鈍色の空から、烈風が吹く。丸太で囲まれた鍵型の20畳ほどの露天風呂にさざ波が立ち、雲の切れ目から斜めに差す日差しを金波銀波に弾き返す。沸き立つように吹き散らされる湯気を目で追いながら、少し口惜しい思いに浸っていた。
「春に三日の晴れなし」…それにしても、定まらないお天気の日々が続く。「山野草の花時が過ぎる!」苛立ちながら、週間天気予報を追った。例のように「お隣の国の団体は入っていませんか?」と尋ね「20人ほどの予約が入ってますが、早めにお風呂にはいっていただけば…」という返事に、この日と決めた。前後に雨マークが並ぶ4月半ばである。「久住高原コテージ」、もう12回目を数える常宿になった。
激しい戻り寒波に雷雨と突風が吹き荒れる春の嵐の翌日、この辺りは予報では9時頃から晴れる…筈だった。しかし、大分道を走り、玖珠ICから山道に取りついて、四季彩ロードを経て飯田(はんだ)高原・長者原に登り詰める頃になっても、一向に雨風がやまない。しかも、この時期真っ黒な筈の泉水山の山肌が、まだ冬枯れ色のまま雨に濡れている。今年も山焼きが大幅に遅れ、これでは一面のキスミレの群生は望むべくもない。濡れそぼつ枯れすすきの根方に、僅かに開くキスミレは、むしろ哀れだった。
自然探究路の散策も諦め、寒風に追われて車の中でコンビニお握りのお昼を食べる羽目になった。気温5度、見上げる雲間の九重連山は雪!星生山、硫黄山、三俣山の尾根は、4月の春の雪を頂いて、奔る雲に弄られていた。仕方なく、予定より早くコテージに向かう途中越えた牧の戸峠は、茶店の屋根も路側も雪が覆っていた。想定外(この言葉も、「粛々」という言葉と並んで陳腐な政治用語に墜ちてしまったが)の一日となった。
家鳴り震動する烈風の一夜が明けて3度目の露天風呂を楽しみ、曇り空の中を男池(おいけ)に向かった。空は晴れない。期待も、ともすれば薄れがちだった。
しかし、やはり山は優しい。木道を外れて、男池の湧水から流れ下る小川沿いに歩く足元に、ムラサキケマン、ヤマエンゴサク、エイザンスミレ、そして今年はヤマルリソウの群生が見事だった。小指の爪ほどもない小さな花は、さながら「小人のボタン」。ネコノメソウ、ハルトラノオ、ヒトリシズカ、ミツバツチグリ…いつも見慣れたこの時期の花々の競演に、十分に報われたと思いながら、まだ少しばかりの未練がある。「ユキワリイチゲは、もう終わってるよね」と家内と話しながら、万にひとつの僥倖を頼んで「かくし水」への樹林を辿ってみた。
萌える新芽が可憐で美しい、我が家お気に入りの男池の春の樹林である。ヤブレガサももう傘を広げ、バイケイソウやキツネノカミソリが群れ為してのびのびと緑を拡げている。時折、濃い紫のマムシグサが新緑の中で異を唱える。
倒木で休む家内を残し、ユキワリイチゲの群生地まで登ってみた。やはり葉だけを拡げて、花の姿は一輪もなかった。黒岳に登る若者4人と擦れ違って挨拶を交わし、家内の元に戻ると「ホラ!」と指差す向こう、スミレの群生する木立の下に数輪のキスミレが咲いていた。山肌一面のキスミレの絨毯も圧巻だが、枯葉の中に散り咲く数輪の健気さも捨てがたい。野焼きの炭に汚れることもなく、眩しいほどに綺麗な黄色だった。
満たされて湯布院に走り、久し振りに「ムスタッシュ」で石焼窯のピザでランチを摂った。緑の木立に包まれたこのレストランで、髭のマスターの笑顔に癒されるひと時は、いつも高原歩きのオアシスである。
「連休前に、倉木山のエヒメアヤメとバイカイカリソウを観に来ます」と約束して、まだ時折雨が奔り風が車体を叩く中を帰途に就いた。
305キロ、少しばかり不完全燃焼の未練が残る春探しのドライブだった。
翌日は抜けるような快晴…なんとも気まぐれな春である。
(2015年4月:写真:群れ咲くヤマルリソウ)