深めたりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年男のまもなく満72歳の私、『特定健診』を受診して早や12年、思い馳せれば微苦笑を重ねて・・。

2016-09-12 13:59:40 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、まもなく丸12年が過ぎ13年生に進級する。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は年男で9月下旬の誕生日を迎えると満72歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると67歳となり、世にいわれる高齢者無職夫婦世帯となっている。
          
過ぎし2か月前、調布市より年に一度の『特定健診』の通知書を頂き、
そして私は最寄りの内科病院に予約したりした。

本日の朝8時半過ぎ、『特定健診』の受診する為に、内科病院に向かった・・。
            

私の住む市では、年に一度の健康診断は、過ぎし平成19年度までは『お誕生日検診』と可愛らしい名称であったが、
この後は、何かしら基本健診に血圧測定、血液検査などが加味され、『特定検診』と改称された。

私は健康診断を受診する時、基本健診としては、
身長、体重、採血、心電、尿検査、血圧測定などが行われた後、最後に医師との総合所見の問診となっている。
そして希望者には胃がん、大腸がんの検診があり、私は毎年受診してきている。

こうした中で、大腸がんの検診は、事前に検便を指定された容器に前日、当日分として採り、
提出することとなっていたので、予定通り提出した。
                      

私は何よりも困苦する検診は、『胃がん検診』である。

バリウムの白い検査薬を飲むのは苦手で、私なりに苦痛のひとときを毎年味わっている。
その上、前夜の夜9時過ぎから水を含めて飲食は避けた上、
そして当日の喫煙、歯磨きはしないて下さい、と制約されていた時代もあったりした。

やがて5年前の頃から、仲良しとなった40代のなかばの男性の医師からは、
XXさん・・朝方でも少しだけ水を飲んでも大丈夫ですから、
とアドバイスを受けたりしてきたので、微苦笑したりしてきた。

こうしたことで苦手のバリウムによる胃の撮影が終ると、毎年ほっとし、
言い知れぬ解放感を体験したりしてきた。

しかし、10年前に、市で一番大きな総合病院で受診した時、
40代の男性技師のもとで、検査した時、やがて終ると何故かしら首をかしげた後、
私の方に近づいてきた・・。

『本当に申し訳ないのですが・・機械の故障で・・別棟の検査室で、もう1度撮影させて下さい・・』
と云われ、私は40代の男性技師に先導されて、別棟に歩いた後で、
再び苦手なバリウムを飲んだりした。
                       

そして確か9年前の時は、30歳前後の麗(うるわ)しき女性技師で、私としては瞬時に魅了された美しい顔立ちの方が、
『少し仰向けになって下さい・・位置を変えて・・横向きにうつ伏せ気味になって下さい・・』
と甘い声の指示を聴きながら、私は検査を受けたりした。

このような状況であったので 私はバリウムさえ飲まなければ、
年金生活の自由な身の私としては、瞬時に魅了された美しい顔立ちの御方と会話できるので、
何時間かかっても良いですょ、と余計なことを思ったりしたこともあった。


私は健康診断を受診する時の下着は、平素と同様に、下半身はパンズ型のトランクスであり、
上半身の方は殆ど袖なしのTシャツを着ている。

この袖なしのTシャツは、確か私が定年退職の3年前頃、ポップス系で若手に人気のあるTOKIOというグループがいるが、
この中のひとり背が高く好男性の長瀬智也さんが、以前ドラマの中で着ていたので、
私は魅了されて、家内に頼んで購入した貰い、これ以来愛用している。

そして年金生活に入った後は、もとより自在の服装が出来やすいことが多く、
この袖なしのTシャツを真冬以外は愛用し、この上に半袖か長袖のスポーツ・シャツを着たりして、
5月過ぎから秋まで買物、散策に出かけることが多くなっている。

そして私は、恥ずかしながら胸毛があり、苦手な加山雄三さんのようにあるが、
65歳の頃から何故かしら少し白髪が増してきたが、
せめて心の感性だけは、若い方と余り変わらないと思ったりして、このような容姿となっている。
            

確か8年前の総合病院でレントゲンの健診の時、30歳前後の稀(ま)れな美麗な女性技師の方で、
私は急いで長袖スポーツ・シャツ、そして袖なしのTシャツを脱いで、上半身は裸となった。

『XXさん・・下着は着ていても・・大丈夫ですから・・』
と苦笑されながら、私は忠告されたりした。
                              
この後、身長測定のの時、
『はい・・1メートル69.5ですね・・』
とアシスタントの女医さんから云われた。

『齢を重ねると・・少し縮〈ちじ〉むのですねぇ・・』
と私は明るく云った。

『ご年配の方は・・よくある傾向ですわ・・』
と云われた後、私は長い間、1メートル70センチの時代であったが、
0.5センチばかり縮〈ちじ〉んだことに、齢を実感させられ、苦笑したりした。

体重も70キロ代となり、家内と結婚した当時は、56キロの細身体が懐かしく、
『俺も・・71キロかょ・・』
と平素の身勝手な日常を振り返ったりしたりした。

そして、多少太っていても、心身元気であれば良いではないか、
と62歳の自分を慰めていたりした時もあったりした。
                       

過ぎし年の2013年〈平成25年〉の秋には、何故かしら『胃がん検診』の結果だけは、
『要精検(内視鏡)』に◎印が囲まれていた。

私は担当の医師から、『胃の下腹にあたる幽門部に粘膜面異常が見られますので、再検査をして下さい』
と写真の6枚を見ながら私に説明をして下さった。

『再検査と言いますと・・胃カメラを呑んで・・検査することですか?』
と私は医師に言った。

『代表的な検査としては、胃カメラで検査することが多いですね』
と明るい表情で医師は私に言った。

私はこれまでの胃がん、大腸がんの検診をしてきたが、すべて良好の『精検不要』となっていたので、
生まれて初めて胃カメラを呑んで、再検査かょ、と何かと小心者の私は怯(おび)えた。
                    
この後、この医師に調布市で胃腸科に関して評判の良い病院に紹介書を頂き、
そして紹介先の病院に訪れて、胃の再検査を予約の申し入れて、やがて受診した。

結果として、医師の問診があり、私は医師から検査で写した鮮明な写真を8枚ばかり、
パソコンの画面から解説を受けたりした。

『胃潰瘍・・わずかに見られます』
と医師から私は言われたが、家内に胃潰瘍と診断されたこともあったので、私は安堵した。

そして私は『胃ガンの初期状態は・・?』と私は医師に問い合わせた。
『現状では、そのような徴候はありませんょ』と医師は明るく私に言った。
                         

昨年の『大腸がん』の検診で再検査・要と診断された後、晩秋には私の白内障の手術であったりして、
今年の3月初旬には、内科胃腸専門医院で、大腸の内視鏡の受診した。

生れて初めて、恥ずかしながら肛門から内視鏡で盲腸まで約1メートルを挿入された結果、
内視鏡の検診をして下さった医院長より、大きなポリープはふたつ有り、摘出して傷口は出血防止の為、クリップで縫逢し、
小さなポリープは6ばかり有り、いずれワイヤーで摘出しました、と私に説明して下さった。

こうした中で、悪性腫瘍であれば、癌に進むこともあり、
よくみられるポリープと思われますので・・と医院長より私は言われて、御礼の言葉を重ねたりした。


このように毎年、私は健康診断を欠かさず受診してきたのは、何よりも自身の身体の弱点を知り、
弱点を指摘されれば、ある程度の治療、或いは自助努力で克服できればよい、
と至って常識的な思考の身なのである。

そして健康診断を受診せず放棄している人は、ご自身の命を粗末にしている御方、と思ったりしている。
                    

本日の午前中ひととき、『特定健診』を受診を終わったが、
数週間後には『胃がん検診』、そして『大腸がん検診』の結果が判明するが、
上記のように再検査・要を体験してきた私は、もう勘弁してねぇ、と心の中で秘かに祈ったりした。
            

余談であるが、今回の医院内でのそれぞれ検査を受診をしてきたが、
麗(うるわ)しき30歳前後の女性看護師の方が、それぞれ担当して下さり、
やさしいしぐさ、言葉で接してくれ、心まで清らかな人たち、と思い深めたりした。

そして私は幸運な男と思いながら、本日は確か『先勝』だったと思われるが、
私のは心は『大安』と感じ、名残り欲しく、やがて帰宅に向かった。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

齢ばかり重ねた読書好きな私は、ときには書評に瞬時に魅了されて、微笑みを重ねて・・。

2016-09-11 15:35:18 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅で、雑木の多い小庭に古惚けた戸建に住み、
近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。

この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

こうした中、私は長兄、次兄に続いて生まれた三男であり、
農家の跡取りは長兄であるが、この当時も幼児に病死することもあるが、
万一の場合は次兄がいたので万全となり、今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。

私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私なりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心で感じながら、
いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。
          
そして私が地元の小学校に入学したのは、1951年〈昭和26年〉の春である。
私は小学校の学業は、兄ふたりは優等生であったが、
なぜかしら私は通信簿『3』と『2』ばかりの劣等生であった。

こうした中、この頃に生家にある本と云えば、
農協の発刊する月刊誌の『家の光』ぐらい記憶にない。

やがて小学5年の時、近くに引っ越してきた都心に勤めるサラリーマンの宅に行った時に、
居間にある書棚に本が並んでいたを見た時は、私は少年心でも、眩暈(めまい)を感じたりした。
            

その後、私が都心にある高校に入学した1960年(昭和35年)の春、
遅ればせながら、突然に読書に目覚めて、活字から綴られた底しれぬ内容はもとより、
行間から感じられる深淵に、圧倒的に魅せられた。

やがて中央公論社から確か『日本の文学』と命名された80巻ぐらいの文学全集を読んだり、
その後に講談社から出版された『われらの文学』と名づけられた全22巻の文学全集を精読したりした。

こうした中で、純文学の月刊誌の『新潮』、『文學界』、『群像』を愛読していた。
或いは中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしていた。

          
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部の大手レーベルのひとつが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

そして最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
                                   

この間、サラリーマン生活を奮闘している中、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の各氏の
小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。

そして2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は、購読したりしている。
                
こうした年金生活の中でも、私は本は、原則として本屋で買い求めたりしている。
しかしながら昨今は、ときおりコンビニで雑誌の月刊誌、週刊誌を購入する時もあるが、
街の本屋の衰退に嘆いているので、せめてと思いながらも、
アマゾン、楽天などネット購入は天敵と思いながら、利用したことない稀(まれ)な人となっている。

この間、図書館を利用したのは、数万円以上する民芸品を掲載した高価な本、美術品の豪華本に限り、
お借りして読ませて頂いたりしてきた。
            

私はどのような分野の本、音楽のレコード、CD、DVDは、
ネット上で公開されている以外は、無料という世界は避けているひとりである。

こうした私の信条を的確に表現していたは、2011年(平成23年)の春、
内田樹(うちだ・たつる)さんの『街場のメディア論』(光文社新書)に於いては、表現されている。
          
《・・著作者は書き手から読み手への「贈り物」です。
だから、贈り物を受け取った側は、それがもたらした恩恵に対して、敬意と感謝を示す。
それが現代の出版ビジネスモデルでは「印税」というすかたちで表現される。

