蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

1939~2019

2018年10月10日 | つれづれに

 秋風に金木犀が薫る。勝手口の裏、物置の脇の我が家の金木犀が、かつてないほどにミッシリと花を着けた。
 この夏の異常な暑さは、庭の草木も強かに傷め付けた。毎日井戸水で撒き水は欠かさなかったのに、乾きではなく高温に耐えきれなかったのか、オキナワスズメウリが実を着けない。ホトトギスの葉が下から枯れ初め、僅かに残った茎の先端に申し訳のように幾つかの蕾を着けている。そんな状況の中で、この金木犀の命の輝きは何だろう?日差しと水と温度の微妙なバランスの狭間に、測り知れない命の盛衰がある。

 10月というのに、まだ残暑の残滓を引き摺り、朝の長袖を半袖に着替えても、ちょっと身体を動かしただけで汗みずくになる。空の眩しさに目を眇めながら、ふと愕然とする……あと3ヶ月で八十路!こんなに生きる筈じゃなかった。ここにも、測り知れない命の盛衰がある。

 カッコよく言えば「蒲柳の質」……ひ弱な子供だった。しょっちゅう風邪ばかり引くし、すぐにお腹を壊すし、古釘を踏み抜いて震えが来るほどの高熱を出したり……「殺しても死なない」と言われるほど頑健だった兄に比べ、確かに健康面では脆弱だった。特に、1月生まれのくせに寒さに弱く、冬の間はずっと風邪気味で、時々高熱を出すというような状況だった。学校や仕事を休んで、熱に浮かされながらうつつに眠り、雀の囀りに包まれていることがよくあった。いつの間に自分は30歳までしか生きないと思い込んでいた時期もある。
 
 気が付いたら70代になるまで、身体にメスひとつ入れることもなく、入院の経験もなく、これといった大病もせずに生き抜いてしまった。身体に自信がないから、臆病なほどに用心する。それが結果として健康を齎したのだろうか。
 73歳で左肩腱板を断裂し、肩に5つの穴を開け、関節内視鏡でチタンのビス4本を植え込んで、切れた腱板を手繰り寄せて繋ぐ手術を受けた。初めての入院手術は2ヶ月に及び、その後4か月リハビリに通った。
 そして、6年後の79歳の今、左脚に人工股関節置換手術を受けて17日間入院し、リハビリ3ヶ月目を迎えている。ほぼ機能を回復し、5000歩の歩行も、100段近い階段も難なくこなせるようになった。先週、博物館までの89段の階段を登った。目の前の裏山の頂きに、秘密基地のひとつ「野うさぎの広場」がある。来週にも復活の山道散策を狙っているし、来年の夏には、沖縄・座間味島でのダイビングも既に指呼の間にある。

 頑健だった兄は先年食道癌を患い、食道全摘手術を受けて生還したが、急速に体力を失った。妹も若くして夫を胃癌で失い。次男を生んだ時に痛めた腎臓で、もう30年以上週3回の人工透析に通っている。
 一番ひ弱だった私が、一番元気で八十路を迎えようとしている……愕然とする所以である。80歳で平成を閉じ、新たな年号を迎える。3つの時代を生きる……「昭和も遠くなりにけり」を実感することだろう。

 こうなったら、もう少し頑張ってみようと、あと6年間の運転を決めた。次の次の更新前に運転免許を返納する。昨年秋の「後期高齢者認知度テスト」も96点採れたし、実技テストでも、これといった指導はなかった。まだまだ大丈夫だろう。安全運転の秘訣は、「自分が運転上手だと思わないこと」と心得ている。だから、スピード控えめ、ブレーキ早め、車間距離はたっぷりと取る。ゴールド免許をこうして維持してきた。
 さすがに、「終(つい)の車」として11年乗ってガタが来た今の車では不安が残るから、思い切って新車を買った。「終の終の車」である。6年だけ乗るのに、ハイブリッドで30万以上余計に出す気はない。1300CCのガソリン仕様で十分、「ホンダFIT 13GL シャイニング・シルバー・メタリック」……但し安全機能を満載し、ドライブレコーダーも搭載した。年金6ヶ月分の予定外の出費となったが、その分寿命を半年諦めればいいだけのこと。この6年、存分に生きて余生を満喫することにしよう。
 車のナンバーは「1939」……西暦で示した私の生年である。

 こうして、二つの「足」を新調した。九重・飯田高原、長者原の「たで原湿原」の木道が、そして男池(おいけ)の山野草が、秋風に載せて私を呼んでいる。
                      (2018年10月:写真:終の終の車)