10円玉の価値を検証する旅を始めて4日目。いつの間にか、子ども集団の分配の法則に話が飛んでしまいました
お菓子屋さんの店先に並んでいたお菓子の中で、ご存じ不二家の『パラソルチョコレート』は、昭和40年代前半15円だった記憶があります。友人に「夢屋は、昔の事を良く憶えているよなぁ…。」などと言われることがありますが、これは、私の脳内記憶領域が、お小遣い10円では、欲しい物が買えなかったという「悔しさ」の定着液で固定されているからにほかなりません^^;
必然的に1日だけ、お菓子を我慢して次の日に買うことなる訳ですが、子どもはこれで「我慢する」ということを覚えます。
お小遣いが使えない日はどうして過ごすのか…台所の水屋タンスの引き出しから出汁取り用の「煮干し」を引っ張り出して餓えをしのぐのであります。この煮干し、出汁の外に、当時飼っていたブチ猫「ぶっこ」の餌ともなったのでありますが、夢屋少年は、煮干しの頭が苦手でありまして、身だけを食べたものですから、哀れ「ぶっこ」は、頭だけを食わせられるという悲哀を味わったのでありました
『パラソルチョコレート』には、後日談がありまして、近所に住む友人兄弟と一本ずつ買っておやつとしましたが、兄弟もそれぞれ10円のお小遣いですから、一本しか買えない…。兄弟は、まず兄がひと口、ガブリとかじり、残りは弟に…取り分が少ない…ビエ~!!と相成った訳であります。それぞれ、余ったお金5円ずつを出し合い、一個1円のあめ玉を10個買って、分け合いましたとさ…。こんな人間関係って、今の時代ではお目にかかれないような気がします。こうして考えてみますと、物の価値としての値段設定だったのか、当時のお小遣いの価格を反映した物と値段設定だったのか…私の研究テーマはさらに広がるのであります。
「10円玉の旅」というテーマとは、一切関係ありませんが、SNS「ひと言」欄で、ご贔屓になっている方々に証明画像を一枚…
福島県霊前町「パーシモンカントリークラブ」で達成したスコア「83」…私はホラは吹きますが、ウソはつきません
信じる者は救われます…どうじゃ!仙親分
お菓子屋さんの店先に並んでいたお菓子の中で、ご存じ不二家の『パラソルチョコレート』は、昭和40年代前半15円だった記憶があります。友人に「夢屋は、昔の事を良く憶えているよなぁ…。」などと言われることがありますが、これは、私の脳内記憶領域が、お小遣い10円では、欲しい物が買えなかったという「悔しさ」の定着液で固定されているからにほかなりません^^;
必然的に1日だけ、お菓子を我慢して次の日に買うことなる訳ですが、子どもはこれで「我慢する」ということを覚えます。
お小遣いが使えない日はどうして過ごすのか…台所の水屋タンスの引き出しから出汁取り用の「煮干し」を引っ張り出して餓えをしのぐのであります。この煮干し、出汁の外に、当時飼っていたブチ猫「ぶっこ」の餌ともなったのでありますが、夢屋少年は、煮干しの頭が苦手でありまして、身だけを食べたものですから、哀れ「ぶっこ」は、頭だけを食わせられるという悲哀を味わったのでありました
『パラソルチョコレート』には、後日談がありまして、近所に住む友人兄弟と一本ずつ買っておやつとしましたが、兄弟もそれぞれ10円のお小遣いですから、一本しか買えない…。兄弟は、まず兄がひと口、ガブリとかじり、残りは弟に…取り分が少ない…ビエ~!!と相成った訳であります。それぞれ、余ったお金5円ずつを出し合い、一個1円のあめ玉を10個買って、分け合いましたとさ…。こんな人間関係って、今の時代ではお目にかかれないような気がします。こうして考えてみますと、物の価値としての値段設定だったのか、当時のお小遣いの価格を反映した物と値段設定だったのか…私の研究テーマはさらに広がるのであります。
「10円玉の旅」というテーマとは、一切関係ありませんが、SNS「ひと言」欄で、ご贔屓になっている方々に証明画像を一枚…
福島県霊前町「パーシモンカントリークラブ」で達成したスコア「83」…私はホラは吹きますが、ウソはつきません
信じる者は救われます…どうじゃ!仙親分