けれども、それはオリジネイターに対する敬意が、
たまたま貨幣のかたちを借りて示されたものだと僕は考えたい。

すばらしい作品を創り上げて、読者に快楽をもたらした功績に対しては、
読者は「ありがとう」と言いたい気持ちになる。
(略)
それはいくばくかの貨幣のかたちをとってオリジネイターに向けて返礼される。・・》
(引用元ページ・147、148ページ)

注)原文にあえて改行を多くした。
                       

私は本を買い求める時は、本屋に立ち寄って書棚を見ながら、読んでみたいなぁ、と瞬時に魅了された時に買い求めるが多い。
或いは新聞で出版社の発刊している広告を見て、本屋に行って、やがて購読したりしている。
ときには雑誌、新聞などで、書評を偶然に読んで買い求めることもある。


今朝、いつもように読売新聞を読んでいると、【文化】面として日曜日に於いては、
[本よみうり堂]と名づけられた最近発刊された八冊ぐらいの書評が恒例として掲載されている。

たまたま本日、読んだ中で、ノンフィクションライターの稲泉 連さんが、
中井計(なかむら・けい)さん著作の『勝ち過ぎた監督~駒大苫小牧 幻の三連覇~』(集英社 1700円)を書評されていた。

そして記事の見出しには《名将の栄光と挫折》とされていたが、
私は読みに連れて、心の琴線(きんせん)が、次第に奏(かな)でった・・。
無断であるが、転記させて頂く。
            

《・・ 〈人一倍、臆病で繊細な反面、驚くほど大胆で不遜・・〉

本書の主人公・香田誉士史の人物像を、著者はそのように表現する。
相反する性質を抱え込んだ一筋縄にはいかない人、ということだろう。

香田は2004年、駒大苫小牧高校の監督として、北海道初の甲子園制覇を成し遂げた名将だ。
翌年には57年ぶりとなる夏の2連覇。
さらに翌々年は伝説的な決勝再試合となった早稲田実業戦で、3連覇にぎりぎりまで近づいた。

ほんの数年前は無名だった駒大苫小牧を、彼はいかにして快挙へと導いたのか。
著者は20代のひとりの若者が、北海道に徒手で赴任し、選手たちや北国の風土と真っ向から対峙(たいじ)して、
チームを鍛え上げた過程をまずは描いていく。

だが、本書を「なぜ彼らは勝てたのか」式のサクセスストーリーとして読み始めた私は、
途中からの物語の暗転に意表を突かれ、頁ページをめくる手が、止まらなくなった。

そしていま、本を閉じて思うのは、この作品は頂点に立った指導者が、それ故に抱え込んだ光と影を、
清濁併せ呑のんで描いた剥むき出しの人間ドキュメントであったということだ。

「幻の3連覇」に至る過程で、同校では体罰問題や選手の飲酒問題が重なり、
対応に追われた香田は、次第に心を壊していく。
著者はその赤裸々な回想に寄り添うことで、勝利と引き換えに、彼が何を失ったかを浮かび上がらせる。

田中将大と斎藤佑樹が投げ合った2006年。
すでに勝利に対して疲れ切っていた香田が〈負けへの誘惑〉に駆られるも、
一方で勝つための采配を本能のように振るおうとするシーンなどは、
心を揺さぶられずには、いられなかった。

書いた著者もすごいが、自らをさらけ出して、これを書かせた香田もすごい、と思ったからである。

名誉と不名誉、栄光と挫折。
それらは常に、表裏一体のものとしてあることを、ひとりの男の生き様を通して教えられた一冊だ。・・》

注)原文にあえて改行を多くした。
            

こうした書評に私は圧倒的に瞬時に魅了されて、買い求めて読みたい一冊となった。
たかが書評されど書評である。

私は読書に関しては、若き青年時代までは小説、随筆が圧倒的に多かったが、
齢を重ねるたびに随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
昨今は小説を殆ど興味がなくなっていることに、苦笑することもある。

そして何かと読書好きな私は、乱読して早や55年かしら、と微笑んだりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

握力をあげれば認知症にならない!効果的な握力UP運動6、高齢者の年男の私は学び、微苦笑して・・。

2016-09-10 16:30:21 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活し、
恥ずかしながら年男のまもなく下旬に誕生日を迎えると満72歳を迎える身である。、

私は2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、
早や年金生活12年生となっている。

そして雑木の多い小庭の中で、古惚けた築後38年の一軒屋に、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、何よりも認知症が怖くて、ひたすら歩いたりしてきた・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
            

先程、ネットでニュース記事を彷徨(さまよ)っている中、
【 握力をあげれば認知症にならない!効果的な握力UP運動6 】と見出しを見て、
どのようなことなの、と思いクリックしてしまった。

そして驚いたことには、女性週刊誌として名高い『女性自身』が9月7日に提供して下さった記事であり、
高齢者の年男の私は、少しためらった後、認知症に関する記事であり、
こっそりと私は、読んだりした・・。

無断であるが転載させて頂く。

《・・「13年にわたる追跡調査で“認知症になりやすい人”について分析した結果、
うつ傾向がある人、脳卒中・糖尿病・心臓病の持病がある人など、8つの危険要因が判明したそうです。
そのうちの1つが、“握力が弱い人”でした」(医療ジャーナリスト)

今年7月、国立長寿医療研究センターが発表した、認知症の発症リスクに関するデータが話題を呼んでいる。
握力が男性で26キロ未満、女性で18キロ未満の人は、
そうでない人に比べると、認知症のリスクが、なんと2.1倍も高かったというのだ。
            

「高齢者の体力を評価するうえで、重要な要素は3つあります。
(1)握力、(2)歩行機能(歩く速さ)、(3)平衡性です。

この3つを測れば、その人の体力水準がわかるのですが、
私たちが特に重要視しているのが、握力と歩く速さです。

これまでも、いくつかの研究データで、握力が弱い人ほど認知症になりやすく、
また寿命も短いという結果が出ています」(東京都健康長寿医療センター研究所・谷口優研究員)
 

厚生労働省によれば、認知症の高齢者は、昨年の時点で全国に約520万人。
さらに9年後の2025年には、700万人に達するとみられている。

もうすぐ高齢者の5人に1人が認知症という「“超”認知症社会」が訪れるわけだが、
“握力UP”は、有効な予防策になると言う。

そこで、専門家たちが提唱する6つのトレーニングを紹介!
            

■ペットボトル回転運動

1.両手にペットボトルを1本ずつ持ち、両手を前に伸ばす。

2.腕はそのままに、ペットボトルを内側へ、ゆっくり手首を回転させる。


■雑巾しぼり運動

1.乾いた雑巾やタオルを両手とも順手で持ち、両腕を前に伸ばす。

2.腕の位置を変えずに、雑巾をしぼるように、片手を手前に、

3.片方の手を逆に回す。

反対側へ同様にしぼる。

左手を順手・右手を逆手、さらに左手を逆手・右手を順手にして、同様に運動を。


■タオルにぎにぎ運動

1.タオルの両端を持ち、両腕を前に伸ばす。

2.呼吸を止めずに、“握るからゆるめる”運動を繰り返す。

「ペットボトル回転運動は500mlのボトルを使用します。
でも重く感じるようでしたら、水の量を減らしたり、もっと小さなペットボトルを使用したりしてもいいでしょう。

また、雑巾しぼりがキツイ人には、『タオルにぎにぎ運動』をおススメします。
こちらはタオルを強く握ることを繰り返すだけなので、より手軽にできますよ。

運動の際には、呼吸を止めてはいけません。
目安は1日に各10回×3セットですが、ツラいようでしたら、あまり回数にはこだわらなくてもいいと思います」
(老化を防ぐ運動について詳しい、松本大学大学院・根本賢一教授)
            

■耳鼻つまみ運動

1.右手で鼻をつまむと同時に、左手で右耳をつまむ。

2.手を1回たたく。

3.左手で鼻をつまむと同時に、右手で左耳をつまむ。

※「イチ、ニ、サン」と声を出しながら運動する。
2で1回手をたたくことに慣れてきたら、2回、3回、4回、5回と手をたたく回数を増やしていく。
 

■グーチョキパー運動

1.右手をグーにして前に突き出す。左手は腰に。

2.左手をチョキにして前に突き出す。右手は腰に。

3.右手をパーにして前に突き出す。

4.左手をグーにして……というように繰り返していく。

※ウオーキングなど有酸素運動をしながらだと、さらに効果が。
            
 
■高く高く握りこぶし運動

1.手を握り、両腕をまっすぐ伸ばす。30センチほど右腕を上げる。

2.右腕を戻し、左腕を30センチほど上げる。

3.左腕を戻し、右腕を思いっきり真上にあげる。

4.右腕を戻し、左腕を30センチほど上げる。

5.左腕を戻し、右腕を30センチほど上げる。

6.右腕を戻して、左腕を真上に上げる。

※リズミカルに行う。余裕のある人は500mlのペットボトルを持つと、筋力トレーニングにもなる。
 

「筋トレをしながら脳を使えば、認知機能低下や認知症予防としては、より効果的です。

たとえば『耳鼻つまみ運動』を行うことによって、
前頭葉のほか、言葉の理解、記憶や物事の判断、感情などをつかさどる側頭葉の活動を高めることができるのです」
(脳科学者の諏訪東京理科大学・篠原菊紀教授)・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は読み終わった後、こうしたことを日々実践すれば、心身溌剌となり、
三が月すぎれば、一回り若い12歳ぐらい、お若くなる、と微笑んだりした。


私たち夫婦は幸運にも、これまで大病に遭遇せずに、年金生活を過ごしてきた。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
                       
                                                
このように平素の年金生活を過ごしているが、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
認知症の防止は肝要であり、学んだことを少しでも実践することが大切だ、
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日も異常なし、と年金生活12年生の私は、心の中で呟(つぶや)き、微笑んで・・。

2016-09-09 18:23:46 | ささやかな古稀からの思い
私は2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、
早や、年金生活12年生となっている。

そして雑木の多い小庭の中で、古惚けた築後38年の一軒屋に、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。
            

こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。
            
午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

このような平素の生活をしているが、ときおり家内に誘われて、駅前か都心のデパートに買物に行くか、
或いは我が家の小庭の手入れをする程度であり、
本日も異常なし、といったような平坦な生活を過ごしている。
            

本日は昨年の晩秋に於いて、私は最寄駅に近い眼科専門医院で白内障の手術を受けて、
近眼で裸眼0.03だったが、手元から遠くまで見える多焦点眼内レンズを挿入して頂ただいた結果、
視力は1.0となり、メガネが不要となったりし、ここ半年毎の定期検査で、朝の9時に受診したりした。

そしてアシスタントの麗(うるわ)しい30歳前後の女性医師より、視力検査などを受けたりしたが、
視力は1.0です、と私は教えられて、微笑んだりした。

やがて総合所見を手術して下さった医院長より、幾つか検査後、異常ありません、
と私は伝えられて、先生のお蔭で、ひたすら感謝しています、と私は微笑みながら御礼を言ったりした。

やがて駅ビルにある本屋に立ち寄り、
1970年(昭和45年)より定期購読している本日発売の総合月刊雑誌『文藝春秋』(10月号)、
そして『中央公論』』(10月号)は、関心ある特集記事であったので、買い求めたりした。

或いは何かと音楽業界の動向を学びたい習性から、
宇野維正・著作『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書、2016年1月・発刊)を
遅ればせながら購読しょう、と追加したりした。

