秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し
水引草が赤い花穂を立てた。木立を揺する秋風が俄かに冷たくなり、引き摺っていたしつこい残暑も、ようやく朝晩には鳴りを潜め、ひと月遅れの秋が足取りを速めようとしている。
柄にもなく詩集をひもどきたくなるのはこんな午後なのだ。中学生の頃、担任の国語教師が多感な少年の心に文学への火をつけた。お定まりの藤村の「初恋」に始まり、白秋に走り、光太郎に共感し、朔太郎、犀星、中也、そしてバイロン、ハイネ、ヘッセと、暫くは詩を追い続けた。やがて卒業間近い頃、音楽教師が、半ば強引ではあったがフランスの詩人達への目を開いてくれた。ボードレール、アポリネール、マラルメ、ランボーと読み進めるうちに、辿り着いたのはヴェルレーヌだった。詩とのふれあいはこの頃が一つの頂点だったかもしれない。
翻訳詩には当然訳者へのこだわりが出てくる。だから同じヴェルレーヌでも、冒頭に掲げた「秋の歌」は堀口大学の「秋風の ヴィオロンの…」ではなく、上田敏でなければならず、「忘れた小曲」その3の雨の詩は、これも堀口大学の「雨の巷に降る如く…」ではなく、鈴木信太郎の「都に雨の降るごとく…」でなければならなかった。
大学2年、折しも学園は60年安保闘争の真っ直中にあった。連日繰り返すデモと機動隊との闘争の中で東大生・樺美智子が死んだ。学生と労働者を中心とした安保反対の闘いは一気に加速した。それから一ヶ月、全学連の一闘士として昼間はデモ行進、機動隊と最前列で睨み合い、見えないところで足蹴りを応酬する日々が続いた。戦闘服と青いヘルメットは恐怖と憎しみの対象であり、戦闘靴で蹴りつけられる臑は青あざに覆われた。県警本部前の衝突を何度経験しただろう。逃げ帰って夜は芝居の稽古。フランスの不条理の作家・アルベール・カミュが、ロシア革命前夜のテロリスト集団を描いた戯曲「正義の人々」。詩人でありテロリストでもあるイヴァン・カリアイエフが私の役だった。正義の為にセルゲイ大公の馬車に爆弾を投げて暗殺、しかし人を殺めたからには命で贖わなければならないと、彼は自ら断頭台に上っていく。
その頃夢中になって声を出して読んだのが、反戦詩人アラゴンの「フランスの起床ラッパ」だった。今はちょっぴり痛みを伴う遠い思い出でしかないが、青春の多感な燃焼の日々には違いなかった。
空しく闘争に敗れて日本は今日にある。平然と詭弁をを弄する傲慢な為政者の、イラク派兵や靖国参拝がある。挫折と反動の日々に最後に巡り会ったのが立原道造だった。それは揺れ惑う青春のひとつの着地点でもあった。以来、道造は常に私の座右にある。
夢はいつもかへって行った。山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しずまりかへった午さがりの林道を…
(のちのおもひに)
庭先の水引草が揺れる。少し優しくなった日差しを浴びながら、秋風の中で変色した立原道造詩集をひもどいてみる。かび臭い古本の中に、ほろ苦い青春の残滓があった。
(2005年10月:写真:水引草)