つい先頃まで、大型クルーズ船が着くと、観光バスが雪崩のように太宰府に押し掛けていた。天満宮の参道は、通り抜けるのも難儀するほどの雑踏となり、日本語を聴くのが稀なほど、アジア系観光客であふれていた。もはや観光公害となっていたから、福岡県でコロナが発症するとしたら、それは太宰府からだろうと覚悟していた。だから、1月2日に初詣でに行って以来、ここは近寄ってはならない鬼門となっていた。
実は、その参道に近接して、20年来我が家のホームドクターとなっている病院がある。定期的に処方してもらっている薬が、カミさんも私もなくなった。10日ほど様子を見ていた。発症の知らせはない。しかし、疑心暗鬼が町内でも根拠ない噂を生む。
「参道の商売に差し障りが出るから、きっと隠してるんだよネ!」
もちろん、根拠なんて何もない。ただ、高齢者は重篤になりやすいというコロナウイルス肺炎である。「80代高齢者死亡」というニュースは、連日のように放映される。そのうちに、「コロナ弱者」という言葉も生まれるかもしれない。気持ちの底には、すでに覚悟を決めて居直っている部分もある。
我が家は後期高齢者どころか、もはや末期高齢者。先天性再生不良性金欠(!)という不治の病(?)を抱え、懐ではいつもシジュウカラが鳴いている(笑)。
主治医に電話した。私の分は電話で処方出来るが、カミさんの分は2ヶ月経っているから、診察しないと処方出来ないという。諦めて、イヤだイヤだと渋るカミさんを乗せて病院に走った。
驚ろいた!待合室には、マスクしていない患者が何人もいるではないか!おまけに、マスクしていない事務員までいる!!息を潜めて、処方が出来るのを待つしかなかった。
世界的パンデミックが拡大し、東京オリンピックも延期が必至になった。克服出来なければ、本当に人類存亡の危機になるかもしれないというのに、まだまだ日本では危機意識が低い。若者の無責任な行動も続いているし、「要請」を無視して全国から数千人を集めてK1大会を開いたり、地下アイドルのライブが開かれたり、信じられない事態が続いている。
後手後手に中途半端なことを「要請」し続けるだけの政府だから、そして、嘘に嘘を重ねる鉄面皮の首相の「要請」だから、徹底するわけがない。だから、弱者は自衛するしかないのだ。
メルケル独首相の演説の深さに比べ、日本の為政者の言葉のなんという貧しさだろう!
「安倍晋三首相は22日午前、防衛大学校(神奈川県横須賀市)の卒業式で、自衛隊最高指揮官として訓示し、憲法9条に自衛隊を明記する憲法改正に改めて意欲を示した。」産経新聞の記事を見たアメリカの次女が、「信じられない!」と言って、こんなネットの投稿を送ってきた。
「ちょっと待て。全国の小中高大(うちの大学もそう)が、代表者だけの簡素な卒業式を行う最中、ここだけは通常開催か?しかも自粛を呼びかけた当の総理が出席。しかも、そこで改憲をぶち上げる、二重三重の異様さ」
気が付かなかったが、テレビや新聞で、この記事は出ただろうか?見た覚えがないし、出ていればきっと騒ぎになっていると思うのだが……。
先日の首相記者会見も異様だった。予め提出された質問に対し、(多分官僚が書いた原稿を)一方的に読み上げるだけで、背中を見せて去った首相。これは、茶番の「朗読劇」であって、「会見」ではない。官僚の人事権だけでなく、マスコミの報道まで規制し始めているのだろうか?それとも、ここにも「忖度」が影を落とし始めているのか?……これは、コロナ以上に恐ろしい「疑心暗鬼」である。
「絶筆」になる一抹の不安を感じながら、毎回こんな怒りに満ちたブログばかりを書くのも、ホントしんどいなぁ~!
マスクが店頭から消えてしまって久しい。「使い捨てマスクは、不織布を使っているから洗って再使用は出来ません」と言われても、無いものは無いのだ。手に入らないのだから、せめて洗って使うしかない。殺菌洗剤にひと晩漬けて、押し洗いして天日に干し、最後にガスストーブの熱風に曝す。ウイルスの吸引遮断は無理にしても、せめて自らの咳やクシャミや会話による飛沫を振り撒かないように、騙しだまし使っている。
在庫が乏しくなった新しいマスクは、街中や人混みに止む無く出掛けなければならない時のために、大事に温存してある。
そんな折に、古希を迎えた親しい友人が、手作りのマスクを4枚も届けてくれた。カミさんには花柄を、昆虫が好きな私にはトンボ柄の黒い布を選んでくれた。手に入らない市販のマスクまで5枚添えてある。
応えるすべがない私たちは、せめて珈琲を淹れて感謝の気持ちを表すしかなかった。
先日は、博多に住むカミさんの従弟のお嫁さんが、やはり手作りのマスクを4枚送ってくれた。この8枚は洗って使える貴重品である。
市井の弱者は、こんな温かい思い遣りに支えられて日々を生きている。
(2020年3月:写真:手作りマスク)