蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

燃え尽きた夏…(終章)

2008年07月16日 | 季節の便り・旅篇

 年齢に応じて、私のダイビングは1日1本と決めていた。娘達は2日目2本、3日目3本と数をこなし、ベテラン向きの……その分ダイビングの条件が厳しいだけに、珊瑚豊かな海を記憶に焼き付けていく。連れて来てよかった……それが親としての満足だった。
 「今日は、海底洞窟に潜ります。地形を楽しむダイビングです。」というブリーフィングに心が弾む。阿真の港を出て座間味島を西から回りこみ、北西の断崖の下に向かってボートを走らせる。ややうねる外洋の波間から飛び立つトビウオの背が、美しく緑に輝いていた。
 水深4メートルから12メートルの、比較的浅いスポットである。崩れ落ちた岩盤が作る複雑な岩場の間隙を縫って洞窟の中に沈み込んでいくと、岩肌全面を色とりどりの小さな珊瑚がびっしりと覆っていた。その中を幾種類もの魚の群れが泳ぎ抜けていく。名付けて「マーメイド・ルーム」。洞窟の中にぽっかりと頭を浮かべると、岸壁の隙間から外洋が見える……初めての洞窟ダイブだった。毎回趣を変えてスポットを用意してくれる一明さんのガイドが優しい。
 日を追って楽しさを増す私の座間味島初ダイブは、目に焼き付く美しい珊瑚の洞窟で幕を閉じた。

 夕刻、6本目のダイブに満ち足りた娘達も伴って、友人の奥さんが島の西の「神の浜展望台」に夕日を見に連れて行ってくれた。車の中に、いつも通り冷えたビールとサンピン茶のボトルが用意してある。遠くに霞む久米島の影を見ながら、沈みゆく夕日を送る……それは限りなく贅沢な夕べだった。冬場には、この目の下を鯨が泳いでいくという。座間味はホエール・ウォッチングのメッカでもあるのだ。夕映えに、雲の影が美しい。夕焼けは少し雲があるほうがいい。南国特有の、今生まれつつあるような不思議な雲の造形がある。
 沈み切った太陽の残照に染まりながら宿に帰ると、その夜は豪華なバーベキュー・ディナーが待っていた。新鮮なカツオの刺身に舌鼓を打ち、焼肉を頬張り、焼きそばをすすり込みながら泡盛・久米泉に酔い、座間味最後の夜が更けていった。
 しかし、まだまだ座間味の饗宴は終わっていなかった。その夜も「ゆんたく」が待っていた。

 「ゆんたく」のあと、酔いを醒ましながら阿真ビーチに出た。明かりの少ない島の夜は闇が深い。その闇を覆うように、満天の星空が広がっていた。水平線までドーム状に広がる豪華な天蓋である。天の川が手に取るように輝く。厚みを感じる星の煌きに、さそり座や北斗七星の柄杓さえ目立たないほどに透明な夜空だった。
 都会でこの星空を見ることは、もう決してないだろう。太宰府でさえ、比較的空気が澄む冬場のオリオンや大三角はまだ仰ぐことが出来るけれども、昨年の夏はとうとう一度もさそり座を見ることなく終わった。
 夜道を宿に帰りながら、これで我が家の夏は終わったという感慨があった。寂しいけれども、明後日、娘達は那覇空港からマサ君の郷里・名古屋に向かい、6日後には又アメリカに帰っていく。ジジババ2人の日常が還って来る。存分に燃え尽きて、この夏にもう未練はない。

 帰り着いた太宰府に、突然の梅雨明けの猛暑が待っていた。海風に吹かれる33度の沖縄の夏が恋しくなるほどしたたかに汗にまみれて、「ゆんたく三昧」で増えた体重は、僅か3日で汗になって消えていった。しかし、瞼に焼きついた美しい珊瑚礁の海は、決して消えることはない。
            (2008年7月:写真:座間味夕景)

燃え尽きた夏…(その4)

