「山形青菜」も冬場の備蓄品ではあった^^;
青菜を塩漬けして水を出し、汁を絞って、各家庭の漬けダレで漬け直す。漬けかけの青菜は、辛みがあってご飯も進むのでありますよ。しかし、今年は「山形青菜」も栽培せず、漬け込みもしなかった…だってねぇ、誰も食べないんですもの^^; 冬場に不足する野菜を補う手段として、根付いた伝統的な「漬物文化」であり、『置き漬け』は水出ししてから煮て食べる。「高菜炒飯」にだって使えるはずですけれど、若い衆たちは、漬物を食べなくなっているような気がします。今では、少々お高くても、一年中、生鮮野菜が手に入るのですから、「サラダ文化」であって、漬物は塩分の摂り過ぎと敬遠されるのかも?不足する「繊維質」は、煮た野菜の方が摂れるんですけれどねぇ…食べない、棄てるの繰り返しならば、手間暇かけて漬け込んでいる必要も無い…こうして『おやじぃ』の意地(維持)は少しずつ崩壊していくのでありますよ^^;
昨夜は、集落神社の『お年越祭』の打ち合わせがありました…二年前までは、子どもたちやお年寄りたちに、搗き立ての餅を振舞っていたのでありますが、これまた「コロナ禍」を理由に中止しております。でもねぇ、こうして中止をしていると、再開するために腰を上げるのが億劫になってしまうんですなぁ。ただでさえ、非農家ばかりで「餅搗き」なんてしなくなっている…担い手が居なくなっている…こうした状況をすべて「コロナ禍」の影響にすり替えているような気もしますが…『おやじぃ』も面倒くさいことが嫌になっておりますから^^;
ウイスキーも「備蓄品」ですかねぇ^^;
「時代が変わった。」と片付ければ簡単であるのだけれど、正直なところ、集落行事の無い役員は楽である^^; 問題は、再開しようという場面になって、「何故やるのか?」という動機付けが維持できるかどうか…一度、楽を覚えてしまうと、どんどん楽な方向に流されてしまうのであります。ムラの鎮守様…「神」を祀った行事も、収穫を願い、収穫に感謝して行って来たのであろうけれど、非農家ばかりの集落では「神」も「紙(お札)」に変貌を遂げていたりしてねぇ。(神罰、仏罰などと口に出しても、疎かにはしない程度の関りだもの^^;)
さて、話題は大きく変わりまして、ガソリン価格の高騰は続いております。1970年代のオイルショックを機に、国家・民間ベースで法的規制で「石油備蓄」をしているはずなんですけれど、資源エネルギー庁の発表によれば、令和3年9月末、日本の備蓄量は、242日分ほどあるんだそうです。これが多いと見るか少ないと見るか…資源の無い日本にしてみれば、いくらあっても不安は拭えないというところでしょうか?(使う当てが無くても、将来不安から貯蓄をしておこうという心理と共通するかなぁ^^;)ならば、ポッコリお腹に溜めに貯めた「脂身」を、エネルギーに代えられないか…こちらは少々放出しても、健康には良いと思うのだけれど使えない^^; 無駄や使えない物が残り、必要なものが手に入らない。いやいや、そうでもないでしょう。『神のご加護』かどうかは知らないけれど、家族が何とか暮らしていける…この「幸福感」だけは、「備蓄」しても他所様に迷惑をかけるものでもないだろう。放出だけはしないようにしないとなぁ(笑)