この後、帰宅した後、いつもように買物メール老ボーイとなり、最寄のスーパーで買い求めて、
帰宅した後、まもなく家内と共に昼食をしたりした。

やがて『文藝春秋』(10月号)を読みはじめると、夢中になり、やがて夕方になり、
ブログの投稿文は・・と思いながら、本日は何を綴ろうかしら、と微笑んだりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やる気の出ない「秋バテ」を、未然に防ぐための対処法、老ボーイの私は学び、微苦笑を重ねて・・。

2016-09-08 14:36:49 | ささやかな古稀からの思い
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。

そして定年後から自主的に平素の買物担当となった私は、
家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

こうした後、独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりし、
今年の夏も、夏帽子を被り、半袖のスポーツシャツが多く、下半身はアウトドアの丈夫な長ズボン、
ウオーキング・シューズの容姿となっている。

そして紳士バックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された状景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

私は特にスポーツはしていないが、このように私は歩いたりしている程度であり、
体力の衰えを実感している私は、この程度で充分と微笑んだりしている。

しかしながら35度前後の猛暑の時は、最寄駅から利便性ある路線バスに乗車して、
車内の冷風に甘えて、甘享したりしてきた。

或いは自宅の近くにある遊歩道を少しばかり歩く程度となり、さぼったりしてきた。
もとより熱中症で倒れて、目覚めたら病院のベッドだったことは困苦するので、
回避してきた・・。

そして9月を迎えても、大気不安定な日々が続き、ときおり残暑は厳しく、
或いは平年以上に雨が激しく降ったりして、戸惑いながら過ごしてきた。
            

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系のネット【dot.(ドット)】を見ていたら、
【やる気の出ない「秋バテ」を、未然に防ぐための対処法とは?】と見出しを見て、
どのようなことなの、と思いながら好奇心に負けて、読んだりした。

この記事の原文は、 日本気象協会のネット【tenki.jp】で2016年9月7日に掲載された記事のひとつであり、
【dot.(ドット)】に2016年9月7日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・9月に入りましたが猛暑日が続き、変わりやすい空模様が続いています。
そのせいか、私たちの体は夏の暑さ&残暑によって疲労も蓄積気味。

秋が深まりゆくにつれ、食欲、スポーツ、読書に適した過ごしやすい季節がやってきますが、
「夏バテ」モードの人は、その前に体を本調子に戻しておきたいものですね。

とはいえ、涼しくなってきたのに食欲不振、頭痛、不眠、疲れが取れない・・などの症状に思い当たる節がある人は、
もしかしたら「秋バテ」かも。

「秋バテ」の対処法を知って、きちんと体をいたわってあげてくださいね。
            

☆「秋バテ」になる理由

一般的知名度が定着した「夏バテ」ですが、これは暑さからくる体の疲弊を意味します。
その最大の原因は、エアコンによる体の冷えや、冷たいものの摂り過ぎによって、
体内の水分バランスが崩れること・・とされています。

一方の「秋バテ」は、気温の変化や、季節の変わり目で、起こる自律神経の乱れが原因といわれています。
人間の体は自律神経が乱れると、さまざまな不調をきたす仕組みになっており、
それが食欲不振、頭痛、不眠、疲れが取れないといった症状を引き起こすことに。

☆「秋バテ」を引き起こす原因/気温差の変化
ここ数年は様々な要因によって気温が上昇傾向にあり、高齢者や幼児は、
室内の気温が徐々に上昇する変化を察知しにくいため、
室内にいても熱中症にかかる可能性が問題視されてきました。

テレビの天気予報コーナーでも「適切にエアコンを使用して熱中症対策を!」
と注意喚起する光景が当たり前になっていますね。

そして若い人の場合も、キンキンに冷えた部屋と暑い屋外を行き来することで、
急激な寒暖差に体が対応しきれず、体の温度調節を司る自律神経が乱れやすくなってしまっているといえます。

暑い外気と室内の冷気の寒暖差が生じる夏の間は、どうしても自律神経が乱れがちですが、
その延長線上に「秋バテ」があるのです。
            

☆「秋バテ」を引き起こす原因/冷たいものの摂り過ぎ

暑いからといって、必要以上に冷たいものを飲んだり食べたりすると、
体温が下がる、血行不良が起こりやすくなる、胃に負担がかかるなどの症状を引き起こします。

これらの症状は、本来の体の機能を低下させることになり、
消化不良や食べ物から取り入れた栄養を吸収できなくなる原因ともなります。

こうした日常の繰り返しによって、胃への負担が蓄積され、
暑さが落ち着いてきた「秋」に体調不調を引き起こす・・。
それが「秋バテ」ともいわれているのです。

☆「秋バテ」を引き起こす原因/気圧の変化

そして「秋バテ」の原因の3つ目は、台風、長雨(秋雨)、
日中と夜間の気温差、気圧の変化・・いった9月特有の気候によります。

めまぐるしい天候の変化によって、頭痛、めまい、だるさ、肩こりなどの体調不良を感じる人が多くなり、
そうした症状を総称したものが「秋バテ」なのです。
            

☆寒暖差に備えた、上手な「秋バテ」対処法とは?

屋内と屋外で寒暖差に加え、冷房で体が冷えきるダブルのダメージで自律神経が乱れると、
疲れやだるさを感じるようになります。

さらに、本格的な秋の到来によって1日の寒暖差が朝と晩で、10度以上差が出た場合に、
体を寒暖差から守ってあげないと、疲れやだるさの症状はますますまひどくなり、
免疫力低下を引き起こすことで発熱を伴う風邪をひきやすくなってしまいます。

では、寒暖差が激しい秋に、どんな対処法を取っておけばよいのでしょうか。

●対処法01/靴下や腹巻きなどを活用し、3つの首「首元、手首・足首」といった体の末端や、体芯を温める
●対処法02/なるべく湯船に浸かるようにして、汗をかくことで疲労を翌日に残さない
●対処法03/寒暖差を考慮して外出時に上着を一枚持参し、体を冷やさない
            

☆冷たいものが大好き!という人の「秋バテ」対処法とは?

まずは、必要以上に、冷たい飲み物の摂り過ぎないように注意すること、
それが「秋バテ」対策の第一歩となります。

冷たい飲み物やアイス、かき氷などを必要以上に摂取していると、
胃腸の血行が滞り、働きが鈍化してしまいます。

すると消化・栄養の吸収機能も低下し、結果として食欲不振・下痢・胃もたれなどの症状を引き起こすことに・・。

では、冷たいものが大好きな人の場合、どんな対処法を取ればよいのでしょうか。
●対処法01/日常の中で冷たいものを摂取しすぎている自分を、まず自覚する
●対処法02/飲み物は常温、食べ物は温かいものを摂取するように心がける
●対処法03/消化のよいものを食べるよう心がけ、胃の負担を少しでも減らす
●対処法04/ビタミン、ミネラルなどの栄養を含んだ食材を摂るようにする

「秋バテ」対策や対処法をご紹介してきましたが、夏の間に蓄積したダメージを放置していると、
そのまま「秋バテ」に突入してしまう可能性が高くなるため、
まずは「体を守る」「体を十分に休ませる」、そして「自然な回復を待つ」ことがポイントとなります。

季節の変わり目特有の天候の変化は、自律神経のバランスを崩し、心身にとっては大きなストレスになりますので、
仕事や家事でストレスを抱えている人は、特にこの時季に負担を倍増させないよう、
日々の生活を見直すことで、楽しい秋を健やかに迎えてくださいね。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中で、私は5月の終わる頃から初夏のような陽気になると、
暑さに苦手な私は、冷茶を飲むことが多い。

現役時代のサラリーマンの頃は、家内が煎茶を淹れた急須を冷蔵庫に入れてくれたのを、
私は帰宅するなり飲んだりしていた。

やがて定年退職後は年金生活をしていると、家に在ることが多くなり、
ポリ容器の1.5リットル前後に淹れている。

このポリ容器は、家内が探し求めた容器で、ポリ特有の匂いがなく、
私は水道水を入れた後、お好みの煎茶をふんだんに入れ、冷蔵庫に冷やして置くだけてある。
そして2時間程したら、茶碗に入れて頂く。

そして私はアイスコーヒーが好きで、インスタント・コーヒーにガムシロップとかミルクも入れず、
純粋なブラックのアイスコーヒーとしている。

平素、私は朝、目覚めた時、日中、そして夜のひととき頂いたりしているが、
こうした冷やした煎茶とアイスコーヒーのセットが、私の心身の波長の友となる。
                        

家内はインスタント・コーヒーのゴールド・ブレンドを好み、砂糖なしで、
粉ミルクのブライトを、季節を問わず、ホットで一年中愛飲している。

或いは煎茶のペットボトルが、2リットル6本入りがスーパーで特売になった時、
私は買い求めて、家内が暑い時節に飲んだり、我が家の避難用として、程ほど保管している。

私は散策の時、コンビニなどで煎茶のペットボトル買い求め、水分補給には注意している。

ときおり私は家内と駅の前に買物に行ったりすると、
コーヒーショップの『ドトール』などで、私はアイスコーヒーのLサイズを指定して、
おまけとしてガムシロップを入れて、飲んだりしている。

そして私は5日ごとに、夕食の時にウィスキーの濃い水割り、ときにはビールを飲んだりしている。
            

このような私の暑い季節の飲物であり、何かと単細胞の私は過ごしてきた。
食事に関しては、幾たびも綴ってきたので、今回は省略する。

睡眠に関しては、現役時代のサラリーマン時代にはストレスがあったりしたが、
年金生活は悩みも激少し、たとえ震度3ぐらいでも目覚めることなく、少なくとも6時半は連続熟睡している。

このように私は、何かと単細胞の為か、人生は気合だ、と思ったりしているので、
「夏バテ」、そして「秋バテ」も無縁となっている。

しかしながらたったひとつ、戸惑いながら虚(うつ)ろになることもある。
            

私たち両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
独り住まいの生活をされて、早や丸12年近くになっている・・。
       
家内の母は、独り住まいの生活をされた当初は、自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女である家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
11年ぐらいの恒例となっていた。

この間、私は我が家で『おひとりさま』の生活をしている。
                                      

やがて家内の母は、昨年の5月下旬より、膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。

この間、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

こうした状況となる中、家内は老々介護になってしまったわ、と私に苦笑しながら言ったりした。

そして私としては、我が家で『おひとりさま』の生活が増えたりしてきたので、
これも人生だよねぇ・・と私は微苦笑しているのが実情となっている。

こうした中で、私は家内と共通趣味の国内旅行が、何かと旅先、日程が定まらず、幾たびも断念し、
今年の秋は・・と苦笑したりして、私にとっては心身の波長が少し乱れて、戸惑ったりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

団塊世代が全員75歳以上になる2025年の「多死社会」の中、認知症パンデミックは勘弁してほしい、と私は祈願して・・。

2016-09-07 14:19:51 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活し、
恥ずかしながら年男のまもなく下旬に誕生日を迎えると満72歳を迎える身である。、

そして私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉9月に農家の三男坊として生を受けた。

こうした中で、長兄、次兄に続いて、私は三男として生まれ、
やがて妹はふたりが団塊世代と称される中で生まれで、
私は兄ふたり、妹はふたりの間で、何かとサンドイッチのように育てられた・・。

