蛍橋を渡ると、小田川の渓流沿いの小道を綴るように、10室の離れが木立ちの中に点在する。一人15,000円から30,000円という値段は決してお安くはないが、それを惜しいと思わせない佇まいが此処にはある。
昔風の家を思わせる部屋にはいると、今にも奥からお袋がにじり出てきそうな懐かしさが漂った。雪見障子の向こうの緑の木立が気持を和ませる。
まだ夕飯までには時がある。小さな雨が降りかかる中を、せせらぎを追って渓流沿いの小道を辿ってみた。ほどなく瀬音が高まり、ささやかな段差を落ちる幾つもの小滝が現れた。両岸切り立った小暗い底を、雨で少し濁った水が瀬音涼やかに流れ下っている。車の行きかう道からほんの僅か分け入っただけなのに、この静けさはどうだろう。秘境七滝の慎ましい瀬音が、却って静寂を深めるようだった。
道を門まで戻った所で、案内の青年に再び会った。此処の自然の四季折々の豊かさを爽やかな笑顔で話してくれる「紅葉の頃、新緑の季節もいいけど、私は雪の冬が好きです」と。話す傍らを、2連に繋がったギンヤンマがすいとかすめ、コミズジがひららと飛ぶ。下草に縺れるキチョウ、夕暮れを誘うヒグラシ、久し振りにミンミンゼミも鳴いた。何気ない会話に、旅の情緒も深まる。散り始めた萩の傍らの地面からは、ヒガンバナの芽が延び始めている。移ろう季節の狭間で、自然は休みなく営みを続けていた。
浴衣に着替え、雨に濡れた30段あまりの階段を、滑らないように下駄を摺りながら踏み下った。まだ客の気配もなく、大浴場も露天風呂も無人の貸し切りだった。透明な岩風呂の外は小田川の渓流。覆いかぶさる緑の木々に囲まれ、ゆったりと湯船に浸ると、あとはただ、せせらぎだけの静寂。吐口から注ぐ掛け流しの湯の音さえ、変幻自在に空気を震わせる瀬音に紛れて耳には届かない。肌に馴染み、しっとりと浸み込む湯に身も心も委ねて、時が止まった。いつまでも癒されて、この独り占めの中に浸っていたい……私にしては珍しく長い時間、浸っては湯船の岩に腰掛けて風に吹かれ、又浸ることを繰り返し、すっかり寛いで部屋に戻った。
しかし、家内と義妹が戻ったのは、それから更に1時間後である。別腹と長風呂は女の特権?待つ間に身体は冷え、夕飯前に再び部屋付きの石風呂で温め直す羽目となった。
夕飯のこだわりに唸った。食前酒からデザートまで19品。終始目に見える形では、海のものには一切お目にかからなかった。肥後牛、肥後の馬刺し、地鶏のたたき、黒豚、ヤマメの塩焼き、ニジマスの刺身、山菜の天麩羅等、地場と山のものに拘った納得の味付けの料理が次々と並んだ。シニアに19品は確かに多すぎる。「15品でいいよね!」と言いながら、気が付いたら3人とも完食してしまっていた。さすがに、下を向くのも苦しい。
10時の門限にせかされて、もう一度夜の露天風呂に浸った。淡いともし火に照らされながら、一段と高まる瀬音に身も心も解き放った。満たされて帰った部屋に、この日ふたつ目のハプニングが待っていた。
家内達は、夜の階段を避けて部屋付きの石風呂に入るという。湯加減を見に行ったら、なんと水風呂に近いぬるま湯になっている。先ほど私が浸かったとき、水の蛇口を開いたままにしていたらしい。浴衣の裾をからげ、せっせとぬるま湯を汲み出す。掛け流しの湯量はしっかり絞ってあるから、なかなか熱い湯にならない。湯揉み板を持ち出して、昼間の苦闘の再現である。適温に戻ったのは30分後だった。アラセブの三助、またもや汗になって夜が更けた。
翌朝、黒川温泉経由瀬の本高原から「やまなみハイウエー」に乗り、濃い霧の中をライトを点けて減速しながら、阿蘇外輪山を菊池に抜ける「ミルクロード」を通り、濃霧に覆われた大観峰から小国に下った。
地場物産売り場の「きよらカアサ」でいつもの買い物を楽しみ、農協の売店で此処ならではの珍味「蒟蒻稲荷寿司」を買い、下城の大銀杏のそばで馴染みのお爺さんに「元気でしたか?」と声を掛けてピーナツやうずら豆を求めて、再び「ファームロードわいた」を日田へと駆け下った。帰り着いた太宰府は、この日26.3度。1週間前とおよそ10度の落差は、久々に夜風で眠る一夜を心地よく包んでくれた。
こうして、秋が来た。……しかし、それは束の間の戯れの秋。翌日は又、33度の残暑の予報が待っていた。
(2010年9月:写真:華坊・露天風呂)