「アイスクリーム作り」に成功した本官は、気分良く本日からの仕事初めに臨んだのであります。さて突然ではありますが、アイスクリームを作るという作業を通じて、人間を観察しますと大まかに以下の四つのタイプに分かれるのではないでしょうか?
1.実験成功(楽しい遊びだった。)に満足(平凡)
2.塩(NaCl)によって、何度まで雪の温度は下がるのだろうか?(科学的な疑問・基礎科学)
3.自家製アイスクリームのザラめきを無くすには…(食味の改善・応用科学)
4.終始無関心(心配の種)
四つのタイプの人間に優劣を付ける必要は無いのですが、親とすれば2か3の子どもであって欲しいと思うものであります。4の場合、この子は別の事象に興味があるのだと余裕を持って対応出来れば良い事なのですが、「2か3の子どもであるべき」という親の答えが先に用意されていると、その子どもにとっては不幸なことであります。
一方、教える先生の立場を考えてみますと、『モル凝固点降下』という現象を体験してもらえれば、それで教育目的は達成される訳ですから、下手に2や3の疑問で授業をかき回されては堪らない。4の場合、導入部分で子どもの心の『つかみ』に失敗したという反省からスキルを磨くことになるのでしょうか…。
本来の「ゆとり教育」とは、体験に基づく感動や疑問について、考える(追求する)時間を与えることだと思うのですが、夢屋少年が教室に30人も居たら担任の先生はおそらく登校拒否になることでしょう
年末から早稲田大学客員教授 ルディー和子氏の『売り方は類人猿が知っている』という本を読んでいるのですが(まだ、数ページです。)「商品開発はどうあるべきか」とか「農産物をどうやって売るか(差別化するか)」などと考えている内に、昭和40年代前半までは、10円玉で買い物が出来たよなぁなどと、在らぬ方向に思いが向いております。
確か、あんぱんとコッペパンが10円で、食パンが2枚で15円。バラ売りの飴玉が1個1円で、ミルク飴が2円だった。冷凍技術も未発達だったのでアイスクリームは店頭に存在せず、ビニール容器のスティック状に凍らせた氷菓が5円だった気がする…と夢屋少年の興味は、昔、近所のお店で10円玉で買えた物に移っており、『モル凝固点降下』などという実験は、すっかり意識から飛んでしまっているのであります。(いわゆる4のタイプの状態…)
今、10円玉で買えるものがあるのだろうか…明日、スーパーで検証してみよう。(続く)