そして私の家内は、私より5歳ばかり齢下の団塊世代に属している。

或いは1970年〈昭和45年〉4月に民間会社に中途入社して、
まもなく職場で共にしたのが、新卒の団塊の世代の人も多く、やがて35年近く社内外で苦楽の激しい空気を共にした。

このような関係で、私の友人、知人には団塊の世代も多く、
私は時代が流れている中で、何かと団塊の世代の動向を注視しているひとりである・・。
            

過ぎし私が高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

もとより70代、80代の私より年上の御方でも、心身溌剌と過ごされている方達も、
近所にいる御方、知人に多くいることも、私は知って、少しでも学ぼうとしている。
            
こうした中、厚生労働省の2013年(平成25年)の統計が公表されて、
日本人の平均寿命と健康寿命の差は、男性で約9年、女性で約12年と報じられてきた。

もとより健康寿命と平均寿命までの悩ましい期間は、要支援やがて要介護で過ごされる御方が多く、
人生の晩年期、最大の難関だ、と私は溜息を重ねたりしてきた・・。
            

先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見たりしていると、
【 2025年に認知症パンデミック 700万人の高齢者が徘徊か 】と見出しを見て、
どのようなことですか、と思いながら精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年9月16・23日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の『NEWS ポストセブン』で2016年9月7日に配信されていたが、
無断ながら転載させて頂く。

《・・団塊世代が全員75歳以上になる2025年には、
病院、介護施設、医師、火葬場など、すべての供給が追いつかなくなる。

かつてない「多死社会」が到来、国は在宅介護などを進め、自宅で最後を迎えられるようにしようとしている。

専門施設で手厚くケアされることを理想と考える人もいるかもしれないが、
自宅で死ねれば、それだけでも御の字なのかもしれない。
            

国際医療福祉大学大学院教授で医師の武藤正樹氏はこう語る。
「我々医師が死亡診断書を書くとき、亡くなった場所を記入しなければなりません。
病院や介護施設、自宅以外で亡くなった場合は『その他』に分類されます。
マニュアルを見ますと、その他とは『山、川、路上』となっている。

徘徊中に事故に遭ったり、川に落ちたり、路上で転んだりといったケースです。
そうした『その他』で、亡くなる老人も増えていくとみられています」

2007年に認知症を患っている91歳の男性が、徘徊中にJRの線路に侵入し、列車に轢かれる死亡事故が起きた。
この事故では遺族の監督義務、賠償責任をめぐって、法廷闘争が繰り広げられたが、
そうした死が「その他」に分類されていく。

この「その他」の数が、年々増えていくと予想されているのだ。

交通事故や災害、自殺などで亡くなった場合や、自宅で医師の立ち会いがなく死亡し、
死因が特定できない場合などは「異状死」として警察に届け出なければならない。
            

「700万人といわれる団塊世代の多くは、関東、中部、関西の都市圏に住んでいます。
つまり2025年に起きる、介護士、看護師不足などの介護資源の枯渇は、大都市でより顕著に起きます。

ケアが行き届かないために、都市部での『異状死』が特に多くなると考えられます。
都会に住み続けたい人は、『異状死』を覚悟しなければならないのです」(前出・武藤氏)

そうした中で、家以外の死に場所となり得るのはどこか。
介護サービス情報などを掲載する『月刊 あいらいふ』編集長の佐藤恒伯氏はこういう。

「国は各種病床を減らそうとしていますが、手をつけていないのが精神科の病床です。
2014年のOECD(経済協力開発機構)の調査で、日本は、その他の加盟国の4倍近くの精神病床数でした。
約34万の病床があって、32万人が入院しています。

入院の必要性が低くても、行く場所がないから、とどまっている人も多い。
その中でも増えているのが、認知症が悪化して、自傷や他傷行為などが出てきたという人たちで、
精神病院の中の認知症病棟に入院し、長くとどまっている。

その他の病床・施設が減らされる中で、2025年には認知症が悪化し、
行き場は精神病院しかないというケースが増えてくる」

2015年1月、厚生労働省は2025年の認知症患者数が現在の1.5倍、700万人を超えるとの推計を発表した。

「700万人が行き場を失い、都市を徘徊する。
私はこれを認知症パンデミックといっています」(前出・武藤氏)・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

この記事を読み終わった後、私は動顛してしまった・・。

もとより現代でも、高齢者介護施設に入居できる御方は、難題と私は学んだりしてきた・・。

何かしら比較的少ない負担で長期利用が可能な「特別養護老人ホーム(特養)」は、
社会福祉法人や地方自治体などが運営する公的な介護施設で、多額の公的補助が投入されるため、施設も充実している。
ただ、そうした特養に入りたくても入れないのが「待機老人」となっている。

そして厚労省の最新の発表では、全国の特養への入所申込者は約52万人にのぼる(2014年3月発表)。
同省が約2万人と公表する待機児童の数より、はるかに多い数字だが、
NPO法人・社会保障経済研究所代表の石川和男氏は、待機老人の数はもっと多いはずだと報じられてきた。

「厚労省のいう52万人は、“申し込みをしたのに入居できなかった人”の数です。
問い合わせだけして諦めた人や、最初から入居は無理と諦めた人は、数字に含まれていない。
介護が必要となり、自治体に申請を出して、要介護認定を受けた65歳以上の人は約620万人いますが、
そのうち在宅サービスも施設サービスも受けられていない人が100万人近くいる、学んだりしてきた。

或いは有料老人ホームへもあるが、ホームの終身利用権を得るために、契約時に数十万円から数千万円の「入居一時金」が要した上、
入居後は毎月、管理費、食費、光熱費などを含む「月額利用料」を支払うケースが圧倒的に多く、
一部の裕福な御方が、安楽な晩年期を過ごせるだろうと、裕福に無縁な私は溜息を重ねたりしてきた。

このように現在でも、介護施設に入居を希望している「待機老人」が多く、
やがて到来する団塊世代が全員75歳以上になる2025年には、介護迷子の難民が、
都市では急増するだろう、と憂いながら思いを馳せたりした・・。
            

私たち夫婦は幸運にも、これまで大病に遭遇せずに、年金生活を過ごしてきた。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。
                                                  

このように年金生活を過ごしているが、恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私は何よりも認知症が怖くてひたすら歩き、睡眠、そして程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、年金生活を過ごしている。

そして今回の記事で多々教示され、やがていつの日にか、
認知症パンデミックだけは勘弁してほしい、と私は祈願したりした。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都心の郊外の我が家、蝉(セミ)、鈴虫(スズムシ)、蟋蟀(コオロギ)が鳴く中、ときおり私は微苦笑して・・。

2016-09-06 17:21:38 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の身であり、
まもなく下旬の誕生日を迎えると、恥ずかしながら72歳となるが、
過ぎし65歳の高齢者入門が許された頃から、体力の衰えを実感し、老兵のように感じてきた。

こうした中で、我が家の小庭の手入れは、現役サラリーマン時代から私の責務であるが、
何よりも暑さに苦手な私は、夏の間は涼しい時に・・と何かと順延しサボり果ててきた・・。

我が家の敷地は変形の為、家屋を建てる当時から玄関庭と主庭に別れているが、
雑木が多い中、枝葉は伸び放題、草も茂って純白のタマスダレの花、淡紅色の秋海棠(シュウカイドエ)の花、
或いは紫式部(ムラサキシキブ)は数多く桃色の花を咲かせる中で、薄紫色に染めはじめた数多く実も、
雑草の中で何とか生育しているような状態となっている。

こうした状況の中で、一番喜ぶのは鈴虫(スズムシ)、蟋蟀(コオロギ)かしら、
と私は微苦笑を重ねたりしてきた・・。
            

ここ3週間ぐらい、小庭では朝に於いては鈴虫(スズムシ)が鳴いて、
蝉(セミ)も負けじと盛んに鳴いて二部合唱となっている。

そして日中の暑い中は、蝉(セミ)が独壇場のように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように喧(やかま)しく鳴き響いてきた・・。

こうした中で、鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、と私は解釈したりしてきた。

そして夕暮れの6時過ぎになると、蝉(セミ)は鳴き声が途絶える・・。
私は暑さの日中に蝉(セミ)は盛んに鳴いていたので、
きっと鳴き疲れてお休みの睡眠時間になったと思ったりしてきた。

鈴虫(スズムシ)は夜行型、蝉(セミ)は日中型、と少しボケた私でも理解は出来るが、
我が家の蟋蟀(コオロギ)は、何故かしら耳をすませないと聴きもらす・・。

夜のひととき、鈴虫(スズムシ)の盛大な合唱の中、
定年退職後に何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
蟋蟀(コオロギ)だけは、少し遠慮しながら鳴いているのである。

そして私は愛(いと)おしく、少し哀れな蟋蟀(コオロギ)であるが、
やがて初秋になれば、蝉(セミ)は消え果てるので、ライバルは鈴虫(スズムシ)となる。

しかしながら鈴虫(スズムシ)も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはおとなしくなるかしら、と私は秘かに願ったりしてきた。
                                
    
このように思いながら過ごしてきたが、 本日の朝は25度ばかりの朝涼となり、
微風が吹く中で、心も身もゆだねると心地よく、初秋の気配を感じ、
鈴虫(スズムシ)の合唱を聴きながら、と実感を深めたりした。
          
やがて午前の10時半過ぎに、いつものように家内から依頼された品を求めに、
陽射しは燦々と照らす中、最寄りのスーパーに2店を廻り、買物メール老ボーイの責務を果たしたが、
帰路も残暑は厳しく33度前後の熱さになり、私は戸惑ったりした。

やがて私は、帰宅後にエアコンの冷気に身を寄せて、
古来より、暑さ寒さは彼岸まで、伝えを思いだしたりし、苦笑したりした。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログの世界は、海よりも深く、空よりも広く、そして時空を越えて、と改めて私は教示させられて・・。

2016-09-05 14:13:43 | ささやかな古稀からの思い
私は今朝、パソコンで私のブログサイト【夢逢人かりそめ草紙】を見ると、
コメント欄に私の古い投稿文に関して、書き込まれていたので、まもなく開いたりした・・。

そして私が過ぎし2011年8月21日に投稿した文であり、
どうして5年前の頃の投稿文について、コメントを下さったのかしら、と思ったりした。

この時の私は【 『なくしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ』のコピー文、私は瞬時に絶賛し・・。】
と題して投稿文であり、あえて再掲載する。
            

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先程、本棚を見ていたら、単行本が並列に並べた上に、
気になった雑誌を6冊を載せていたので、この中の一冊をどうして保存していたのかしら、
と思いながら手に取ったりした。

中間小説の月刊誌の『小説新潮』で、2008年11月号であったが、
特集として『鉄道百景』であり、今は亡き紀行作家の宮脇俊三さんの単行本未収録短編2編が
掲載されていたので、私は保存していた、と私は解った。

そして何故かしら、栞(しおり)が本書の中に入っていたので、
このページを開いたのである。

この当時は鉄道紀行作家として溌剌としていた酒井順子さんが『こだま号の女』と題し、
東京から博多までをこだまを乗り継いでスロー旅の紀行文であった。

この中に、私が赤マジックで罫線を引いていた。

この綴りの中で、豊橋に停車した後、三河安城を過ぎると、
《 なくしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ 》
とセロテープを製造されているニチバンの工場に巨大な看板が観える、
と綴られていたのである。

