鈍い曇り空の下で緑を濃くした木立を大きく揺らしながら、ざわざわと風が鳴った。梅雨時で少し湿った枯れ落葉を覆うように、緑の草が伸びはじめていた。早朝の「野うさぎの広場」は今日も人影はなく、朽木のマイベンチに坐って、少し肌寒いほどの緑の風と静寂をほしいままにしていた。
休館日の九州国立博物館。7月11日から始まる2万年前の洞窟壁画「クロマニヨン人が見た世界・ラスコー展」まで、しばらくは静かな日々が続く。
ショルダーバッグに付けたカウベルと、腰に提げた山岳用の緊急ホイッスル……少し大げさなイノシシ対策に一人照れながら、朝の散策に出た。昨日午後から夜まで、椅子に座り続けて軋んでいる膝と腰をリハビリする為の一人歩きだった。
NHK文化センターの特別講座「八代目中村芝翫襲名披露・六月博多座大歌舞伎の見どころ・裏話・お楽しみ」……元NHKアナウンサーの葛西聖司さんの軽妙で奥深い話は素晴らしかった。NHK歌舞伎番組の解説でお馴染みだった彼は、大阪転勤した後、近年お目に掛かることが少なかった。久し振りに、初めて手が届く距離でお目に掛かって「あァ、お年を召されたな」と思ったが、お話の何と楽しかったこと!
マイクなしの博多座地下2階の稽古場で、受講者の間を縦横に歩き回りながら、あっという間に全員を歌舞伎の世界に引き込んでいく。歌舞伎の演目も、役者も、せりふも、所作も、浄瑠璃や長唄も、歌舞伎の全てを知りつくし、肌に染み込ませた彼の話は、淀みなく軽妙に、演目の言葉と所作のさわりを分かりやすく解きほぐしていってくれた。「連獅子」の長唄の言葉と所作の意味合い、「天衣紛上野初花」の河内山宗俊の七五調の名せりふ(「待ってました!」と声を掛けたくなった)、「藤娘」の踊りに隠された嫉妬に狂う女の情念……そうか、これが本当の歌舞伎の見方、味わい方なんだと実感しながら、1時間半はあっという間だった。
先日1階席で観た昼の部を、もう一度3階席から声掛けながら見たい!……本音でそう思わせる楽しい講座だった。
そのまま興奮冷めやらない歌舞伎仲間7人で、初めてうち揃って夜の部の3階席になだれ込んだ。博多座大向うの会会長から「今夜は行けないから、声掛けよろしく」と言われているから、張り切らざるを得ない。しかも、今夜は仲間たちと一緒である。いつにも増して緊張感で定式幕が引かれるのを待った。
近松の「信州川中島合戦・輝虎配膳」の魁春(加賀屋)、梅玉(高砂屋)、菊之助(音羽屋)、児太郎(成駒屋)で声を慣らし、「口上」でここぞとばかり声を張り上げる。歌舞伎座の襲名披露口上には及ぶべくもないが、久し振りに地方都市には勿体ないほどの顔ぶれが揃った。
「成駒屋~ッ!」……掛け声が舞台に向かって落とされる中で幕が開いた。藤十郎(山城屋)、時蔵(萬屋)、鴈治郎(成駒屋)、菊之助(音羽屋)、東蔵(加賀屋)、菊五郎(音羽屋)、梅玉(高砂屋)、魁春(加賀屋)、児太郎(成駒屋)、そして四代目芝翫(成駒屋)の襲名口上に続き、3兄弟の四代目橋之助、三代目福之助、四代目歌之助が瑞々しく口上を述べた。
舞台下手に慎ましく坐った芝喜松改め梅花(京扇屋)の披露まであって、万雷の拍手に包まれた豪華な口上の舞台だった。
お目当ての黙阿弥原作による「祝勢揃壽連獅子」。父と3人の子が舞う。牡丹の花に戯れ、獅子の狂いをみせ、「髪洗い」、「巴」、「菖蒲叩き」の所作を見せて、豪快華麗な「毛振り」へと盛り上げていく。
「連獅子」を観ると、どうしても亡き勘三郎と二人の息子たちの「三人連獅子」が思い出される。勘三郎の親獅子は、師としての峻烈な目で息子たちの踊りを見据えていた。この日の芝翫の親獅子は、役者として成長を続ける息子たちを温かく見詰める、父親としての慈愛の眼差しだった。
藤十郎の文殊菩薩、時蔵の慶雲阿闍梨、梅玉の昌光上人が色を添える。86歳の藤十郎は、圧巻の存在感だった。
落語を素材とした上方人情喜劇「幸助餅」は、緊張を解いた気楽な声掛けで閉じた。隣りの女性に「お騒がせしました」と頭を下げる。歌舞伎に不慣れな博多座では、時として大向うの声掛けを咎めるように見る目がまだある。
「とんでもない、長く歌舞伎を観てきましたけど、大向うの声を隣りで聴きながら観たのは初めてです。楽しかったです」と暖かい言葉を戴き、ほのぼのしながら軋む膝と腰をなだめて夜の街に出た。
散策路から降り、2頭のイシガケチョウがもつれながら谷筋に舞い降りていくのを見やって、太宰府天満宮に出る。今日はこころなしアジア系観光客も少なく、心字池に掛かる太鼓橋の袂は、美しい紫陽花の彩りに包まれていた。風邪を引いて喉をいためているカミさんへの土産に、参道の新しい店「Kingberry」でイチゴの王様「あまおう」を使ったチーズケーキを買う。お隣の若夫婦が開いた可愛いスイーツのお店である。店員さんみんながイチゴに見える。
1時間半、7000歩を歩き、ようやく膝と腰の軋みもほぐれて来た。
お昼を食べたところで、テレビで市川染五郎(高麗屋)の十代目松本幸四郎襲名のインタビューが始まった。幸四郎は二代目松本白鴎となり、息子の金太郎が八代目市川染五郎を襲名するという、三代同時襲名である。こうして名跡を襲ねながら、400年の伝統芸能が次の世代に引き継がれていく。
藤十郎の86歳の元気にあやかり、この若く、あるいは幼い役者たちが中堅に育って行くまで、私たちも齢を襲ねていけたら……薄日が差し始めた庭を見ながら、しんみりと昨夜の余韻を噛みしめていた。
(2017年6月:写真:太宰府天満宮紫陽花の心字池)