蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

木漏れ日の小宇宙

2020年10月19日 | つれづれに

 町内の高台に建つ筑紫女学園大学、その急傾斜ののり面に、ススキやセイタカアワダチソウが風に揺れていた。その向こう、幾つもの雲の塊を浮かべる秋空は、眩しいほどの紺碧だった。その鮮やかな色のコントラストが美しくて、カメラを向けた。
 繁殖力が強く、嫌われ者のセイタカアワダチソウだが、ひところに比べ少なくなったような気がする。
 明治末期に切り花用に北米から導入されて帰化した外来種だが、戦後米軍の輸入物資に付いてきて、一気に全国に広がった。一時は花粉症の一因とまで濡れ衣を着せられたが、虫媒花だから花粉の量は多くはない。今では汚名こそ返上しているが、あまり好まれる花ではないようだ。
 アレパシーという含有物質が、競合するススキなど周囲の植物の成長を妨げて大繁殖するが、面白いことにこの物質は自分自身の種子まで成長を抑制する。謂わば、自壊作用により、再びススキに座を譲ったり、また繁殖したり、栄枯盛衰を繰り返す面白い草らしい。

 およそ5か月振りに、秘密基地「野うさぎの広場」に向かって歩き始めた私を真っ先に迎えてくれたのが、この青空とセイタカアワダチソウとの美しいコントラストだった。
 玄関先に見事に花を咲き並べるシュウメイギクにカメラを向けたりしながら隣の住宅団地を抜け、階段を上れば九州国立博物館。たった一匹のツクツクボウシがひたむきに鳴き立て、博物館の総ガラス張りの壁を弾いていた。
 この時期、もう受け入れてくれるも雌いないだろう。鳴き疲れて、やがて空しく絶える命を思うと、この時期の蝉の声は切ない。
 ミチオシエ(ハンミョウ)に導かれて、博物館裏の雨水調整池を巡る散策路「囁きの小径」を辿る。かつて、環境ボランティアをやっていた時、この池をビオトープにしようと提案したが、受け入れられないままに終わった。
 イノシシは相変わらずの乱暴狼藉、湿地をぬたばにして、いたる所を掘り返している。よしよし、野生の逆襲、がんばれ!

 裂帛のモズの声が空気を切る。晩秋仕様に換えた肌着を濡らす汗を感じながら、人っ子一人いない山道に入った。日頃から訪れる人の少ない散策路は、倒木や枯れ木に覆われ、無残なまでに荒れていた。マイストックの枯れ枝を拾い、道に落ちた枯れ枝を脇に払い除けながら歩くのも、いつもの通りである。
 巨大化したジョロウグモが、不気味に彩られた腹を膨らませて巣を張り、油断すると顔に被さってくる。これだけでかくなると、張られた糸もびっくりするほど強靭である。家を出て20分ほどで、秘密基地「野うさぎの広場」への最後の登りに掛かった。
 
 広場も雑草や枯れ枝に覆われ、マイベンチと定めた切り株も繁った草叢の中にあった。ショルダーをおろし、烏龍茶で喉を潤す。木漏れ日の下を風が抜け、額の汗に火照った熱を運び去っていく。
 4月、ハルリンドウが一面に咲いていた辺りに、イガイガのヤシャブシが幾つも転がり、その近くには食い荒らされた栗のイガが散らばっていた。此処は野生の広場、野うさぎよりも、近年は「猪の広場」である。野生の中で、人もまた野性に還る。

 ジーパンにイノコヅチをびっしり張り付かせながら帰途に就いた。「囁きの小径」に下りる。四阿の近くの遊歩道で、木漏れ日を浴びる一本の木に似せた橋桁があった。その桁に這い上がる蔓性の草の葉が、ひっそりと秋を演出していた。ほの暗い中でそこだけ木漏れ日が辺り、妙に心惹かれる小宇宙だった。

 博物館の土手でススキを40本ほど刈って、カミさんへの土産にした。カマキリの卵塊を探して枝を切るつもりで持ってきた剪定鋏だったが、まだ花や葉が茂って探しにくい。もう少し、冬枯れが進むのを待つことにしよう。
 刈り取って来たススキと、先日友人が山ほど届けてくれたコスモスが、紹興酒と泡盛の甕に豪華な秋を盛り上げた。
 秋たけなわの昼下がりだった。
                     (2020年10月:写真:木漏れ日の小宇宙)