この箇所を私は赤マジックで罫線を引いていた。

私は3年ぶりぐらいで罫線の文を再読したのであるが、
人生の苦楽をさりげなく込められたコピー文・・
巧(うま)いなぁ、と瞬時に感心し、まぎれなく名コピーと思ったりした。

そして、社内の企業コピーの応募コンクールに於いて、
この工場に勤めいる男性社員が、人生の苦楽が解かりはじめた方が発想されたのかしら、
その上で、感性のある会社の首脳部のひとりが、認定されたのかしら、
と高齢者2年生の私は微笑みながら、感じたのである。
            

このような短い投稿文であった。

そして今回、コメントを寄せて下さった御方は、無記入であったが、心やさしい心情で、
>なんとなく見つけましたので、なんとなくお知らせします。
>世の中にはコピーライターという職業がございまして。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B2%E7%95%91%E8%B2%B4%E5%BF%97
>仲畑貴志氏という「コピーライターの神」と称される人が書いたコピーです。

>世の中には様々な名コピーがあり、コピーライターも個性があります。
>いろいろと感じられるものがあるかもしれませんね。

こうしたコメントを私は頂き、やがて私は添付して下さったフリー百科事典として名高いウィキペディアを開き、
仲畑貴志(なかはた・たかし)さんの人生航路を学び、そして数多くのコピー作品を読みながら、
何かと無知な私でも、知っているコピー作品が多く、コメントを下さったご親切な未知の御方に感謝したりした。

やがて私は、礼状のような文面をコメントを下さった未知の御方に、
返信を認(したた)めたりした。

そして私は『 なくしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ 』は、
「コピーライターの神」と称される仲畑貴志さんの作品と、ご親切な未知の御方より教示されて、
恥ずかしながら初めて学んだりした。

もとより私の無学の為であるが、たまたま未知の御方が私の5年前の投稿文をお読み下さり、
その上、ご親切にも私にコメントを頂き、ブログの世界は、海よりも深く、空よりも広く、そして時空を越えて、
と改めて私は感じたりした・・。
            

私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職して、
定年後、多々の理由で年金生活を始め、まもなく偶然にブログの世界を知った・・。

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入し、この日から4247日が過ぎている。

この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
        
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸11年が過ぎて、早や12年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                           
              
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

或いは年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどが心の叫び、思いがあふれ、
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                                                 
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
       
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
                                    

こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは4年半近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
         
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。
                                                         
このように私は自身の投稿文も大切であるが、文愛人(ふみあいびと)のひとりの私は、
この間、数多くの御方で50代から80代を中核に、投稿文を読ませて頂いたりした。

そして例(たと)えば、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしてきた。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を教示されながら、年金生活を過ごしたりしている。

こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始め、
やがてその御方のブログの愛読者のひとりになってきた・・。
                                    

ときおり私は数多く方にコメントをしてきたが、数多くの御方からでも、コメントを頂いてきた・・。
先ほど、ぼんやりとブログを開設以来、コメントを頂いた人たち・・思い浮かべたりした。

そして私の世代に相応(ふさわ)しく、ブログ上で心の交流として、
やはりシニアの60歳代、70歳代が圧倒的に多いなぁ、と私は微笑んだりした・・。

こうした中で、確か小学5年生の女の子から、突然にコメントを頂いたりした。
確かブログを始めて半年が過ぎた頃、あるブログに準じた簡易ブログサイトに私が加入していた時、
札幌市にお住まい小学5年生の女の子から、コメントを頂き、私は驚いた・・。

何かしら東京に行きたい、と主旨であったが、
私は旅先の札幌の市内、郊外には、幾たびか訪れていたので、
東京より素敵な処が数多くあります、と具体的に名所、景観を記載して返信したりした。

そしてお互いに3通ばかり交流した最後に、
お父様によくお話しをして下さいね、と私は記載して、終結とした。
                       

或いは私は音楽が好きなので、数多くの投稿文をしている中、20歳代、30歳代の男女から、
幾たびかコメントを頂いたりして、教えられることも多々あったりした。

そして高校2年の女子生徒より、私の投稿文に対して、
アメリカの社会学者のアルビン・グールドナー・著作の『知識人の未来と新たな階層の台頭』に関心があり、
とコメントされてきた・・。

そして私は、高校2年生の貴女様が、この御本に関心があると知り、社会学に早熟で、驚いている次第です、
と称賛した文を返信したりした。

こうした中、何よりも恐縮したのは、私が65歳の時、84歳の男性から、健康のこと、
或いは人生教訓のことまで記載され、私は多々教示されたりした。
                         

この間、海外に住む御方からでも、コメントを頂き、ネットは世界をめぐることを実感させられたりした。

過ぎし7年前に、アメリカのミシガン湖畔の住宅街にお住まい日系3世、高校女子生徒と、
日本とアメリカの風習、季節感の差異をお互いに確か6通ぐらい交流した。

やがて広島の原爆投下の理由に関して、
多くのアメリカ軍の青年を犠牲するを避けるために原爆投下した、と学校で教えられた、
と断片するように記載され、私に同意を求めたので、私は異論を唱えて、はかなくも交流は途絶えた・・。


今年の4月中旬、ドイツにお住まいの女性と思われる御方から、
私が昨年の2015年4月11日に於いて、【『長崎の鐘』の歌、私が生まれて初めて感動させられた歌となり・・。】
と題した投稿文をお読み頂いたりした。

そして日本に訪れる時、『長崎の鐘』の歌を唄いたく、歌詞を教えて下さい、
という内容で、電子(E)メールのアドレスも記載されて、少したどたどしい日本文で、
真摯な心情でコメントを頂いたりした。

私は迅速に、歌詞を記載し、電子(E)メールで送信したり、コメント欄にも同一内容を返信したりした。

やがて丁重なコメントを私は頂き、恐縮しながら微笑んだりした。

或いは電子(E)メールも頂き、更に真摯な詳細事情を記載されて、
電子(E)メールのアドレスの削除を依頼されていたので、
やむなく最初のブログ上のコメントを私は削除したりした。
            
このように私は、ブログを真摯に、ときには楽しく投稿をしてきた中で、コメントを頂い御方は、
小学5年生の女の子から80代の男性まで、そして想定外の海外からも頂き、
ひたすら感謝しながら微笑んだりしている・・。
            

今回、改めてブログの世界は、海よりも深く、空よりも広く、そして時空を越えている、
と私は実感を深めたりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小池知事の報酬「半減」に伴い、都議も「半減」以下が妥当と、無力な都民の私でも確信を深めて・・。

2016-09-04 15:03:48 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
結婚前後5年を除き、都民のひとりとして、この地に66年ばかり過ごしている。

本日の昼過ぎ、産経新聞がネットで配信して下さる
【 小池知事「半減」で報酬逆転? 都民感情恐れる都議 「削減条例案否決の選択肢も」 】
と題された記事を読み、やがて都議も「半減」以下が妥当だよねぇ、と微苦笑しながら思ったりした。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・築地市場の豊洲移転延期や都政改革本部の立ち上げなど、
就任から矢継ぎ早に政策を打ち出している東京都の小池百合子知事(64歳)。

その小池氏が選挙期間中に公約に掲げた知事給与の削減をめぐり、
蜜月関係とはいえない都議会に、困惑が広がっている。
            

ボーナスなどを含めた全額を半減させれば、知事の年収は約1450万円となり、
都議1人当たりの年収約1700万円より、少なくなる。

来年に都議選も控え、たった1人の知事の給与を、
127人もいる都議が上回れば「都民感情が許さないのでは」という懸念があるからだ。

都によると、知事の給料月額は145万6千円。これに地域手当(20%)を上乗せし、
ボーナスにあたる年2回の期末手当を加えると、年収は2896万3480円になる。

小池氏は知事選の公約に「知事報酬の削減」などを掲げて、
都議会自民党が擁立した元総務相の増田寛也氏(64歳)と分裂選挙を戦い圧勝した。

8月2日の就任会見でも給与削減は「身を切る改革の象徴」と強調し、
「事務方に、どのような形で行うのがいいのか、制度面を含めて検討していただいている」と述べた。

削減額については、月額のみを半減させる(年収約2022万円)
▽各種手当も含めて総額を半減させる(同約1450万円)-など、
「いくつかのパターンがある」(都人事課)といい、それぞれを示した上で小池知事に決めてもらう方針という。
            

一方、議会局によると、都議の年収は、全国トップの1708万175円。
小池氏の選択によっては、都議の報酬が、知事の収入を上回る“逆転現象”が発生する。

また、都議にはこれに加え、本会議などに出席するだけで1日最低1万円をもらえる「費用弁償」や、
1人当たり月60万円の「政務活動費」が会派に支給されるなどの特権は多い。

議員報酬額や費用弁償の削減などについては、超党派でつくる「都議会のあり方検討会」で協議し、
年度内に結論をまとめる予定だったが、参院選、知事選の影響もあり、議論が進んでいない。

ある与党都議は「知事より収入が上だとなれば、都議会に批判が、集まりかねない」と懸念を示し、
「議員は数が多く、コンセンサス(同意)が得られにくい。
場合によっては、知事の出した給与削減条例案の否決という、選択肢も出てくるのではないか」と述べた。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は小池知事の報酬「半減」に伴い、殆ど都議の諸兄諸姉は戸惑いながら、溜息を重ねると感じているが、
都議も報酬「半減」以下が妥当と思い、苦笑したりした。

私が都議の諸兄諸姉の報酬「半減」以下、と思っている根拠は、
過ぎし7月1日に於いて、大前研一さんの連載している寄稿文のひとつ
【 東京都議たちがいかに利権にまみれているか 】と題された記事を精読したからである。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年7月8日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の『NEWS ポストセブン』で2016年7月1日に配信されていたが、
無断ながら大半を転載させて頂く。

《・・辞任した舛添要一・前東京都知事の疑惑で、再びクローズアップされた政治とカネの問題。
国会議員や大きな自治体の首長にどうしても注目がいきがちだが、
実際には都道府県議会や市区町村議会の議員たちのほうが、後ろ暗いだろう、
と経営コンサルタントの大前研一氏は指摘している。(略)
            

(舛添氏よりも)むしろ“脛に傷を持つ”のは、都道府県議会や市区町村議会の議員たちだろう。

実際、私が1995年に東京都知事選挙に出馬した際は、
都議たちが、いかに利権にまみれているかという情報が、都庁職員からファクスで続々と届いた。

たとえば、東京都の施設に設置されている自動販売機は1台1台すべて、
都議ごとに利権が決まっていて、そのリストを送ってきた。

あるいは、都立現代美術館が新設された時は、そこに展示する絵画や彫刻などの作品ごとに、
それを納入する画商と口利きする都議のリストが送られてきた。
業者への“口利き利権”を、与野党を問わず都議たちが、あらゆる分野で分け合っている実態がそこにはあった。

また、野党議員の中には、住民反対運動を利権にしている者もいる。
つまり、自分の選挙区でビルやマンションなどの建築計画が立ち上がると
周辺住民の反対運動を組織し、住民の“代弁者”となって施主や建設会社と交渉する。

