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蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

珊瑚礁の誘い

2017年08月13日 | つれづれに


 暑さに呻吟しながら、何とか平穏無事に夏が過ぎようとしている。暦の上の秋は立ったが、残暑の厳しさには微かな衰えしかない。
 平穏な分、想い出の少ない夏だった。歳と共に、想い出を重ねることは少なくなっていく。
 庭の撒水の度に苛まれる藪蚊にも慣れっこになったころ、沖縄・慶良間諸島・座間味島に住む友人から、美しい海の写真が送られてきた。7月2日に行われた「第18回サバニ帆漕レース」当日の写真だった。
 沖縄伝統の帆を掛けたサバニ(船の一種)を操り、座間味島・古座間味ビーチから那覇港まで、風力と人力だけで走り切る海上レースであり、梅雨明け直後の眩しい沖縄の青い海と空のもと、約19マイル(30キロ)のコースを、夏至南風(カーチベー)にのって、「帆かけサバニ」とその伴走艇や観覧艇、総勢100隻以上の船舶が帆走する。
 もう何年前になるだろう、友人一家とアメリカの次女を誘って、高速船で座間味ダイビングに訪れたとき、慶良間沖でその集団とすれ違ったことがある。

 美しい海の姿に心が騒いだ。昨年の夏は、次女と二人で珊瑚礁の海の底にいた。染まるように美しい珊瑚礁に漂いながら、ゆっくりと呼吸する……高齢者にとっては、登山よりはるかに負荷がかからないアウトドアスポーツだが、被ったマスクの外は一つ間違えば死と隣り合わせの世界である。
 68歳の時、カリフォルニアの海で受けたライセンス取得のための訓練は、本当に厳しいものだった。水温16度の真冬のカリフォルニア、まずプールで100m泳ぎ、立ち泳ぎをテストされ、3日間机上で200ページのテキストを自習し、ダイビング器材の点検や装着を習い、その後3日間高校やインストラクターの自宅のプールで潜水技法と緊急時の対応を実地で学ぶ。マスクを投げられて、潜って回収に行ったり、ボンベのエアが無くなった前提で、バディー(ダイビングは一人では潜らない。一緒に潜ってくれる仲間を「バディー」という)の補助レギュレーター(オクトパス)からエアをもらいながら浮上したり、フィンのキックだけで浮上してBC(浮力調整ベスト)に空気を吹き込んで浮力を確保したり(これが一番苦しかった)……機材一式がこれほど重いものとは知らなかった。そんなフル装備してても浮力で沈めないから、更に8キロの鉛のウエイトを腰に巻く。小柄非力な身には、海にはいるまでが大変だった。
 最後の3日間は、30人乗りのダイビングボートをロサンゼルス沖2時間のサンタ・カタリナ島の島陰に碇を降ろして、18名の高校生に混じって毎日ダイビング三昧の実技テストが待っていた。
 8ミリのウエットスーツに頭から胸までのフードをかぶり、グローブとブーツで全身を覆い、出ているのはマスクの周りの顔の一部だけである。アラスカから流れ下る寒流の中、水温16度の海は冷たい。海の中にいる時はスーツの中に入った海水が温まり、保温効果で寒さは感じないが、船に上がってスーツ内の海水が流れ落ちると、歯の根が合わないほどの海風の寒さに震え、温水で塩を流して寝袋にくるまり、ホッカイロを抱え込む。温まる間もなく、再び濡れたウエットスーツを着て次のダイビングが待っていた。

 この9日間の厳しい特訓が命を救う。一瞬でも気を緩めると、そこは死の世界である。
 例えば、50分間20メートルの海の底に潜って浮上する時、必ず水面下5メートルで3分間の「安全停止」をして、しばらく海面下に留まるルールがある。
 空気は78%が窒素で構成されており、水面の1気圧の状態で、人体にはおよそ1リットルの窒素が溶け込んでいる。潜水により水圧が高くなり、エアの消費量が多くなると,水深10メートルの2気圧で2リットル、20メートルでは3気圧となり、窒素量は3リットルと増えていく。潜水中に余分な窒素は急速に血液の中に溶けて身体中を巡り、様々な組織に蓄えられる。
 浮上し始めると状況は逆になるが、窒素が排出される速度は遥かに遅い。水圧の減少に伴い余分な窒素は体内を巡って肺に戻り、呼吸によって体外に排出されるが、上昇が早すぎると通常の呼吸では排出が間に合わず、血液や体内組織及び関節に窒素の泡が生じ、空気塞栓症(ケイソン病)に陥る。毎年基本を守らなかった多くのダイバーが、手足の自由を失ったり、命を落としたりしている。
 浮上前に深度5mの地点で3分間停止をする「安全停止」は、ダイバーとしての最低限の守らなければならないルールなのだ。