2008年07月16日 | 季節の便り・旅篇

 島の友人から「ゆんたく」のお誘いが来た。

 親しい者同士が集い、泡盛呑みながら談笑する沖縄特有のふれあいの場である。フロントで懐中電灯を借りて、ハイビスカスやブーゲンビリアの咲く小道を5分ほど歩くと、そこが彼の「ゆんたくテーブル」。庭先のテーブルに、近所の漁師や友人が集まって、もうしっかり出来上がっている。隣りに住むダイビング・ショップのオーナーが、片手間に吊り上げてきたという160キロのカジキマグロ、地蛸、友人が採ってきたティジャラという巻貝の刺身(これが甘みがあって絶品!)が並ぶ。この「ゆんたく」が殆ど毎晩……台風が近付いていても、玄関のドアが風で開けられなくなるまで続くというから楽しい。座間味島での夜の定番である。

 翌朝2本目のダイブは、15分ほど沖に出た阿嘉島寄りの小島の陰のギナというポイントだった。空と海は一段と真夏の輝きを増し、波穏やかな絶好のダイビング日和となった。
 アンカーを降ろしたボートの中で、一明さんのブリーフィングが始まる。「少し流れがあるから、しっかりついてきて下さい。帰りは流れに乗るから楽です。もしかしたら……本当にもしかしたらだけど、海亀に会えるかも……」という。(実は、海亀がいることを予め他のボートから情報を貰っていたという、小さなサプライズの演出だった)

 嬉しかった。ここは美しい珊瑚の海だった。前日の不満を耳にしていた一明さん、「海に出て、流れと潮と風を読んで、その日のダイビング・スポットを決めます」と言いながら、ちゃんと考えてくれていたようだ。エントリーして、一気に深度を稼いでいく。透明度を一段と増した10メートルから14メートルの海底に、山脈状の根が何本も横に伸びていた。その陰に身体を沈めながら、流れに逆らってフィンに力をこめる。色とりどりの魚が群れる。向こうの根では、海蛇が立ち泳ぎしながら巣から出入している。海面の煌きに、時折雲の影が落ちる。
 やがて、行く手を遮るように立ちはだかる根が見えてきた。一明さんのシグナルに応じてゆっくり下から近づいていったそのとき、根の向こうから1匹の海亀がゆらりと泳ぎだしてきた!
 昨日訪れた古座間味ビーチでも、初めて海亀が100個近い卵を産んだという。ここは豊かな海亀の憩いの海。根の頂に頭を覗かせた瞬間、目の前の岩陰にもう1匹の大きな海亀が目を閉じて潜んでいた。「海亀の餌場であり、眠る場所だから、2メートル以内に近付かないように」と言われていたけれども、目前50センチに人間を恐れる気配もなく、悠然と目を閉じていた。泰然自若、何かホッと心安らいで、時折瞼を開く海亀と見詰め合っていた。

 根の周りをゆっくりと回遊しながら、岩礁に咲く珊瑚や藻類、魚達のウォッチングを楽しんだ。珊瑚の奥に小さな蛸も潜んでいた。潮の流れがあるから守られている自然なのかもしれない。座間味の海はまだ大丈夫かもしれない……そんな安堵感で流れに乗って戻った。敦君が指差す海面近くを、一匹のエイがゆっくりと泳ぎ抜けていった。ようやく味わった座間味らしい海底散歩だった。
 乾燥した圧縮空気を呼吸し続けると、やたらに喉が渇く。ボートに戻ると、淳君が冷たいお茶と飴玉を差し出してくれる。甘露だった。上半身脱いだウエット・スーツで、日差しを浴びる。全ての屈託を忘れて、真夏の日差しの中で至福の時が過ぎていく。
 新潟から座間味に遊びに来て、美しい海と温かい人情の虜になり、ダイビング・ショップを手伝うようになって4ヶ月の淳君。ここにも真っ黒になった即席海人(ウミンチュ)がいた。
         (2008年7月:写真:海、限りなく碧く)

燃え尽きた夏…(その3)