そして騒音対策費などの名目で補償金のようなものを獲得したら、それを住民と折半するという仕組みである。

これらを全部ひっくるめると、地方議員がいかに利権まみれかが、よくわかる。
多くの議員は、叩けば山ほど埃が出てくるはずだ。

この話は20年以上前のことだが、もし都議たちが今は違うと言うならば、
都議全員の“総当たり制バトルロイヤル”で、お互いの利権の有無を追及し合えばよい。
            

産経新聞(5月18日付)によると、都議の年収は1700万円超で、
議会に出席すれば1日1万~1万2000円の“日当”も支給される。

この報酬と月60万円の政務活動費などを合わせた127人の都議の“人件費”に、
それを支える議会局職員約150人分の給与などを加えると、都議会維持費用の総額は56億円に上るという。

なのに、今年3月の都議会では、舛添都知事が提出した全議案を原案通り可決した。
原案可決率100%という異常事態が、少なくとも3年以上続いている。

要するに、都議たちは、全く仕事をしていないのである。(略)

都議会の「原案可決率100%」でわかるように、
そもそも地方自治体は事実上、首長と役人が運営している。

海外では、地方議員は無給のボランティアで、
夕方、仕事が終わってから集まって議会を開いているところも多い。
            

一方、高給をもらいながら、それに見合うような仕事をしていない日本の地方議会は、
文字通り“無用の長物”であり、税金の無駄以外の何物でもない。

では、優秀な都の職員たちは、なぜ都議たちの横暴や利権漁りを知りながら、容認しているのか?
これが地方議会の本質ではないかと思われるが、都の職員は、自分たちの仕事や提案する予算、議案に、
いちゃもんをつけさせない抑止力を維持したいからである。

「原案可決率100%」で、その見返りが十二分にあったことが示されている。

しかし、彼ら公僕は、決してそれでよいとは思っていない。
だからこそ私が都知事選に出馬すると一斉に「この議員たちの悪行を一掃してくれ!」と、
驚くほど細かな「利権一覧」を送ってきたのである。

(略)その背景にあるおぞましいまでの地方自治体と議会の実態を
根本から作り直す契機にしてもらいたい。(略)・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は大前研一さんの寄稿文を読み終わった後、都議の報酬が余りにも高給なので驚き、
その上に利権にまみれていることに憂いたりした。

何よりも動顛させられたことは、《・・都の職員は、自分たちの仕事や提案する予算、議案に・・「原案可決率100%」・・》
であり、何よりも都議で審議を真摯にすることが都議の責務であり、あたかも審議もさえされていない、と憂いたりした。

この当時より少し前、私は新聞、雑誌、ネットでニュースを読んだり、テレビでニュースを視聴してきたが、
何かしら自民党の都知事の公認候補は、自民党本部ではなく、東京都連が決めると知り、
東京都連の会長は石原伸晃さんであるが、幹事長の内田茂さんが、実質の公認権を持っている、
と学んだりしてきた。

こうした中、東京都議会議員をはじめ、更に東京都選出の国会議員の公認権も、
幹事長である内田茂さんが、指示していると知ったりした。

東京都選出の国会議員は、選挙の時は都議会議員の多大な協力を得て、当選できることが圧倒的に多く、
こうした関係で、東京都連の幹事長の内田茂さんが、都政、そして国政の東京都選出の国会議員まで、
多大な権力を収集していると学んだりした。

そして内田茂さんは、幹事長のポストに2005年以来、10年以上もされながら勢力を拡大し、
都知事が交代したとしても、今でも継続している。

そして舛添都知事が辞任された時は、都議会は与党の自民党(56人)と公明党(23人)の議員が圧倒的が多く、
内田茂さんは、都政、そして国政の東京地区のゴットファザーだねぇ、と悪しき妄想を重ねたりしてきた・・。
            
こうして私は学んできたが、内田茂さんは、ご自身の意向を都の幹部に伝えたり、
或いは都議会の与党の圧倒的に多い自民党(56人)と公明党(23人)の代表とされる議員にも伝えた結果、
「原案可決率100%」となった、と私は妄想を重ねたりした。
            

こうした都議だったならば、私は園児でも出来るょ、と苦笑したりした。

今回、小池知事は「身を切る改革の象徴」として自身の報酬「半減」を提示したことに伴い、
何かと人まかせで審議も少ない都議は、もとより報酬は「半減」以下が妥当と、
無力な都民の私でも確信を深めたりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実は「字が汚い人」ほど頭が、いいってホント?、私に限って『嘘で~す』と心の中で呟き、苦笑して・・。

2016-09-03 17:02:22 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活し、
恥ずかしながら年男のまもなく満72歳を迎える身である。、

そして私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉9月に農家の三男坊として生を受けた。

私は長兄、次兄に続いて生まれた三男であり、
農家の跡取りは長兄であるが、この当時も幼児に病死することもあるが、
万一の場合は、次兄がいたので万全となり、今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。

私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私なりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心に勝手に感じながら、
いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。

やがて私は小学校に入学したが、兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿は『2』と『3』ばかりの劣等生で、
通信簿を学期末に頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、と担任の女の先生が溜息まじりに言われたりしていた。

そして『習字』の授業も劣等生で、字が汚く、この後の人生でも、冠婚葬祭などで受付けで、
自身の住所、氏名を記載することに、何よりも苦手となっている。
            

昨夜、ときおり愛読しているネットの『ダ・ヴィンチニュース』を見ている中、
【実は「字が汚い人」ほど頭がいいってホント?】と見出しを見て、
私は該当しないが、好奇心に負けて、こっそりと読んだりした・・。

この記事は、子育てガイドなど多彩に活躍している河崎環(かわさき・たまき)さんの寄稿文で、
『ダ・ヴィンチニュース』に8月29日配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・実は「字が汚い人」ほど頭がいいってホント?

☆美文字の秀才と、悪筆の天才

「字が綺麗なひとって、賢そうな印象がありますが、
林修先生によると『本当に頭がいい子ほど字が汚い』のだとか。どうなんでしょうか」と編集部からメールが飛んできたので、
私(幼少時は字が綺麗と、親からも先生からも褒められるよい子だったのに、
大人になった現在、取材ノートは自分でも読めないのが困る)の思うところをお答えします。

林先生が説く「東大合格者トップ層は字が汚く、2番手グループは字が綺麗」には、
私にも、なんとなく実感があります。
            

その昔、中学受験塾や美大受験予備校で、国語や英語、現代文や小論文を指導していたころ、
毎日のように生徒の小テストや作文を採点したり、授業中にノートを見回っていたりした私には、一つ発見がありました。

「勉強の出来る子には2種類いる。
粒ぞろいの綺麗な字を書く秀才と、本人にしか(本人にも)読めない謎の象形文字を書く天才の2種類が」。

さらにその後、彼らを見守るうちに分かったことがありました。

それは「字の綺麗な秀才タイプは、お手本をまねて紙上の空間のバランスを取りながら字を書くことができる。
つまり『規範意識が強く、周りの秩序を重んじる』性格傾向があり、
かつノートや答案を見る者(自分を含む)への強いプレゼン意識がある」、

そして、 「いわゆる悪筆で、もじょもじょと謎の線を書きつける天才タイプは、
溢れるアイデアに手や言葉が追いついていかない傾向がある。

そもそもノート自体が、のちに人が見るための記録ではなく、紙上で書きながらリアルタイムに思考するためのツール。
つまり勉強は他人のためでなく、あくまでも自分のため。
考えること自体が楽しいという脳の持ち主で、その延長上で勉強ができてしまう」。

そして、確かに字が綺麗なほうが、採点者(私)の印象はいいのだけれど、
本質的な勉強のできるできないに字の綺麗さは、全く関係ない、

さらに言うなら「こんな考え方もあったのか!」と
採点者が驚かされるような冴えた輝きを見せる生徒の字は、大抵ヘタクソというのも、発見でした。
            

☆日本の国語教育では「悪筆は恥」と刷り込まれる

私が小学生の頃(ええ昭和ですが何か)、親や他校の大人が見学にやってくるようなイベントが近づくと、
先生たちは生徒に習字や作文を書かせ、せっせと壁に掲示したものです。

日本の初等教育では、何かを書いたり描いたり作ったりするというのは、
どうしても「他者と並べられて品評される」ための行為なのですね。

ですから、何を書き描いているかという中身よりも、
見た目が綺麗で大人の目を引き感心させられるかどうかが、まず子どもたちの関心や動機になりがちだったように思います。
特に女子。

特に国語教育では、過去も現在も漢字の書き取りにおいて、
字のバランスや”トメ・ハネ・ハライ”の細部の徹底に膨大な時間と労力を割いています。

「書く」に「道」がついて書道なる伝統アートが存在するように、
「字は精神を表す≒美文字は美意識と教養の高さ≒悪筆は恥じるべきこと」という感覚が、
きわめて根深く刷り込まれているのが、日本の国語教育なわけです。

今もその潮流は健在で、日本では「字を綺麗にかけること」が、
学校での評価のわりと大きな部分を占めているような気が。
            

「字が綺麗で、机の周りもロッカーも綺麗で、給食も綺麗に食べられて、
挨拶がきちんとできる子は、先生のお気に入りの”いい子”」、いまだにそんな感じですよね。

それは自分のセールスポイントを他者に向けて可視化する能力、つまりプレゼン能力に長けている子どもです。

逆に、発想とエネルギーの塊のような、「字はぐちゃぐちゃで、身の回りは散らかしっぱなし、
給食中も考え事で、頭がいっぱいなので、食物を口に運ぶこと以外気にしない、

歩いている時も頭がいっぱいなので、周りが見えず挨拶なんておざなり」、
そんな子は自分の能力が、先生たちにわかりやすく可視化されていないので、
「勉強はできても、だらしないのが欠点」などと、場合によっては面倒な問題児扱いされてしまうことも。

中身でなくルックス、本質でなく外形が評価されるとは、実に形式主義的だなーとも思うのですが、
まぁ日本はそういうアプローチが好きな文化なので、
そうやって刷り込まれ、小綺麗にまとまるように教育される傾向があることは否定できません。

でも小綺麗にまとまるとは、つまり”小さくまとまる”、小粒だ……と言えなくもないですよね。
            

☆「字が綺麗?だから何?」だった米国

美文字の秀才が秀才にとどまるのは、ひょっとすると”教養”や”美意識”を追求する動機の中に、
「他人から見られること」「他者からの評価」が拭えないからかもしれないな、などと思うことがあります。

他者からの評価を乞うのではなく、自分で自分の達成度やゴールを決めるような天才タイプは、
他人にどう思われようが、比較されようが、自分で自分を褒めることも叱咤することもできる。

だから、そういう子が字を綺麗に書くとすれば、
それは人によく思われたいからではなくて、自分にとってそれが必要だからなのかもしれません。

大学生のとき、米国の大学のサマースクールで、エッセイライティング(小論文講座)の授業を受けていました。

私なりに衝撃を受けたのが、いかにも日本人らしくたおやかで控えめだけど英語能力はイマイチな他の女子学生が、
典型的な日本の英語教育で習得した美しいスクリプト(筆記体)でエッセイを提出したとき、
教授が「うわぁ、こんな繊細な筆跡は初めて見た!」と驚いてみせ、
しかし内容が不十分だったので、その場で再提出を通告したのです。