 そんな復習を頭の中でしながら、美しい海の写真を見ていた。願わくは80歳まで潜りたいな……。
 地球温暖化が加速し続けている。海水温の僅か1度の差で珊瑚の白化が進み、珊瑚は死滅する。既に人知では救いようがなくなった環境破壊、この美しい珊瑚の海をいつまでも保っておける保証はない。来年こそ、もう一度座間味の珊瑚を確かめに行こう……サヨナラを告げに。
              (2017年8月:写真:サバニ帆漕レース……友人の写真)
  

2万年の時空を超えて

2017年08月13日 | つれづれに

 ウスバキトンボが朝風に逆らって、路上を低く滑空した。記録的集中豪雨に痛めつけられた地域に遠慮したように、北部九州だけを圏外に置いて、台風5号が東北に去って数日、夕風に微かな涼しさが生まれた。
 37度を繰り返す日々が続くと、昼間の暑熱も34度程度ではエアコンを入れなくても過ごせるようになった。漸く夏型に体質が慣れてきた頃なのだろう。弱風のリズム風に設定した扇風機だけで、エアコンなしで窓を開けて眠れるようになった。

 庭の片隅でカネタタキが小さな鐘を叩き始めた翌日に秋が立ち、そのあくる日にツクツクボウシの初鳴きを石穴稲荷の杜で聴いた。
 
 暑い日照りの地面に、アブラゼミの亡骸が転がっていた。昼間の姦しさも少しおさまり、遠くの杜でアブラゼミとヒグラシの競演に、時折まだ少数派のツクツクボウシが、肩身が狭そうに声を紛れ込ませている。生まれた数だけのセミが、生まれた数だけ繁殖の営みを終えて大地に帰っていく季節である。

 たった1頭で5株のパセリを食い尽くしたキアゲハの幼虫が、いつの間にか姿を消した。あれだけ食べたのだから、きっとどこかの葉陰で蛹に変身していることだろう。璧面や木陰を探し回ってみたら、去年の抜け殻がまだ風に揺れていた。

 夕まぐれに、軒に棲みつくイエコウモリがお食事飛行を繰り返していた。我が家の屋根の周辺から決して遠くには飛ばずに、そそくさと虫を捕っては又軒の隙間の巣に帰って来る。いつものことながら、伴侶の存在が頻りに気になる。親子3匹で飛翔する姿を毎年のように期待して見上げているが、今日も1匹だけだった。

 水仕事の水道水が、ふと空気より暖かく感じられて、微かに芽生えつつある秋の気配を知った。
 
 真っ青な空の四方から入道雲が盛り上がり、そこにはまだ秋の佇まいはない。日差しが大きく西に傾く夕暮れ、金曜日土曜日だけ夜間公開を始めた九州国立博物館特別展「ラスコー展」を観に行った。此処は風の通る道、日陰を歩くと心地よい夕風が肌を弄って吹き過ぎていく。
 クロマニヨン人が描いた2万年前の壁画……600頭に及ぶ馬、鹿、バイソン、マンモス、不思議な謎の鳥人などが、色彩鮮やかに描かれた壁画は圧巻だった。 復元されたクロマニヨン人の姿が妙に生々しかった。
 1979年に世界遺産に登録され、今は本物に接する機会はないが、実物大に再現された洞窟壁画や装飾品、生活道具類のレプリカは、一瞬で2万年の時空を超えて私たちの前にあった。今から2万年後、果たして人類は地球上に存在しているだろうか?既に埋蔵文化財になっているのかもしれない。そのホモサピエンスの鉄とコンクリートで作られた遺跡を発掘しているのは、いったいどんな生き物なのだろう?或いは、機械人間?宇宙生命体?
 加速的に破壊されていく地球環境……地球自体が、既に秋風の中にある。いや、もう亡びの木枯らしが吹いているのかもしれない……そんなことを考えながら、2万年前の芸術に見入っていた。

 この日、入館者が5万人を超えた。
                 (2017年8月:写真:ラスコー洞窟の壁画)