蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

春を探して

2017年03月03日 | 季節の便り・花篇

 気が付いたら、2月が足早に逃げ去っていた。3月3日、ひな祭りの午後である。

 すっかり遅れてしまった初詣。慌ただしく緊張感に満ちた新年に、何となくタイミングを逸し、やがて梅の季節を迎えた。アジア系観光客のけたたましい雑踏と化してしまった太宰府天満宮に、かつてのような初詣のときめきもない。……そんな諦めと苛立たしさが、ずるずるとお参りの時期を遅らせてきた。
 しかし、気持ちのけじめだけは、つけておかないと悔いが残る。暖かい日差しに気持ちを奮い立たせながら、カミさんと歩き始めた
 光明禅寺の角を曲がり、天満宮にはいると、早速けばけばしいファッションにミラーサングラスをかけた姦しい集団の渦に巻き込まれる。覚悟していたものの、この日本語の聞こえない雑踏の落ち着かなさはどうだろう!そそくさと参拝を済ませ、裏に抜けてコンビニでお握りとお茶を買って梅園を抜け、「お石茶屋」の手前から苔むした急な石段を上がった。
 天神山の枝尾根の取り付きである。此処までくれば、もう人影はない。木漏れ日を浴び、シジュウカラの声を聴きながら、ゆっくりと山道を辿れば、そこは天開稲荷。二つ目のお参りを済ませて、陽だまりのベンチでひと息入れた。

 春探しの散策……天神山の尾根筋を辿れば、必ず「小さな春」が待っていてくれる。今年になってまだ会ってない「青空のかけら」のようなオオイヌノフグリが、眩しさを増した春の日差しの中に群れ咲いていた。人が来ない天満宮裏山の小さな梅林、一番美しい枝垂れ紅梅も此処にある。
 花びらを舞わせ始めた白梅の下で、散りばめられた「青空のかけら」の間に、一段と鮮やかなホトケノザが咲いていた。薄紫の唇をつぼめ、花びらの下唇に濃い紅色がそそるように散る。すぐそばに、いつものように咲くスミレが数輪、いずれも早春のお馴染みの使者たちである。梅の花の下を潜るように、キチョウが飛んだ。

 寒暖温度差の激しい冬だった。元来冬が苦手な私にとって、年々冬の寒さが厳しく身を苛む。用心し過ぎるほど用心して、今年もインフルエンザに罹ることなく乗り越えたようだ。
 思い返せば、最後のインフルエンザは21年前!平成8年6月。カナディアンロッキーを旅し、Icefields Parkwayを駆け下る途中で寄ったコロンビア大氷原の雪上車で、やはりアジア系団体に囲まれて感染して以来、罹ったことがない。
 それは激烈なインフルエンザだった。帰りに寄ったジョージア州アトランタの次女の家で3人とも発症し、交互に頭を冷やし合いながら数日を耐え、高熱が下がらないままに朦朧と15時間のフライトを乗り越えて帰国した。眼下に広がる壮大なロッキー山脈の氷河が、辛うじて正気を保ってくれたことを思い出す。

 天神山周回コースを外れ、九州国立博物館への導入路に移り、「野うさぎの広場」への入り口を横目に見ながら、曲折する階段を博物館に下った。湿地の散策路の傍らにネコヤナギがキラキラ輝き、イノシシが荒らした湿地にセリも芽吹いて、木道の下にはツクシが立っていた。
 四阿でお握りを頬張った。日溜まりは暖かいが、四阿を吹き抜ける風には、まだ冷たい冬の名残が濃く、食べるうちに身体が冷えてくる。そそくさと食べ終えて、博物館の喫茶コーナーに逃げ込んだ。

 太郎左近社で三つ目の初詣を済ませ、帰り着いた9400歩の春探しの散策。見付けた春は小さかったけれども、明後日に迫った啓蟄への期待を大きく膨らませてくれた
 天開稲荷と太宰府天満宮で引いたお御籤は、カミさんも私も「吉」……それでいい、「おらが春」は中ぐらいの目出度さが相応しい。今年は、きっといい年になるだろ。
                    (2017年3月:写真:ホトケノザ)