「綺麗だけど、内容にもっとエネルギーを使うべき」とばかりに。
            

ボストンの有名なアイビーリーグの大学でしたが、そこに通うアメリカ人たちの筆跡は、
どれも決して綺麗でないどころか、殴り書きに近いようなノートが散乱していました。

ただ、書くスピードが、とにかく速い。
頭に浮かんだ先から書きつけているのが、よく分かりました。

大きな河を隔てた向こう岸には、もう一つ世界的に有名な理数系の大学があり、
その学生たちの寮にも遊びに行きましたが、数学や物理を学ぶ彼らの部屋の中には、
誰も読めないような数式(らしきもの)が、のたくった紙が床じゅうに散らばっていました。

天才たちの住処には、美しく綴られた筆記体などなく、
あるのは「彼らの思考を深めるために使われた文や記号や数式たち」でした。

だからと言って、字が汚いほうが頭がいいなんてわけではないですよ!
「字の綺麗さ」にそれほど価値観をおかず、エネルギーも注がないということです。
            

日本では、美文字は「まともな大人のたしなみ」なのだとか。
でも、広く世界に視野を広げれば、それは素敵なスキルや美徳ではあるかもしれないけれど、
日本のように、できないからといって「恥ずかしい」とか「頭が悪い」なんて烙印を押すようなことではないので、
日本の初等教育で字の綺麗さに、やたらとつぎ込むエネルギーは、もう少し他のこと――

例えばもっと視野を広げること、知識を深めること、
クリエイティブであることやユニークであることや逸脱を許すこと――
に振り向けると、もう少し日本人全体が生きやすくなるかもしれませんね。

まぁそう言いながら、キーボードや音声入力ばかりで、
すっかり手書きをしなくなってしまった自分の筆跡が、年々酷くなるのを見ると、
毎年お正月あたりに「ペン字で美文字を身につけよう!」なんて折り込みチラシを熟読しちゃう私ですよ。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は学業に関しては、高校時代に一時に限り優等生グループに所属したが、大学も中退した拙(つたな)い身で、
《・・「字が汚い人」ほど、頭がいいってホント?・・》私に限って『嘘で~す』と心の中で呟き、苦笑してしまった・・。

成人してから、幾たびも冠婚葬祭などで受付けで、自身の住所、氏名を記載することに、何よりも苦手となっている。
こうした時、いずれは『習字』か『ベン字』を習おうか、と思ったりしたが、
実行には至らず、今日に至っている。

そして「字が汚い人」ほど、ワープロ、そしてパソコンのソフトの導入が早く、何かと頼っている、
と我ながら苦笑したりしてきた。

或いは慈父のように敬愛している御方の奥様より、年賀状とか礼状を私は受け取った時、
達筆で美しい字体、そして新古今集のような文体で知性があふれ、私は読ませて頂くたび、
40数年、赤面しながら、溜息を重ねたりした。

余談であるが、風の噂として、「字が汚い人」で、頭が良い御方は、
作家・石原慎太郎さん・・そして亡くなわれた作家・向田邦子さんなどと知り、
つたない無学な私は苦笑したりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小池都知事の前に立ちはだかる「ドンと利権」の深い闇、無力な都民の私は学び、やがて妄想を重ねて・・。

2016-09-02 16:21:02 | 時事【政治・経済】等
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
結婚前後5年を除き、都民のひとりとして、この地に66年ばかり過ごしている。

私は政治にも疎(うと)く、過ぎし7月31日に都知事選が実施される前、私は戸惑いながら、思案を重ねてきた・・。
            
私は新聞、雑誌、ネットでニュースを読んだり、テレビでニュースを視聴してきたが、
何かしら自民党の都知事の公認候補は、自民党本部ではなく、東京都連が決めると知り、
東京都連の会長は石原伸晃さんであるが、幹事長の内田茂さんが、実質の公認権を持っている、
と学んだりしてきた。
            

こうした中、東京都議会議員をはじめ、更に東京都選出の国会議員の公認権も、
幹事長である内田茂さんが、指示していると知ったりした。

東京都選出の国会議員は、選挙の時は都議会議員の多大な協力を得て、当選できることが圧倒的に多く、
こうした関係で、東京都連の幹事長の内田茂さんが、都政、そして国政の東京都選出の国会議員まで、
多大な権力を収集していると学んだりした。

そして内田茂さんは、幹事長のポストに2005年以来、10年以上もされながら勢力を拡大し、
都知事が交代したとしても、今でも継続していた。

過ぎし日、舛添都知事が辞任された時は、都議会は与党の自民党(56人)と公明党(23人)の議員が圧倒的が多く、
内田茂さんは、都政、そして国政の東京地区のゴッドファーザーだねぇ、と悪しき妄想を重ねたりしてきた・・。
            
つたない私が発想したは、マリオ・プーゾの小説に基づき、
フランシス・フォード・コッポラが監督した映画『ゴッドファーザー』(1972年)で、
名優マーロン・ブランドが扮したゴッドファーザーであり、アメリカの裏社会の実態を表現した作品である。

そして、都知事選に立候補の有力者として、自民党衆院議員の小池百合子元防衛相(63歳)、
自民、公明などが推薦する前岩手県知事の増田寛也元総務相(64歳)、
野党統一候補として擁立されたジャーナリストの鳥越俊太郎氏(76歳)とされていたが、
私は都政を浄化して下さる御方は、小池百合子さんだけだ、と期待して清き一票を投じた。
            

もとより都知事は聳え立つ都庁で、約13,574千人の都民をあずかる東京都の執行最高責任者として、
そして都の約16万5千人の職員の最高責任者として、都民の安全も責務とされる。

そして都民の有権者から、小池百合子さんが新都知事として選出され、
今後の東京都、そして首都の関係で日本のゆくえに影響するので、
有権者の責任も重いが、何より有権者から託(たく)された小池百合子都知事の言動は重責である。

私は小池百合子さんに清き一票を投じた責務として、無力ながら支援し、
小池百合子都知事の言動に注視している今日である。

過ぎし8月29日に、愛読しているネットの『ダイヤモンドオンライン』を見ていた中、
週刊ダイヤモンド編集部が記事にされた【 豊洲新市場、移転延期でも解決できない根本的欠陥 】を読み、
私は動顛させられた・・。

《・・巨費を投じて完成した豊洲市場の建物は、市場関係者のニーズを無視した設計により、
まともに機能しない恐れがあるからだ。
工事をやり直すわけにもいかず、延期だけでは解決しそうもない。 ・・》

《・・こうも拙劣な計画が具現化したのか。
それは都が、市場関係者のニーズをくまずに、豊洲移転を計画し、
細部の詰めは設計を請け負った日建設計に丸投げしたからだ。・・》

このようなことを私は学び、動顛したりした。
            

昨日の朝、ときおり愛読しているネットの『現代ビジネス』を見ていたら、
【 小池都知事の前に立ちはだかる「ドンと利権」の深い闇 はたしてメスはどこまで届くのか 】と見出しを見て、
私は真摯に精読した。

この記事は『現代ビジネス』の中で、『ニュースの深層』とし題された寄稿文特集があり、
特に経済事件など詳しいジャーナリストの伊藤博敏(いとう・ひろとし)さんが寄稿文され、
9月1日の朝7時過ぎに配信されていた。 無断ながら転載させて頂く。

《・・小池都知事の前に立ちはだかる「ドンと利権」の深い闇 はたしてメスはどこまで届くのか

☆「ドン」の権勢、いまだ衰えず

「都政刷新」を掲げる小池百合子都知事が、改革の象徴として選んだのは、築地だった。
8月31日の記者会見で、11月7日に予定していた築地市場(中央区)の豊洲市場(江東区)への移転延期を表明した。

小池都知事が重視するのは、築地移転や東京オリンピックなど巨額予算が計上されるビッグプロジェクトで、
当初予算が2倍、3倍と膨張することだった。

「お豆腐じゃあるまいし、1兆、2兆と予算が膨らむなんて……」
これは2兆円を超すといわれる東京オリンピック関連予算への不満だが、
築地移転にしても計画額から4割増の5884億円に達している。

資材高騰や人手不足など仕方がない面はあるものの、問題はそれが公にされていないこと。
誰がどのように意思決定し、どのような過程を経て予算増が決まったのか――。

それがまったく見えないとして、9月1日、都政の情報公開を進め、
東京オリンピックの招致過程まで含めた調査を行うための「都政改革本部」をスタートさせた。
            

1999年、都と市場の団体が作る「築地市場再整備推進協議会」が、
移転整備の結論を出して以降、築地はさまざまな勢力によって翻弄され、方向性もスケジュールも二転三転してきた。

最終的に制するのは、力が強い者であり、彼らが握っているのが利権である。

東京都利権の所在を示したのが、8月24日に開かれた「都議会のドン」こと内田茂都議(77歳)の
「政治活動40年を祝い励ます会」である。

菅義偉官房長官、二階俊博幹事長ら大物政治家、石原伸晃経済産業相、丸川珠代五輪相などの閣僚や国会議員、
市長に区長、都議、区議、市町村議、都庁幹部、各種業界団体幹部など約2000名が集まったパーティーは、
内田氏の権勢を示すと同時に、利権構造の奥深さも伝えた。
            

☆かつての「宿敵」も駆けつけた

利権は、一朝一夕に築けない。
人間関係の集積であり、票とカネと仕事のバーターである。

政治家と官僚と業界が、それぞれに水面下で手を握り、ある時はケンカしながら事業を推進、
その信用を築くには時間が必要で、内田氏はドンの座を揺るぎないものにするのに、40年の歳月を要した。

また、都議会の義理人情が支配する古めかしい風土を、
私は本コラム(東京都政、その「巨大利権」と知られざる歴代のドンたち)で伝えたが、
内田氏のパーティーでも、それが確認できた。

パーティー会場の正面に、かくしゃくとした姿を見せていたのは、92歳の藤井富雄氏。
都議会公明党のボスで、国会議員が束になっても敵わない実力者だった。

内田氏の前の「ドン」で、その姿を目にした内田氏が、
真っ先に駆け寄って、頭を下げ握手を求めたのが印象的だった。

さらに話題だったのが、宿敵だった浜渦武生元副知事が、姿を見せて祝ったこと。
小池氏とは家族ぐるみのつきあいで、都知事選では小池陣営に姿を見せたことから、
「内田との怨念対決」とハヤす向きもあったが、両者の“激突”は11年も前のこと。

浜渦氏を百条委員会にかけると、内田氏が脅して、副知事辞職に追い込んだ。

しかし、以降、関係を修復し利権を分け合う“大人の関係”が続いており、それを証明する出席だった。
            

☆築地移転問題の経緯

築地移転は、その浜渦氏から始まっている。

石原慎太郎氏に心酔、学生時代から、石原氏を担いできた浜渦氏は、1999年、石原氏が都知事になると
副知事として都庁に入って権勢を振るい、ビッグプロジェクトも手がけるようになった。

その最初が、築地移転である。
当初、移転候補地の豊洲は、芝浦工大の誘致など街づくりが計画されていたが、
2001年4月、浜渦氏が持ち主の東京ガスを説得する形で、移転用地約37ヘクタールを確保した。

東京ガスの都市ガス製造工場跡地で、ベンゼンなどの土壌汚染が指摘されていたものの、
改良工事を行えば、大丈夫という専門家の意見を得て計画を推進。

市場内反対派の存在、2009年に移転反対の旧民主党が、都議会で勝利、と曲折はあったものの、
石原都知事と内田氏が率いる都議会自民党が、仲卸業者の懐柔、民主党都議の一本釣りなどあの手この手を使って工作、
2011年度予算に経費を盛り込んで、豊洲移転にこぎ着けた。

