蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

心を洗う

2018年01月03日 | つれづれに

 雲一つない小春日の迎春となった。「……春遠からじ」と詠った今年の年賀状、すっかり葉を落とした蝋梅が早くもほころび始め、もう早春のときめきが鼓動する三が日である。その根方には、水仙が幾つもの蕾を膨らませ、初日の出を祝うように一輪が花開いた。まだまだ酷寒の2月が控えているけれども、もう「春が待てる」という気がする。

 長女一家が揃って帰省、久し振りに賑やかにお節の膳を囲んだ。お節も自ら作ることもなく、寿三段重と海鮮二段重を取り寄せ、好物の黒豆と数の子、菊花蕪を添える程度で、あとは我が家伝統のおでんを大鍋に煮込む。佐伯から送ってもらったカンパチを下の孫娘が捌き、初めてとは思えないほど見事に刺身に引いた。上の孫娘は娘の指導を受けながら黒豆に挑戦、カミさんが母譲りの秘伝にさらに磨きをかけたおでんを、私がお屠蘇を仕立て、菊花に切った酢蕪を漬け込む……そんな親子孫三代で作り上げる正月も、もう度々はないだろう。

 大晦日、宵詣りに娘一家を送り出した後、庭に立って遠く除夜の鐘を聴いた。かつては、太宰府天満宮近くの光明寺で除夜の鐘を撞くのが恒例だった。弾ける焚火の火の粉を浴びながら撞木を引いて撞く。震える余韻の中で、百八つの煩悩が消えていく……そんな、心を洗うような陶酔の一瞬が好きだった。住職が変わってから理不尽にもその風物詩も喪われ、今は遠く夜空を渡ってくる観世音寺の鐘を微かに聴くばかりである。

  都府樓纔看瓦色(都府楼はわずかに瓦の色を看)
  観音寺只聴鐘聲(観音寺は只鐘の声を聴く)   (菅原道真)

  手を当てて 鐘はたふとき 冷たさに
         爪叩き聴く そのかそけきを   (長塚節)

 7世紀後半から造営された観世音寺は、奈良の東大寺・栃木の下野薬師寺と共に、天下三戒壇のひとつに数えられる古刹である。そして、「ゆく年くる年」でお馴染みの梵鐘は、京都妙心寺の梵鐘と兄弟鐘といわれる国宝である。
 九州国立博物館ボランティアを務めていた8年前、誕生日二日前の1月16日に、1300年振りに兄弟鐘の音色を比べる場に立ち会うことが出来た。同じ木型で鋳造されたといわれている鐘なのに、微妙に音色の違いがあった。決して優劣をつけることではないが、そこは地元の贔屓目、やっぱり観世音の梵鐘の音色に惹かれたのだった。
 日頃は金網に包まれて触れることは出来ないが、大晦日の除夜だけは整理券が発行されて撞くことが出来る。
 近年、30日の夜から伽藍と鐘楼がライトアップされるようになった。Y農園の奥様からのお年賀のメールに、その写真が添えられていた。暮れから痛み始めた股関節のリハビリ中の為、残念ながら行くことが出来ない。せめて心の中でその鐘を撞き、新たな年の安寧を祈った。併せて、今年の「ブログ初め」に、その写真を使わせていただくことにした。

 届いた賀状の束の中に、今年から割愛させてもらった人達からの年賀が何枚も混じっていた。ひそかに詫びる想いを籠めながら、一枚一枚めくっていった。「断・捨・離」という言葉は、此処では相応しくない。「終活の一環」というのは、あまりにも切ない。
 日々ささやかな好日を愛しみながら、この一年を重ねて行こうと思う。

 今夜も、石穴稲荷の杜の上に、スーパームーンが玲瓏と輝いていた。
      (2018年1月:写真:観世音寺鐘楼のライトアップ……友人の写メより)