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蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

孤高

2015年04月07日 | 季節の便り・虫篇

 10センチを超える成虫からは想像出来ないほど、儚く微小な姿である。
 昨秋、九州国立博物館の裏山で採取してきて鉢に差していた2つの卵鞘(卵胞)から、初めてのオオカマキリが誕生した。通常は一つの卵鞘から200匹ほどの前幼虫が溢れるように生まれ、すぐに脱皮してカマキリの形に変容するのだが、何故かこの日、鈍色の曇り空の下で生まれたのは僅か1匹だった。
 慌て者の未熟児というわけでもない。触手まで含めても僅か15ミリほどの小さな幼虫だが、一丁前に鎌を振り立てて卵鞘に立つ姿は、孤高と言いたいほどに健気だった。鳥やスズメバチなどの天敵の多い中で生き残るのは1~2%、200匹の中の僅か2~3匹でしかない。この1匹が無事にこの庭で成虫に育つことを祈りながら、シャッターを落とした。
 鎌のような前足を畳む姿から、「拝み虫」あるいは「預言者」という異名を持つ。西洋でも「Praying mantis(お祈り虫)」という、孤高に相応しい異名がある。

 「蟷螂の斧」といえば、弱い者が身の程を弁えずに強者に向かうことをいう。中国三国の時代(222年から~263年)、陳琳が「曹操既に徳を失い依るに足らざるゆえ、袁紹に帰すべし」という主旨の檄文を送った中に、魏の曹操軍の劣弱なさまを諷して「蟷螂の斧を以て隆車(大車)の隧(すい:轍)を禦(ふせ)がんと欲す」という一文がある。また荘子の「天地篇」には、荘子が「凶暴残忍しかも知恵のある君主に仕えるにはどうしたらよいか」と問われ「まず自らの行いを正し、自然に相手を感化するように努めよ」と答え、さらに「猶、蟷螂の臂(ひじ)を怒らして、以て車轍に当たるがごとき、則ち必ず任に勝(た)えざるなり」と言ったという。それほど古くから、カマキリは身近にいた。

 男を食い物にする女を「カマキリ夫人」といい、毒婦の代名詞に使われることもある。雌が交尾中に雄を頭から食ってしまうことがあるから、あながち外れてもいない。雄は食われながら交尾を続け、頭を失った雄の腹部は勝手に動き、初期の目的通りに交尾をはたす。雄は雌に食われ続け、最後には生殖器のある尾端だけの存在になってしまう。それでもなお雄の性的機能は失われず、そのまま交尾は数時間にわたって続けられる。
 生まれたばかりのちびっこカマキリの孤高の姿からは、想像もできない凄まじい生殖本能である。頭を食われることによって雄の性欲が昂進するという最近の研究がある。実験的に雄の頭を切ると、身体はそれと連動して交尾行動をおこす。雄が絶体絶命に追い込まれた中で、最後の1滴まで使って自分の遺伝子を残そうとする適応現象だろうという。子孫を残すためには、これほど厳しい自然の掟があるのだ。
 ネット情報は、次のような言葉で結ばれていた。「しかし、昆虫類は人類とはまったく別な進化の道筋をたどって今日がある。そうした意見はカマキリが発言してくれない限り何の意味もないのだ。」

 お昼ご飯を食べて観に戻ったら、ちびっ子はまだ一匹のまま、昂然と頭を掲げて後に続く兄弟たちの誕生を待ち続けていた。
 戻り寒波の、少し肌寒い一日の出来事である。
              (2015年4月:写真:誕生まもないちびっ子カマキリ)