蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

蜩1号、誕生!

2019年07月01日 | 季節の便り・虫篇

 どこの世界にも、慌て者がいる。6月26日、観測史上最も遅い梅雨入りとなった北部九州、その二日前に今年初めてのヒグラシが鳴いた。石穴稲荷の杜から届いたのは、たった一匹の鳴声……蝉時雨にはほど遠く、やがて三日ほどで途絶えた。連れ合いを見付けることも出来なかったのだろうか、慌て者に貰いは少ないのだろう。

 鉛色の梅雨空が覆い、一気に湿度が上がった。雨は確かに降ったが、熊本以南の激しい降りに比べて、ダムを潤すほどの雨ではない。
 降らねば困るし、降り過ぎても難儀だし、ほどほどにというのは難しい。天候ばかりは、文字通り天任せである。
    時によりすぐれば民の嘆きなり 八大龍王雨やめたまへ   源 実朝
 そんな古歌を思い出すことが多くなった。

 朝、ならしておいた八朔の根方に、見慣れた穴が一つ穿たれていた。慌てるなよ、梅雨はまだこれからだよ……そんな思いで毎朝誕生の地面を見守っていたのだが、昨夜は確かめることもなく、時折軒を叩く微かな雨音を聞くともなしに聞きながら眠りについたのだった。
 抜け殻を探して八朔の枝を確かめている眼に、いきなり飛び込んで来たのはゴマダラカミキリだった。黒地に白い斑点を散らして、長い黒白縞模様の触角をしきりに動かしている。胡麻斑髪切と書く。その姿は美しく、好きな虫のひとつなのだが、生憎柑橘類にとっては甚だ厄介な害虫なのだ。庭いじりが好きだった父は、これを見付けると日頃の温厚な姿とは一変して容赦なかった。
 幹を顎で傷付けて産卵する。やがて孵化した幼虫は幹の中にトンネルを穿って、根の方に下りて行きながらながら内部を食べて育つ。直径2センチにも及ぶトンネルを穿たれた樹は弱り、最悪の場合は枯れてしまうこともある。それは困る、一番好きな柑橘類だから植えた八朔である。
 しかし、害虫と知っても殺せないのが昆虫老人の弱み、掴み取って近くの空き家の庭にこっそり放つのが常なのだ。また舞い戻るかもしれないと分かっているのに、毎年こんなことを繰り返している。トンネルが樹皮に届くと、そこから木屑が地面に散るようになる。さすがにそこまで来ると、その穴に殺虫剤を噴き込むしかないのだが……。

 小雨の中を放ち終わって、更に八朔の枝葉を覗きこむ。あったあった、台所の出窓に近い葉裏にセミの抜け殻が一つ、風に吹かれながら揺れていた。当然飛び去ってその姿はないが、昨夜生まれた我が家のヒグラシ1号である。昨年は7月9日、一気に6匹が誕生した。十日も早い誕生は嬉しくもあり、仲間が少ないことが哀しくもあり、複雑な思いでカメラを向けた。
 ファインダーの向こうに、2センチほどに育った丸い八朔の実が4つ。不作の今年は、殆ど花も咲かなかった。所謂「裏作」なのか、それとも根方の地中で育っている数百匹の蝉の幼虫が養分を吸い取っているせいなのか、あるいはゴマダラカミキリの悪さが原因なのか……深く追及するのはよそう。

 博多祇園山笠が始まった。
  「山笠があるけん、博多たい!」
 水法被に締め込み姿の「のぼせもん」が博多の街をそうつきまわっていることだろう。男の尻と太ももが眩しく輝く季節である。胡瓜を食べることと、女人に触れることが禁じられる男の祭。人形師が腕を振るい、舁き山(かきやま)が街を駆ける。重要無形民俗文化財であり、掛け声「おっしょい」は日本の音風景100選に選ばれたこともある。また、博多祇園山笠を含めた日本全国33件の祭は、「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産に登録された。
 勇壮極まる夏祭に、多くの説明は無用だろう。

 遅れた梅雨を追うように、博多の夏がもうすぐそこまでやってきていた。
                  (2019年7月:写真:ヒグラシ1号の抜け殻)