2008年07月16日 | 季節の便り・旅篇

 見上げる海面の光の戯れからマスクを転じ、眼下の海底を見た瞬間、思わず絶句した。「何、これ!」海底を覆う一面の珊瑚のかけら、死屍累々の惨状に目を疑った。世界に誇る座間味の美しい珊瑚礁がこれである筈がない。4年前に体験ダイビングを経験し、ライセンス取得への憧れが一気に高まったあの時のスポットが、確かここだったと思う。こんな筈ではなかった。
 この4年間に2度、地球温暖化による海水温の上昇で珊瑚の白化現象が起こった。水温1度の変化にも敏感に反応するデリケートな珊瑚である。白化現象が世界的規模で珊瑚礁を破壊し続けていると知ってはいたが、現実を目の当たりにして言葉を失った。。オニヒトデの異常発生も度々あった。それ以前に、本土復帰記念の1975年(昭和50年)の沖縄海洋博がある。アメリカの言いなりに基地を残して本土復帰を果たした為政者の言い訳のように、湯水のように国家予算が注ぎ込まれた公共事業、加えて観光への本土資本の暴力的奔流が、開発という美名の下に沖縄の自然を破壊し続けた。流入する赤土に覆い尽くされて海が、珊瑚礁が荒れ、森林が舗装道路で寸断されて、ヤンバルクイナやノグチゲラなどを絶滅へと追い詰めて行きつつある。様々な要因の積み重ねのツケが、離島にまで及んだということなのだろうか?

 16メートルの海底に、点々と3つの根(岩礁)が立ち、乏しい珊瑚に魚たちが遊んでいる。美しい色彩に不満はないが、夢に見た一面の珊瑚や、群れなして遊ぶ魚影には程遠い海底風景だった。念願の座間味初ダイブがこんな形で始まったことに少々打ちのめされながら、海底散歩で暫しの時が流れた。
 初心者の久々のダイブにエアを使い、淳君のハンド・シグナルで私だけ一足早くボートに戻った。水面下5メートルでの3分間の安全停止を経て浮き上がった海は、全てをコバルト・ブルーに覆い包んで美しかった。表から見る海の美しさと、その下に横たわる不毛の海底の落差……。ボートに装具を下ろしたあと、頭を冷やしたくて暫く海面をシュノーケリングで漂った。強烈な日差しが、懲罰の鞭のように背中を叩いた。

 今沖縄で、珊瑚再生に向けて懸命の努力が重ねられている。ダイビング・スポットが幾つも閉鎖されたり、1回当たりのダイビング・ボートの停泊が2隻までと制約されたり、水槽で育てた小さな珊瑚を岩礁に戻して埋め込んだり……その「美ゅら海資金」を集めながら重ねられる努力が実り、絢爛豪華の珊瑚礁が復活するには、気の遠くなるような時間がかかる。「洞爺湖サミット」などという、各国の利権が優先する不毛の会議が笑止に思えるほど無為無策のまま加速する温暖化に、この努力が「蟷螂の斧」とならないことを、必死で祈る思いがあった。もう、時間がないのだ。

 午後、2度目のダイブに向かう娘達と別れ、家内と二人でシュノーケリングを楽しむために古座間味ビーチを訪れた。お馴染みのビーチ・ガール・のぞみちゃんが今日も砂浜のテントでレンタル・ショップを開いていた。こぼれそうなビキニが似合うビーチ・ギャルだった彼女も、今はもう大学生と高校生2児の母、「もう、ビキニ着れないさァ」と、真っ黒な顔で笑いかけてくる。
 先年このビーチで、私のマスクの下をくぐって見事なスキンダイブを見せる女性がいた。しぶきを上げて浮き上がってきたのは、雑誌の取材で来ていたアトランタ・オリンピックの水泳選手・千葉すずさんだった。気さくに語りながら撮らせてくれた彼女とのツー・ショットは、今も我が家の壁に飾ってある。日本水連との軋轢で不遇な立場にある時だった。今はアテネ・オリンピック、200メートル・バタフライの銀メダリスト・山本貴司選手(残念ながら、北京オリンピック代表選考には漏れたが)の年上女房として、幸せに暮らしている。
 真っ白な砂浜と、真っ青な空と、入道雲と、見事なグラデーションの海……フィンを履いて泳ぎ出した珊瑚の海はここも無残に荒れ果て、あれほど豊かだった魚影も哀しいほどに薄くなっていた。
 それでも、ここは美しい。ライフ・ジャケットを着て波間に漂う家内は、時を忘れていつまでも魚影を追い続けていた。
             (2008年7月:写真:古座間味ビーチの夏)