その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

残り半分良いことばかり?

2021-11-05 09:33:13 | 転職

取調室内の「カツ丼」は自腹のはずです^^;

身内でも無いから通常は面会は出来ないのでしょうけれど、職責で面会を求めたら、取り調べ中の『Y君』に会えた…テレビの刑事ドラマに出て来る、あの透明の衝立は確かにあった。(笑えないエピソードだったけれど。)
「京王線刺傷事件」…「学生時代には使ったことのある路線だよなぁ。」なんて思い出す。もう40年以上も前の事件ではあるけれど「新宿西口バス放火事件(1980年8月)」の時は、中野駅前のスーパーで清掃作業のアルバイトをしていたっけ。あの時は、けたたましく救急車のサイレンの音がするとは感じていたけれど…。「昔、こんなに殺人事件ってあったかなぁ?」なんてポツリと漏らす。我が亡きお袋は「夫が妻を殺めることはあっても、親が子を殺めることはない。」と断言していたけれど、夫が妻を、妻が夫を、子が親を、親が子を殺めてしまう事件が、こんな田舎でも起こっている。そこには身勝手な理由にならない理由があるのだろうけれど、「衝動的」と言うよりは、本人にしてみれば「止むに止まれぬ理由」が存在するとき、心中察するに余りある事例も無くはない…決して殺人を肯定するつもりはないけれど。
しかしなぁ、「無差別殺傷事件」って何なんよ?米国の犯罪学者の分析によれば、6つの要因によって引き起こされる場合が多いんだそうですよ。「欲求不満」「他責的傾向」「社会的、心理的な孤立」etc.そこには「誰でもよかった。」とか「死刑になりたかった。」という理由は当てはまらない気がするんですけれどねぇ…。

これまた『もってのほか』の動機である!

昔、刑事ドラマで「俺のせいじゃねぇ!俺が悪いんじゃねぇ!」なんて台詞があったような気がする。「他責的傾向」なんて誰にでもあるもんじゃないかなぁ?親が悪い。先生、学校が悪い。会社、社会が悪いetc. 努力を積み重ねたところで、必ずしも思い通りに成るとは限らないから、不成就の原因を他に求めることなど日常茶飯事だもの^^;(だからと言って、殺人まで犯すことはない。)
かと言って、「死刑になりたかった。」という理由は…自分自身の生き死ににまで、他人の手を煩わせるのかい?この場合、「外的要因」(模倣犯)という要素が大きいような気もするけれど。結局のところ、自分より弱い者(無意識・無関係者)に対して刃が向けられることだけは共通しているような気もするけれど。(自分より、権力がある、または、力の強い者に向かっていくということがないよなぁ…。)
こんなことを考えていると心が重くなってしまう。そうそう、重要なことは「社会的、心理的な孤立」…介護疲れによる殺人、生活苦による一家心中(これまた殺人である。)etc.心が痛む殺人事件の多くは、別の次善の策があったのではなかろうかと思えること…「殺せば自分が楽になる。」「死ねば自分が楽になる。」…心が凝り固まってしまった状態では、「相談する」などということなど思いも及ばぬ「孤立」。生きることは決して楽しいことばかりではないけれど、少なくても人生の半分は良いこと、楽しいことがあって欲しいものである。「生きて来て何も良いことなど無かった。」と嘆く方々よ…「ならば、これからの人生は良いことばかりが残っている。」じゃ~お気楽過ぎるなぁ…(笑えないけど、笑っちゃおう!)

コメント
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