そこには、ビッグプロジェクトを願う業界の思惑もあった。
築地移転は東京五輪とセットであり、2016年招致活動の際には、
移転跡地約23ヘクタールにプレスセンターと国際放送センターの2棟を中心としたメディアセンターを建設することになっていた。

2016年招致に失敗して、2020年招致に成功。
築地のメディアセンター構想はついえたものの、晴海の選手村と新国立競技場を結ぶ環状2号線は、
五輪のスムーズな運営には欠かせないとして、建設工事に拍車がかかり、
11月7日の築地移転は、市場内がルートの一部のため、2020年東京五輪から逆算したスケジュールだった。

それが、都民の目にふれる形で行われたとは、いい難い。
            

☆突破するのは容易ではないが…

「政」「官」「業」のトライアングルが、内田、浜渦の両者に代表される大物たちの調整によって機能、
予算案が作成され、スケジュールが決定、業界の不満を吸い上げる形で、不足があれば、上乗せされる。

内田氏のパーティーは、「築地」に代表される東京都事業に関与する者たちの集合体である。
それぞれが汗を流し、票とカネと仕事をバーター。
このインナーサークルに入らなければ“恵”は得られない。

豊洲市場の本体建設工事は、2014年2月13日、入札が行われて、
青果棟を鹿島JVが約259億円で、水産仲卸売場棟を清水・大林JVが約436億円で、
水産卸売場棟を大成JVが約339億円で落札した。

落札率は99%を超え、限りなく100%に近いから、談合が確実視される。
それは、スーパーゼネコン4社が、仲良く汗をかき、
調整役の内田氏や浜渦氏など石原氏周辺に、挨拶を欠かさなかった証明である。

小池都知事がメスを入れる改革は、こうした世界である。
            

右腕となる都政改革本部リーダーの上山信一慶応大学教授は、
国交省官僚、米コンサルタントのマッキンゼー共同経営者、米ジョージタウン大学教授などを歴任した再生のプロで、
橋下徹前大阪市長のブレーンとしても知られる。

その上山氏が公言しているのは、徹底した情報開示。
会議の様子などはオープンにし、情報や資料は可能な限りネットで公開。
「密室での調整や談合」を許さない。

因習や慣習に反することが多く、都議会や都の役人の反発は必至。
自分たちの権益が犯されるからで、そこを突破するのは容易ではないが、
小池都知事は、「築地から始める」と宣言したのである。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

こうした都政の閉ざされた「政」「官」「業」のトライアングルには、
都民の殆どは大手メディアには、公開されず進められて巨費となったあげく、
『ダイヤモンドオンライン』で【豊洲新市場、移転延期でも解決できない根本的欠陥】で学んできた私は、
憤懣やるかたない心情となった。

そして私は、無力ながら都民のひとりとして、一寸の虫にも五分の魂、という思いで、
やがて妄想を重ねた。

小池都知事が率いる都政改革本部の御方達の奮戦に基づいて、
当時、東京都連の内田茂幹事長、浜渦武生副知事がどのように動向で、新天地の豊洲市場など、
決められたか・・。

そして都の幹部が《・・市場関係者のニーズをくまずに、豊洲移転を計画し、
細部の詰めは設計を請け負った日建設計に丸投げし・・市場関係者のニーズを無視した設計により、
まともに機能しない恐れ・・》など根幹を究明し、我ら都民に判るように、成果を期待している。

もとより利権は処罰と裏一体であるので、たとえ政治家であっても、自らの政治生命、出処進退に係わり、
財務省による税務調査権などにより、実刑判決だょ、と私は厳罰を妄想したりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「脳」を健康に保つための7つの習慣〜行動編〜、私は学び、やがて何よりの朗報だと微笑み・・。

2016-09-02 12:58:12 | ささやかな古稀からの思い
前回の7つの習慣に於いて、食事編で3つ提示されてきたが、
今回は行動編として、残り4つの習慣が明記されている。

題して、【「脳」を健康に保つための7つの習慣〜行動編〜】となっている。

この記事は、Alice G. Waltonさんが寄稿された文で、
日本文に編集されたのは木内涼子さんであり、
『ForbesJAPAN』に2016年5月8日に配信され、無断ながら転載させて頂く。


《・・私たちの体の中にある臓器の中で、圧倒的な重要性を持つ「脳」。
その脳をいかに健康に保つかについて、私たちの間にはいくらかの誤解があるようだ。

では、私たちの脳を助ける科学的証拠が示されているものとは何だろうか? 
すでに明らかになっている7つの習慣のうち、行動にまつわる4つを紹介する。・・》
            

1. 運動をする

身体活動は明らかに、脳の健康や認知機能と関連している。
運動をする人は、脳容積が大きい。
思考能力も記憶能力も高く、認知症を発症する危険性も低くなるとみられている。

米神経科学雑誌「Neurology(ニューロロジ-)」に発表された研究結果によると、
積極的に運動をしている高齢者は、認知力テストの成績が良く、
脳年齢は実年齢よりおよそ10歳若いことが分かった。

この理由は完全には解明されていないが、運動によって血行が促進されることに関連しているとみられる。

このほか運動は、記憶や学習機能に関わる脳の器官、
海馬における神経細胞の新生を助けているとも考えられている。

海馬は加齢と共に萎縮し、それがうつやアルツハイマー病の発症ともかかわっていることが確認されている。


しかし、脳に悪影響を及ぼす運動もある。
アメリカンフットボールなどのように、衝撃を受けるスポーツは、脳損傷や認知症の原因となる。
たとえ小さな衝撃でも、繰り返し受ければ、脳へのダメージが蓄積される。
サッカーのヘディングも同じだ。

また、脳の健康のためには、若いうちに運動を習慣化することが良いとされており、
始める年齢が若ければ若いほど、効果が高いことも分かっている・・》
            

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。

そして定年後から自主的に平素の買物担当となった私は、
家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

こうした後、独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりし、
私の容姿は、この晩夏の時節は、夏帽子を被り、半袖のスポーツシャツが多く、下半身はアウトドアの丈夫な長ズボン、
ウオーキング・シューズとなっている。

そして紳士バックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された状景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

私は特にスポーツはしていないが、このように私は歩いたりしている程度であり、
体力の衰えを実感している私は、この程度で充分と微笑んだりしている。
            
         
《・・
2. 瞑想をする

瞑想と脳の関連性は、非常に興味深い。
数千年前から、心理学にみて効果があり、そして恐らく神経学的な観点からも、
有効だというということを示す事例的証拠が、数多く示されてきた。

しかし、科学的な証拠が得られるようになったのは、わずか5~10年前からのことだ。

大脳皮質の一部は、瞑想によって容積が増すことが分かっている。

一方、恐怖心や不安感に関わる偏桃体の機能が抑制される。

また、私たちが何となくさまざまなことに思いを巡らせているとき
(主に否定的なことを考えたり、悩んだりしているとき)に
活発に機能しているデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)の活動も抑えるという。

瞑想はまた、脳の異なる部分同士をつなぐ白質路に変化をもたらし、注意力と集中力を高めてくれるようだ。


3. 学習・精神活動を維持する

年齢を重ねても精神的に活発であるためには、学習が必要だ。
これは、健全な認知機能と関連している。

クロスワードや数独が、認知機能の維持に有効だと考えられているのは、このためだ。

脳の病気の発症と精神的な活発さとの明確な関連性は、まだ確認されていない。
だが、知的経験の蓄積を通じて私たち守り、発現する症状の数を減少させているとみられる。

アルツハイマー病を専門とする米メイヨー・クリニックの神経科医、デイビッド・ノップマンは、
「認知活動がアミロイドベータの生成を抑えたり、神経原線維濃縮体の形成や進行を抑えたりする訳ではない」
「だが、高い認知活動は脳に対し、脳の病気の影響に対するより高い抵抗力を与えてくれる」と話している。・・》
            

私は、恥ずかしながら血液型はB型の為か、何かと単細胞で、熱中すれば周囲が見えなくなるタイプである。
年金生活の今、ときおり過ぎし日々のことに愛惜し、思い馳せたりすることもあり、
これまで歩んできた人生の中で、ときには熱病のように無我夢中となったりする時があった。
              
大半は一時的な3ケ月前後で終わることが圧倒的に多いが、
少なくとも1年以上続き、やがて平熱になった時に振り返った時になど、
我ながら、そんな時代もあったねぇ、と微苦笑したりしてきた。
                              
     
たとえば音楽の場合は、1971年(昭和46年)に偶然にシャンソンの作詞、作曲もされるバルバラの歌を聴き、
瞬時に魅了され、これをきっかけにシャンソンの世界に熱中した・・。

そして銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、少なくとも週2回ぐらい通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。

こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を居間で、レコードが擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。
            

やがて1989年〈昭和64年〉に、遅ればせながらシンガー・ソング・ライターの中島みゆきさんを偶然に聴いた。
『エレーン』の歌であり、この当時の私は音楽業界のあるレコード会社の情報畑で奮闘していた時代であった。

この当時、消費税実施が4月から初めて実施されるのでシステム改定、
そして昭和天皇がご逝去となり、『昭和』から『平成』の年号改定に苦闘していた時で、
心身ボロボロのような時に聴いたのである。

その後、私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院して、もとより業務から離脱し、社会から取り残されたように心情の時、
『永久欠番』で救われたり、
齢を重ねた今は、『ヘッドライト・テールライト』が支えとなっている。

この間、カセット、CDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、特にこの3曲から救われ、今でも私の秘かな女神となっている。


そして1997年(平成9年)の頃に、ハードロック・グループの『X JAPAN』をテレビで観て、
この当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。

年金生活を丸12年を過ごしてきた中では、明治時代から近現代史を通して、社会状況の変貌に興味を深めている。
こうした中で、昨今の社会動向に思い重ねたりして思案し、ときには妄想したりしている。

これくらいしか、頭の体操をしていなく、苦笑することが多くなっている。
            

《・・
4. 睡眠を取る

あなたが眠っている間に、脳は実に多くの働きをしている。
脳が眠ることはないのだ。
常に記憶を整理し、不要なものを削除する。

短期間でも睡眠が取れない状況が続けば、認知機能には大きな問題が生じる。

認知機能が低下すれば、注意力、学習能力、創造的思考が失われる。

睡眠不足が続き、それが長期化すればするほど、影響が解消されるまでにかかる期間も長くなる。
私たちが脳の健康を維持するためには、1日当たり7時間の睡眠を目指すと良いとされている。・・》
            

ここ半年は布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時頃が多くなっている。

こうした中で、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡していて、
やがて朝食の時に家内から教えられ、微苦笑することが多くなっている。
            

《・・
ここに紹介した行動のうち、できる限り多くを実行することが、
あなたの脳の健康を増進させてくれるだろう。

すべてを毎日行うことできなくても、できるときにできることをすれば、それだけでも効果はあるはずだ。・・》
            

私は【「脳」を健康に保つための7つの習慣】として、前回は『食事編』で三つの習慣、
そして今回は『行動編』で四つの習慣を学び、多々教示された。

私は年男のまもなく満72歳の身であるが、自助努力も肝要であるが、
もとより人それぞれ比較懸案ができないセカンドライフだよねぇ、と微苦笑を重ねたりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする