「安山先生宅の大イチョウ」も色付いて…
今では空き家となって「しまいましたが、神職「安山先生」の大イチョウの葉が落ちると雪が降るという古老たちの言い伝えがある。画像は11月1日の状態だから、今では黄色い葉がさらに深みを増しておりますよ。
今週は天気に恵まれ、一日一本目標の雪囲い作業も順調に進んでおります。ボサボサの黒松にもハサミを入れ、『無勝手流』の剪定をしたら、少しは見るに堪える位の姿にはなったような気がする。(あくまでも個人の感想です^^;)庭の隅にある「ヒバ」には、藤蔓が絡みつき、葉が枯れている場所もある。梯子を掛けて届かないところは、枝に足を掛けてよじ登り、何とか蔓を切り取りましたけれど…「年甲斐もなく高所作業をして、叩け落ちたらご近所の笑いモノだわなぁ。」なんて内心では思っている。身体の動きが悪くなっていることは十分承知しているし、「恐い」という思いが心の中にある内は大丈夫だろうと、根拠のない確信で作業を行っておりますよ^^;
昨年だって、ハサミを入れて整枝作業をしているはずなのだけれど、植物の成長は早いですなぁ…「木瓜(ボケ)」なんざぁ、ちょっとした藪になっている。思い切って、切り戻し、整理するかぁなんてやっているから、「囲う」のは一日一本。そして、剪定後の残渣が山になり、処分場に一度は運ばないとなぁなんてため息をついておりますよ^^;
『災難除け』の梅干を食べてね^^;
子どもの頃から出掛ける前には『災難除け』として「梅干」を食べさせられた。「梅はその日の難逃れ」という諺もあるようだから、我が在所だけの習慣でも無いようであるけれど、理由はまったく意味不明^^; そんな習慣が身に着いて、高所作業や遠出の際には、梅干を口にするようになっている。
毎年が同じようなことの繰り返し…そうこうして、冬(雪)を迎える準備を黙々としているのであるけれど、伸び放題の「無精ひげ」を鏡で見て愕然とする…「真っ白じゃないか!」…着実に老化は進んでいるのでありますよ。(何を今さら^^;)
みっちりと「雪囲い」した年には、思いの外、小雪の年だったり、手抜きをした年は、大雪だったりと、こちらの思惑とは反対のことが起こるから、「雪への備え」は、人生そのものなんて『哲学』するのでありますよ。「青春」を謳歌し、「朱雀」の頃に大いに働き、「白秋」の年代を迎えたかなんてね。それならば「玄武」…黒い冬の時代をどう生きるか。漠然とした準備しかしていないような気もするが…「安山先生の大イチョウ」は、来年には、また青々と葉を茂らせるに違いない。しかしなぁ、一度老化した肉体は、植物のように戻ることはないんだよなぁ^^;
「枯れ木も山の賑わい」というではないか…つまらない物(者)でも無いよりはマシである。自分自身の存在価値を見失ってしまったら、それこそ人生終わりだわ。ならば『枯れ木に花を咲かせましょう。』…あはは、この場合は、世間的には「迷惑」と言われるかも知れない(笑)