「 God is Love.」
神を冒涜するつもりはありません。私は、毎朝仏壇に手を合わせ出勤する、ごくありふれたリーマンと思い込んでおります。霊の存在を信じ、仏罰を畏れ信心している訳でもない。古老は既にこの世には存在せず、その声が私に届くものでもありません。ただ、欲も得もなく合掌の瞬間、得られる心の安寧…。
さて、霊の存在など信じている訳でもありませんが、私の祖母が認知症による徘徊を始めた時、夜中、奇妙な行動を始めました。茶の間の座卓4箇所に、煙草の吸殻をひとつまみ置いていく。始めは、ただの異常行動と考えておりましたが、何故か腑に落ちない。彼女が亡くした子どもは3人、生きている子どもは5人。我が子の有り様を心底、気にする言動をする人でありましたので、夜中に訪問する(夢の中で…)子どもたちに茶菓子を振舞っているに違いないと勝手に思い込んでおりました。しかし、4という数字に合点がいかないのであります。
幼くして不慮の事故で亡くした長女、病死の次女、そして次男・・・確か、過去帳に記していない嬰児が居たはずである…周囲の大人たちは勝手に思い巡らし、祖母(母親の愛)の子を想う心を美化していったのであります。
しかし、夜中の徘徊で、介護する家族は心身ともに疲れていきます。次第に、子どもたちの「霊」が彼女を惑わせているに違いないと思うようになり…「砂糖水を仏に供えなさい。」などと言われると「さもありなん」と実行するが、祖母の徘徊は止まらない。
祖母が最も気に掛けていた亡き長女への雛人形を供養しようなどと、叔父に留守番をお願いし、近所の水子地蔵に神(仏)頼み…。
「いや~不思議なことがあるもんだ。お前たちが出掛けた後、『どか~ん』と二階の屋根から雪が落ちて家が揺れたよ。しかし、考えてみるとお彼岸過ぎて、屋根に雪なんか無いし、あれは一体何の音だったんだろうねぇ…。いや、待て待て、〇〇の霊が供養されたのかなぁ~。」
普段からおどけた話をする叔父ではありますが、この時ばかりは真顔で語りました。
今、思えば、神にもすがる思いの家族に心の安らぎを与えるための虚言だったのか、真実だったのか知る由もありませんが、その日から祖母の徘徊が止まったのも事実…あなたは、この未知なる世界を信じますか?
カイワレ大根、成長中…されど、時間が掛かりすぎる^^;