蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

這い蹲る秋

2020年10月06日 | つれづれに

 ピリッと身が引き締まる朝だった。13度、もう「寒い!」と感じてもおかしくない朝の冷え込みである。昼間の27度と比べ、14度もの温度差が、季節の変わり目にオタオタしている身体を引き締める。
 太もも、お尻、腰、背中、両腕に凝り(筋肉痛が)出始めていた。若い頃にはすぐに出ていたのに、今では1日遅れでやってくる。今夕辺りが一番ひどくなりそうだ。

 我が家をぐるりと一周して、11個の雨水溜枡が並んでいる。ずっと気に掛かっていた作業に、思い切って取り掛かった。
 二つのスリットに手を潜らせて重いコンクリートの蓋を持ち上げると、すっかり土砂に埋もれた溜枡が現れた。築33年、庭と玄関脇の2個以外は、ずっと放置したままである。ダンボールを敷いて両膝を突き、左手で上半身を支えて、スコップで土砂を掬い上げる。隙間から這いこんだ木の根草の根を叩き切りながら掬う。隣の溜枡と繋がる土管の中まで入り込んだ根っこや土砂を掻き出す。多いところではショウケ(竹笊。円形や方形の竹笊でなく、一方向が開いた箕を、子供の頃からショウケと言っていた。落ち葉を掃き入れるショウケは、最近プラスチック製である)2~3杯もの土砂が入り込んでいた。これほどの庭土が、33年間で雨と共に溜枡に流れ込み、庭が痩せていたことになる。
 這い蹲って2時間、ミシミシ軋む腰や脚を摩りながら、掬い上げた土砂を日差しに曝した。乾きあがったら庭に戻そう。これでもう、生きている間は大丈夫だろう。

 食べ尽くされて茎だけになっていたエイザンスミレが逞しく復活し、そこに3頭のツマグロヒョウモンの幼虫が育っていた。蛹になって冬を越すのだろう。

 8か月振りに、博多座に文楽を観に出掛けた。コロナ対策は万全である。入り口で発熱チェック、手指の消毒、チケットのもぎり自分でやって箱に入れる。座席は一人おきで半数、10分毎に全館換気するから絶えず空気の流れを感じ、少し肌寒い。係員は全員マスクとフェースガード、会場内の飲食は禁止という厳しい防御策が取られていた。売店も少なく、お弁当も席で食べられないから僅かしか並んでいない。
 いつもの劇場風情とは全く異質だったが、それでも8か月振りのナマの舞台は楽しかった。初日の昼の部、二日目(千秋楽)の夜の部を観た(二日間昼夜4回の公演である)。昼は2時間35分、夜は2時時間10分、そのうち1時間と、45分は休憩だから、観劇時間は長くない。
「壺坂観音霊験記」でお里を遣った人間国宝・吉田和生、「傾城恋飛脚・新口村の段」で孫右衛門を遣った吉田玉男と竹本千歳太夫の義太夫語りを楽しんだ。2年振りの文楽だった。

 通学路の階段脇の木立から、たくさんのクヌギドングリが落ちていた。いくつかを拾い取ってきて、玄関のトトロ群像の前に並べた。
 リタイア間もなく、市の文化ふれあい館の催しで、ドングリでトトロを作る企画があった。山を歩いていろいろなドングリを拾い、サインペンと待ち針を使ってトトロや猫バスなどを作る。暫くハマって、枝に並ばせたり、ブランコに乗せたりして楽しんでいた。丸っこいクヌギドングリは猫バスに、面長のマテバシイはトトロに姿を変える。

 栗もドングリの仲間、友人が愛媛産の栗を使った栗ご飯を炊いて来てくれた。「2パックもあるから、二日分だね!」と言いながら食べ始めたら箸が止まらなくなり、2パック目にまで進んでしまった。
 嗚呼、また去年のジーパンがきつくなる!

 そろそろ「野うさぎの広場」に続く散策路を歩こう。この時期、山道を歩くと、足の裏でプチプチとドングリが弾ける。ナラやシイやカシやクヌギ、山は様々なドングリの実りの季節である。
 カミさんのフェースブックに、友人から久住高原・長者原たではら湿原や竜胆の写真が送って来た。
 ムムム………である。
                          (2020年10月:写真:トトロと櫟ドングリ)