蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

暖衣飽食、無為徒食

2020年09月25日 | 季節の便り・花篇

 お騒がせの台風が北に走り去った後、炎熱に疲労困憊し、コロナ籠りに倦んだ身体を更に叩きのめすように、一日の温度差が10度以上の日々が続き、遂に身体が悲鳴をあげてダウンした。
 寒む気に苛まれ、熱がないのに熱っぽく、身体が怠い。もちろん、熱も咳も味覚・嗅覚異常もないからコロナではない。毎年季節の変わり目に、必ずこんな症状に悩まされる体質である。コロナに向かう緊張があったせいか、珍しく冬に痛めつけられた春バテがなかったから油断していたら、夏に叩かれた秋バテからは逃れられなかった。二日ほど、寝たり起きたりしながら、温度差に身体が慣れるのを待った。
 加齢のせいか例年になくしんどかった。しかし、少し痩せただろうなと案じながら体重計に乗ったら、何とコロナ前より3キロも増えていた。理想体重を1.3キロもオーバーしている。改めて思った、「ストレス太りって、本当にあるんだな!」
 自粛自粛で外出も控え、「食っちゃ寝、食っちゃ寝」の毎日である。考えれば、当然の結果だった。古人(いにしえびと)はいい言葉を残している。
 「暖衣飽食」
 「無為徒食」
 春先に「東風吹けど コロナ籠りの 爺と婆」というざれ句を詠んだ。今は、「秋風や コロナ太りの 爺と婆」とでも詠おうか。但し、この歳での体重増には切ない掟がある。腕や脚、その他の部分に均等ではなく、殆どが腹に来ることである。

 せめて、こんな心境でいられたらと、「晴雲秋月」という四字熟語を読んだ。「純真で汚れがなく、澄みきった美しい心。晴れ渡った空に浮かぶ白雲と、秋の空の澄んで凛とした月の姿」……もう、遠い日の憧れでしかない。

 日常生活圏内のショッピングセンターで買い物をし、マクドナルドのハンバーガーで昼を済ませて帰り、少し回り道をして田んぼの脇を走った。みっしりと実って頭を垂れる稲穂の脇に、今年も忘れずに真っ赤なヒガンバナが連なっていた。遥か前方に、登り慣れた宝満山(830メートル)が望まれる。この山が、最も美しい姿を見せるアングルである。
 かつての筑前国御笠郡の中央にあたり、太宰府市の北東部に存在感を持って聳え上がる。古くから、霊峰として崇められ修験の山であった。全山花崗岩で出来ており、山頂の巨岩には竈門神社の上宮が祀られている。太宰府駅から麓の竈門神社下宮まで徒歩40分。此処は、かつて夢想権之助が杖術の修業をしたところでもあり、宝満山登山の起点となる。
 岩塊をよじ登るような険しい石段の山道であり、「ここを歩き慣れたら、九州の山は全て大丈夫」と言われるほどに厳しい。一度登れば褒められ、三度も登れば馬鹿と言われるそんな山だが、特急を乗り継げば福岡市からも20分で太宰府駅に着くというアクセスの良さから、熱狂的ファンが多い。千回、3千回という記録を誇り、憑かれたように毎日登る人もいる。段差の大きい岩の階段で、足腰を痛める高齢者も多く、時折救急ヘリの出動もある。

 山頂の眺望は抜群で、西から脊振山地の山々、博多湾・玄界灘・三郡連山・英彦山・古処山・馬見山・津江山地・九重山の山々・福岡・筑後・佐賀の三平野・有明海の彼方に雲仙岳も遠望出来る。宝満山頂から、稜線沿いに仏頂山・頭巾山・三郡山・砥石山・若杉山へと至る道は、健脚向けの人気の高いハイキングコースである。
 この縦走コース12回を含めて、私も30回ほどこの山に登っている。

 宝満山を背景に、稲穂と彼岸花をスマホで捉えた一枚に、偶然上空を飛ぶクロアゲハが写っていた。思いがけない大自然からの贈り物、虫キチの冥利に尽きる一枚になった。

 月下美人に、おそらく今年最後となる蕾が10輪着いた。9月が過ぎる。秋が一段と深くなる。
                              (2020年9月:写真:宝満山と彼岸花)